20/だから私が正さねばならない
誰もが眠りについている。
真っ暗になった洞窟を、少女が歩く。
しっかりした足取りだ、道は覚えている。昼間、目を瞑っていても歩けるように練習したのだから。
彼女は部屋を抜け、また部屋を抜け―――やがて、少し開けた部屋へとたどり着く。
多分ここだろう、と確信をもって踏み入れたところで、女の声がそれを止めた。
『アネモネ、止まりなさい。一歩でもこちらに近付いたら首を刎ねますよ』
気付けば、すぐ傍にオーガがいた。
昼間に散々動き回っていたから、疲れて寝てくれているものだと思っていた。出来れば二人きりで話し合いたかったのに、上手くいかないものだ。
けれど関係ない。
この奥にいるということが分かったのだから。
私は部屋の奥、ゴーレムの壁の向こうへと質問をする。
「ねぇ、貴方が無理やりさせてるの?」
『無理やりではないです。草十郎は、自らああしています』
「……あいつ、おかしいわ。戦闘中は失血多発で意識が飛んでるし、失う血の量は明らかに流していい量を超えてるわ。それも、乱用禁止のポーションと妖精の粉を平気で使い潰して……人間の、それも子供にやらせていいことじゃ、ない」
……少し、疑問に思っていたことがあった。
モンスターダンジョンを統べる人間のダンジョンメイカーは分かる。そういった例は今までにも幾つかあったと聞いているし、人がダンジョンを悪用するのはよくあることだ。ダンジョンコアに魅入られた者であれば、種族を問わずにメイカーになるのだから。
そのメイカーが、人と仲良くしたいというのも、分かる。聞いたことなどないが、信じられる。だって、草十郎は良い人だから。嘘偽りなく、彼が平和を望んでいるというのは事実としてもいいだろう。
だが、人間がオークジェネラルと戦う?
それも、数日程度の訓練で?
前提は理解した。大枠の部分は納得した。
けれど、違う話。私がこのダンジョンに来て経験した中で、一番信じられない生き物は、あの男の存在だ。
今日、直に見て確信した。
アレはバケモノの類に属している。
線が細くて、つつけば倒れそうな臆病な男だ。言動の節々に遠慮を滲ませるその姿は、優しいというよりは弱い生き物と呼ぶのが正しい。
だが、どういうことなのか、アレは戦っている。それも毎日のように地面が血で染まるぐらいの傷を負い、酷い時には腕が折れ曲がっても尚、ポーションなどという飲み物を啜り続けて起き上がる。
有り得ない。
痛覚がない異常者かと思えば普通にある。
恐怖心がない馬鹿者かと思えば怖がりだ。
無自覚な自殺志願者でもないだろう、だって傷を負う度にポーションを必死で飲み込んでいるのだから。
痛くて、怖くて、死にたくなくて。
それでも剣を取り、前に出て何度も戦うのであれば、それは狂人だ。
心があるのにそれを無視して、常に命を削っている異常者に過ぎない。
「何よあれ……あんたが操って、あんなことさせてるんでしょ……?」
『あぁ……貴方は私に草十郎を操っていてほしかったんですね』
どこか悲しそうな声で、コアが言う。
その声は、子供に謝る悲壮さを滲ませていた。
最初は違ったんですよ、と。
遠い昔のことのように彼女は喋り出した。
『……私と草十郎がこのダンジョンで出会ったのは、19日前です。彼は今よりもっと幼くて、臆病で、自信がなく、そして要領の悪い子供でした』
「……嘘でしょ」
19日前なんて、つい昨日のことだ。
その時点での彼がどんな人間なのかは予想がつく。彼は平和な世界から来たと言っていた。戦闘以外の彼の姿はとても普通で、だから最初の彼が教会の子供たちのようなか弱い生き物だったであろうことは、容易に想像できる。
だが、どうして19日であんな生き物に。
『そこからの毎日は特筆すべきことはありません。貴方も知っているように、日中はダンジョンを防衛し、残りの時間は勉強と訓練です。貴方が来た時――――10日前からその密度こそ上がりましたが、やっていることは1日目から全く変わっていません』
「……なら、どこであんな戦い方になったのよ。原因は何……?」
『違うんですよ。戦っていて無茶苦茶な戦い方になったのではないのです。初めて戦った時から無茶苦茶だったんです』
少し前の話。
草十郎が初めて弓を持った時、彼は手がどれだけ傷もうが武器から手を離すことはなかった。手の平の皮は全てめくれ、血で弓が持てなくなり、矢羽が肉に深く食い込もうとも、武器を手放さなかった。
思えばあれが、最初の予兆だったのだろう。
『多分ですが、彼は最初にモンスターの戦いを見たんです。そして、理解してしまった。ぶつかり合って互いが傷つき、喉元を噛み千切って勝利を収め、死体の肉を貪る荒々しいモンスターの戦いを、生まれて初めての戦闘として認識したんです。――――そこが、草十郎の戦闘のスタート地点』
「……何よ、それ。あんな野性的で本能的な戦闘を、人間がやるものだと思い込んだってこと? 有り得ないでしょ? 血を流したら痛いのが人間よ。私たちは勝つまで命を賭して争う獣じゃないわ」
『命が、かかってるんですよ。草十郎は今まで命を賭けた戦闘なんてしたことがない。だから、命がかかると聞いて視点が入れ替わった。スポーツや殺傷の絡まない競技なんかじゃなく、命の取り合いという視点で初めて彼らの戦闘を見たんです』
あぁ、何となく理解が出来る。
彼の性質。あらゆることへの割り切りの良さ。極端とも言えるほど彼は切り替えが早すぎて、だからこそ、この異世界での戦闘の基準をそこに設定してしまったのかもしれない。
敗者も勝者も傷付いて当たり前。
血だらけになるのも当然。
怪我は全て回復アイテムで治す。
そんな野蛮なものを、本気で信じ込んでしまったのだ。
……だとしても、まだ理解できない。
例え仮に、彼が戦闘をそういうものだと頭に入れたとしよう。
だが、それを実行することなどできない。あれらは獣で、こちらは人だ。考える頭があるために痛みで後ろに下がってしまうし、そもそもあの争いに真正面から挑めるほどの爪も牙も毛皮も持ち合わせていない。
ほら、現に彼は傷だらけだ。
血を流し血を流し血を流し。例えポーションがあるとはいえ、万能なんかではない。浅くとも、彼の体には毎日無数の傷が増えていく。ちゃんとした治療と療養を重ねれば消えるかもしれないが、日々を戦いに追われる彼は傷物になっていくばかりだ。
だから、土台無理だ。
彼が人である限り、あんな戦闘方法に耐えられるわけがない。
『そしてもう一つ、こちらは確定です。これには貴方も気付いているはずですよ』
「……」
『草十郎には殺しの才能があります』
才能と呼ばれるものには幾つかある。剣の才能、勉強の才能、努力の才能なんて言葉まである始末だ。定義は様々だが、最高到達点の高さやその習熟の早さなどを指して、人は才能と呼んでいる。
多分彼の才能は、戦闘において発揮される。
戦わなければならない時、戦う才能だ。どんなに痛みを感じていたとしても戦える。どんなに怖くても向かっていける。どれほど苦しくても立ち上がれる
――――それは、獣が生まれ持って所有している才能だ。
『彼には才能がありません。貴方も知っているところであればまず、魔法の才がない。訓練で知っていると思いますが、剣技の才能もありません。勉学の才能もないです。飲み込みも理解も遅く、あらゆるものを身に着けるのに人より沢山の労力を必要とします』
それは、感じていた。
彼との手合わせには、全くあの異質なプレッシャーを感じなかったからだ。
相手して分かるが、アレは本当に剣を習いたての人間だ。
少し教えてみたがセンスがない。形通りに剣を振れるし、戦闘中に思考ができる人間ではあるが、それだけだ。彼は常人より、かなりの時間を上達に必要とするだろう。
アレは、剣士にはなれない。
けれど確かに、命を賭けた戦闘における彼の剣には、凄まじいものを感じる。
相手をしたことなどないが、分かる。何を捨ててでも首を狙うという気迫。隙あらば臓腑を穿つという威圧。少し離れた場所で戦っていても、彼の周囲だけ空間が捻じ曲がっているかのような錯覚に陥ってしまう。
アレはおよそ、人の気配ではない。
モンスターや野獣の持つ雰囲気だ。
『けれどただ一つ、彼には才能があった。今まで花開くことなどなく、実用の機会にも恵まれなかった才能が』
それが殺しの才能。
命を取ることだけに長けた、絶対悪の天の贈り物。
『先入観が先か、才能の開花が先かは分かりません。ただ、草十郎には間違いなく殺しの才能があり、そして目的のために犠牲を払う精神性を持っています。傷だらけで戦っているのは覚悟や決意、意志の力ではない。元から持って生まれた才能なんです』
「……そんなの、矛盾してる」
『はい、矛盾しています。生き残るために戦っているはずなのに、常に命を差し出しながら戦っている。そしてその矛盾に気付いていないんです』
元から矛盾だらけだ。
モンスターの頭でありながら、人と仲良くしたい。
痛いのは嫌なのに、夥しいほどの出血をする。
呆れるぐらい甘いのに、敵というだけで背筋が凍るほど冷酷だ。
まるで人と獣の混ざり物。
境界線が曖昧になってしまうほど、あの男は矛盾にまみれて息をしている。
自然、嫌な想像が脳裏をよぎる。
「ねぇ……もし、仲間のモンスターが死んだらどうなるの」
『分かりません。人の身で悲しむのか、獣のように仕方ないと受け入れるのか。ただ……そもそも今の草十郎は仲間を死なせないために戦っているようなものです。おそらく人の頭で判断し、受け止めきれずに崩壊するかもしれません』
環境の変化が大きすぎて、今の彼は不安定だ。
頭の中にあらゆる情報が詰め込まれ過ぎていて、道徳の方向性があらゆる方向へと向き過ぎてしまっている。
そんな彼に残っている最後のラインは、おそらく生死だ。
人を殺さない。仲間も殺させない。
まだその致命的なラインを割っていないからこそ、彼は危うくも人の道に立っていられる。
だが、それが崩れたら。
仲間の死などを目にすれば、彼の境界は大きくこの世界に毒されて、歯止めが利かなくなるだろう。
その瞬間より、彼の基準はまた変わる。殺傷を当たり前としてしまえばもう終わりだ。生ぬるいことなど一切考えず、ただ敵と成り得る者を全て殺す獣へと成り下がる。
それは、今の彼の理想を穢すことに他ならない。
「……無責任じゃない、それ。貴方あいつの監督役でしょ? どうしてこうなる前に止めなかったの!?」
『止める意味がないんですよ』
冷たく、水晶は諌める。
『草十郎はとても弱い。才能が何一つない。努力を重ね、私もその努力を後押ししていますが、とてもじゃないけれど強くなれない。何をしたって半端者の域を出ず、覚悟を決めてあらゆるものを削っても弱いんです。貴方みたいな人が来れば負けます。なんなら、今後強くなり続けるモンスターたちにも殺されてしまいます』
ダンジョンメイカーとして、恐ろしいまでに欠陥品なのだと。
彼女は自分の主人をそう評価した。
『けれど、獣の草十郎であれば話は別です。生き物としてのスペックが違い過ぎる。生きようとする力、敵へと向かっていく力、周りを奮い立たせる力。草十郎は、戦場でこそ生きるに相応しい。あの人は強くなる』
「そのために、何を犠牲にするか分かって言ってるの……!? 今ですらもうあやふやよ!? 訓練を見ていた時ですら、たまに人殺しの目をしていたわ。剣を握って素振りをする時も、何かの首を刈っている」
あんな生活に耐えられたとしても、やがて、敵と味方の区別もつかない狂人になる。
それはきっと、そう遠くない未来の話だ。
彼は強くなる。
けれど同時に、彼の素晴らしいところが消えていく。
人を殺したくないという優しさだったり。
誰かを気遣う思いやりだったり。
ご飯を食べる時、仲間と笑い合う幸せな時間。
そんな、幸福の暖かさと呼ぶべきものと引き換えに。
だってそうだろう。彼は削る生き物だ。何かを手に入れるということは、同時に何かを手放すということに他ならない。
それだけは、どうしても許せなかった。
だからこそ、目の前の存在に虫唾が走る。
「外道に堕ちていく人間をただ見ているだけの、性質の悪い悪魔だわ」
『私は草十郎の味方です。例え草十郎が堕ちたとしても、変わってしまったとしても、私は彼に付き従う』
「道を踏み外さないように正してあげるのがパートナーでしょ!?」
『――――赤の他人が、偉そうに』
「――――ッ!」
怒りで足を踏み出しそうになる。
分かり合えない。この生き物とは最初から性質が合わない。
こいつの世界の中心には草十郎がいる。そして草十郎が指揮棒を振れば何だってやるのだろう。天使にだって悪魔にだって。
なまじ知能を持っている分、金魚のフンより悪質だ。
赤の他人だって? 当然だろう。
草十郎との付き合いも、関係性だって、私とお前とでは違うのだから。
でも、その理論に則るならば。
「赤の他人じゃなければ、文句はないわね」
……一度、彼に聞いたことがある。
モンスターを捨てて、人と暮らさないのかと。
今いる仲間を全員殺して、ダンジョンの奥深くで身を隠していれば、人に見つかる可能性は限りなく低くなる。
そうなったら私が彼を守ればいい。危険は取り払ってあげるし、他の人にも絶対に言わない。そういう魔術契約をしたっていい。そんな未来を望むつもりはないのかと。
けれど彼は、首を振った。
例えモンスターであろうと、もう切り捨てられないと言った。
自分のために命を使ってくれる掛け替えのない仲間なのだと認めた。
あぁ度し難い。
ふざけた思考だ。反吐が出る。
人と仲良くしたくて、でも魔物を捨てもしない。綺麗事にも限度がある。
……けど、そのために血を流し続ける彼の姿はとても綺麗で。
夢と矛盾にまみれた生き物が、どうしてか、私には尊いものに見えてしまったのだ。
私には真似できない、私がずっと昔に捨てたモノを、彼に感じてしまったのだ。
私は嘘がつけない。
だから、もうダメだ。
今さら彼から離れることなんて、出来なくなってしまっている。
――――だから、
「貴方たちの目的に協力するわ」
『良いんですか? 人と敵対することになりますよ?』
「仕方ないじゃない。誰も止める人がいないなら、誰かが止めてあげないと」
損な役回りなのは分かっている。
私は外の世界を知っている。どれだけ恐ろしい敵がいるのかも分かっている。
彼の夢がどれほど無謀なのかも。甘い言葉が通用しない世界なのだとも。
でも、仕方ないのだ。
そうしたいと思ってしまったのだから。
「私が彼の願いを叶えてあげる。彼をまともにしてあげる。だから、邪魔しないで」
女はしばらく無言になる。
そして、一つ良いことを教えてあげます、と話し出した。
『貴方は臨界者です』
「……臨界者?」
『ある地点に到達できる者のことを指します。運命の星に魅入られた、この世界における主役みたいなものです。草十郎や貴方は、臨界者という枠組みに入る生き物になります』
「何よそれ。予知とか占いとか、そういう類の話?」
『貴方たちは運命に守られている。貴方は必ず大成しますよ。それがどのような形なのか、どんな末路を遂げるかは分かりません。けれど、大きな火を熾せる螺旋の繰り手――――他者へ多大な影響を及ぼす生き物なのです』
だから近付けたくはなかったんですけれどと、女は独り言のように呟く。
よく分からない概念だ。英雄になるとでも言われているのだろうか。
ダンジョンコアなどというものは、やはりロクなものではない。
この存在の登場する物語の数は枚挙に暇がない。そしてそのどれもがバッドエンドだ。人の躯の上に立つ、悍ましい悪意の結晶体に他ならない。
こんなのに任せてなんかおけない。
私があの男に、正しい道を歩ませてあげなければならない。
『ここを出て、見知らぬ土地へ行きなさい。そこで私たちのことなど忘れ、普通の生活を積み重ね、他の番いを探しなさい。貴方には幸せな道が他にある。今なら見逃してあげます』
「お断りよ。私は私の心に従うわ」
『一時の感情で火遊びをするつもりならやめなさい。火傷じゃ済みませんよ』
「私がどれだけ考えたと思っているの? 赤の他人に注意されてどうにかなる段階は、とっくに過ぎてるわ」
『……そうですか』
問答は終わりだ。
聞きたいことは聞けた。知りたいことは知った。後は、行動に移すだけだ。
あの大馬鹿者を、なんとかしてあげなくちゃいけない。それも、すぐにだ。
制限時間は分からない。
彼の体に限界が来るのが先か。
それとも、人を殺してしまうのが先か。
もしくは、仲間が殺されてしまうのが先なのか。
どれかの条件を満たした時、彼がどうなってしまうかは想像もつかない。
けれどそこを超えてしまえば、絶対に元には戻せないことだけは分かる。
明日から忙しくなる。
私は暗闇の中、来た道を真っ直ぐに戻った。
◆
誰も居なくなった部屋で、水晶はぽつりと呟く。
その声は、未来への悲壮感に溢れていた。
『……ダンジョンメイカーは、そんな小さな身で止められるほど、簡単な運命は歩めないんです』
『私は、貴方に期待しているんですよ。ほんの少しですけれど』
『草十郎が人の道を踏み外さないでいるためには、貴方みたいな人が必要なんです』
叶うはずのない願いだ。
しかし叶うなら、それに越したことはない。
もう歯車は回り出している。




