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12/十五日目-1

『起きてください草十郎。朝ですよ』


「……午前、五時ぐらいでしょ。まだ夜中じゃないか……」


『お、今日は寝起きがいいですね。早くベッドから出ましょうか』


 ダンジョンメーカー15日目、開始。

 短い睡眠から覚醒する。


 体がまだ休息を求めていた。

 堕落の象徴たるベッドは目の前にあり、先までのぬくもりを保っている。

 あと五分だけでいいから眠らせてくれと思うが、再度潜り込めば昼まで抜け出せないだろう。暗闇の中、鋼の心で布団を畳む。


 手元のカンテラに火を入れる。

 このダンジョンは完全な屋内のため、一切の光がない。コアである水晶は常に電子的な光を放っているものの、彼女は食事の時以外はダンジョンの最奥の部屋に移していた。寝る時には明かりが邪魔になるし、防衛の際は移動が利かないので、基本的にはいつも別の空間にいるのだ。

 窓での購入を行わないのであれば、どこに居たって目も声も機能する。何も不都合はない。一体どういう原理でそんなことをしているのかは分からないが、便利な生き物である。


 小さな太陽が足元を照らしだせば、人工的な朝の始まりだ。

 シャワーを浴び、顔を洗って、着替えを手早く済ませてしまう。

 僕は手元にあった本を何冊か手に取ると、水晶のいる部屋へと散歩がてら歩き出した。


『何か食べますか?』


「軽いものが良いな。後でみんなと一緒に朝食取るだろうし」


『でしたらペースト状にしたささみを、クラッカーにのせてみましょうか』


「原材料名を隠す努力をしろ」


『隠しても気付かれるじゃないですか』


 確かにその通り。すり潰した肉の紛い物など、目を瞑っていても分かってしまう。

 マーマレードジャムが恋しい。ピーナッツバターでもいい。クラッカーにのせるなら、きっと彼らが適任だと思う。


 色々妄想してみるものの、ただの反射的な思考に過ぎない。

 僕は望んで摂食(せっしょく)している。ちょっときついぐらいで根を上げるつもりなど毛頭ない。

 怠惰な食事をしたいという人間的な欲求を、言葉で発散させているだけだ。


 水晶の部屋へ入ると、一段と明るい光が包み込む。


 洞窟内の原始的な明かりはどうも目に優しすぎる。

 太陽とまではいかないが、いっそ刺激的なまでの彼女の光は、ダンジョン生活における一日の始まりの合図でもあった。


「おはよう、水晶」


『おはようございます草十郎。今日も良い一日を』



 軽く腹を満たし、歯を磨き。

 暗闇の洞窟の中、なんとなく牢屋の前へと向かう。


 まだ朝早く――――というか夜中なので、少女は眠っていた。

 昨日は遅かったから当然だろう。ぐっすり夢の中である。

 寝顔はとても可愛らしかった。夜にだけ会えるお姫様みたいだ。ぎゃーすか喋り出す前に、寝顔を拝んでおこう。


 カンテラを足元に置いて、持ってきていた本を開く。


 本はDPで購入したものだ。

 本といっても紙の束を綴じて作られた些末なもので、ちゃちな見た目をしていた。だが内容は確かだ。あらゆる分野に通じる学問の書から、童話、詩編、小説などまで多岐に渡るものが窓には売っている。


 ちなみに、一冊100ptである。高い。中々いい商売してる。

 ただ、本は知識の源だ。現状僕が勉強するには、本を購入するのが一番手っ取り早い。水晶には他にも沢山やることがあるため、僕ばかりに構ってもらう訳にもいかないのだ。


 自習用にと購入した書籍は多岐に渡る。取り合えず、足りていない知識や戦闘術系の指南書を片っ端から読み漁っていた。


 例えば化学の本。

 水晶が一体何で出来ているのか気になったので調べてみようと思ったのだが、元素記号を学ぶところからスタートしなければならない。冊数で言うと十冊以上読み進めなければ水晶の元となる物体への深い理解は得られないと言われた。


 例えば体術の本。

 人間の体の仕組みや筋と関節の関係をおおまかに覚えてから、故にどのような動きが人間には可能で、そのためにどういったトレーニングをするべきなのかが書いてある。非常にタメになるのだが、長いし多い。ただ、日々の訓練に活かせそうなので結構優先的に読んでいる。まだ一冊目の半分である。


 世の中にはまだまだ知らないことが多くて、知らなければならないことが山ほどある。

 時間が足りないなんて、初めて感じる感情だった。



「……何してるの?」


 聞きなれない声に顔を上げれば、アネモネが起きていた。

 牢屋の檻に張り付いて、僕の手元を覗き込むような体勢をとっている。


 ここに座って何時間経過しただろう。

 気付けば部屋中明るくなっていて、皆も起きてきたようだ。活動の音が聞こえる。


 くるりと振り向いて、僕はアネモネに挨拶する。


「おはようアネモネ」


「起きたのはずっと前よ」


「……何してるの?」


「私が聞いてるんだけど」


 お姫様はとっくに眠りから覚めていたようだ。

 魔法もどうやら解けたらしい。あの可愛らしい顔の代わりに、元気な表情が戻ってきていた。


 少しは体調が良くなっただろうか。

 その懐かしさを感じる声を聞いて、思わず笑ってしまう。


「何? 人の顔ばかり見て。質問に答えなさいよ」


「ごめんごめん、本を読んでいたんだ。お勉強だよ」


「勉強?」


「そうさ。僕は頭が悪いから、勉強をしなくちゃいけない」


「バカは大変ね」


 すっ、と。アネモネが手を伸ばしてきた。

 視線を見るに、本を見せろということらしい。


 どうしたものかと少し考えるが、別に読まれても構わないだろう。

 檻を通して、紙の束を手渡す。


 が、断られる。

 再びアネモネの方を見ると、手枷で不自由な両手を見せつけられた。

 私の代わりに捲れということだろう。我儘なお姫様だ。


「……これ、何の本?」


「中学校の数学の参考書」


「面白い?」


「面白いよ。少なくとも前よりは」


 僕は水晶に頼んで、ある程度中学校の内容を教えてもらっていた。


 僕はしばらく、いや長い間、元の世界には戻れない。

 これは事実だ。どれだけ希望的な予測をしても、一ヶ月そこいらじゃ戻れないだろう。


 だから、こちらの世界で勉強をすることにした。

 元の世界に戻った時、少しでも馴染めるようにという苦肉の策だ。


 ゆっくりとページを捲ってやるが、アネモネに首を振られる。


「私、本は嫌いよ。つまらないわ」


「じゃあ何が好き?」


「体を動かすこと! それと、シスターのパンケーキも好きよ!」


 向日葵が咲いたような笑顔で、アネモネは笑って言った。


 元気な子だ。

 世界も時代観も違うだろうが、僕の世界だと活発なタイプの女の子に分類される明るい性格をしている。


「奇遇だね。僕もそっちの方が好きなんだ」


「ならなんで本なんて読んでるの?」


「最近、本も悪くないと思ったんだよ」


 学校の勉強は、あまり好きではなかった。

 そんなに成績は良くない。下から数えた方が早かったから、授業は退屈なものだった。


 でも、考えとは変わるもので。

 教育を受けられない子供たちが知識を求める気持ちが何となく分かるぐらいには、今の僕は勉強が好きである。


 僕は水晶の知能に憧れていた。

 彼女は凄い。僕の知らないことを知っていて、僕じゃ思いつかないようなことを当たり前のように提案してくる。

 そんな彼女になるためには、、義務教育と呼ばれるものぐらいは終わらせなければならないと思った。


 『数学は最も論理的な学問ですからね。哲学や倫理を学ぶ前に、それぐらいは終わらせてもらわないと、何言ってるか分からないでしょうし?』と、彼女は言う。

 つまり、基礎だ。この勉強は基礎的な地盤を整えるためのトレーニングに過ぎない。


 これが終われば、僕は彼女から教えてもらえる。

 そのことを思えば本を読む手が止まらなくなる。


 ただ、アネモネからの同意は得られなかったようだ。

 彼女は可笑しなものを見るような目をしていた。


「ふーん……変なの」


「アネモネには難しいかもね」


 それを聞いて、む、っとアネモネが拗ねた顔をする。


「私だって、アーネルスチアの魔術書ぐらいなら読めるわ」


「アーネルスチア?」


「一人の魔術師よ。誰よりも普通で、誰よりも一般人。そして誰より名の知れた魔術師のこと」


 その人名を呟くアネモネは、どこか不機嫌そうだった。

 この世界のことはよく知らない。著名人かどうかすら、僕には分からなかった。


 だが、いい機会なので質問してみる。


「魔法について、教えてもらえたりできないかな」


「……魔法を学びたいの?」


「残念なことに師がいないんだ。よければ教えてほしい」


 魔法魔法と事あるごとに目にするものの、今まで一度も使ったことがないのである。


 教えてくれる人がいなかった。ゴブリンメイジも特定の魔法しか使えず、しかもモンスターと人間とでは仕組みが違うと断られてしまっている。

 人間の僕が魔法使いになるには、人間の師が必要なのだ。


「水晶から聞いたんだけど、アネモネの身体能力って魔法が関係してるんだよね?」


「……そうよ。今は誰かさんのせいで使えないけどね」


「もしも詳しいんだったら、教えてほしい。対価は払うから」


 流石に手足の枷を解くことは出来ないだろうが、暇を潰す遊び道具ぐらいなら与えても問題ないだろう。

 結構な要求を呑んでもいいぐらいには、魔法は魅力的だ。

 教えてくれるのであれば精一杯報いるつもりだった。


「まぁ、検討しておいてくれ」


「……前向きに善処するわ」


 ただ、アネモネは乗り気じゃなさそうだ。

 色々と会話はしたものの、敵同士の関係である。

 わざわざ塩を送る筋合いはないだろう。


 ちょっと話を急ぎ過ぎた気もするが、話の流れなので仕方ない。

 僕は本を纏めると、腰を上げようとした。


「何しに行くの?」


「朝食と、準備があるんだ。君の分も取ってくるけど、何が食べたい?」


「なんでもいいけど、量が欲しいわ」


「了解。たくさん用意するよ」


「それより、準備って何の準備?」


「ダンジョン防衛さ。このダンジョンには毎日モンスターの敵が来るんだ」


「……そう」


 興味が無くなったのだろう。少女はまたベッドの上へと戻っていった。


 やる事がなくて暇そうだ。魔法の話とは別に、絵本でも差し入れてあげた方がいいかもしれない。

 頑張れば口だけで本も読めるはずだ。不自由ではあるだろうが、退屈を紛らわせるには丁度いいだろう。


 そう言えば、と。

 去り際、何の気なしに少女が呟く。


「どうして私の檻の前にいたの? 監視?」


「起きた時、おはようを言う相手がいないと寂しいだろ?」


「――――何それ、馬鹿みたい」


 子供じゃないわ、と言い残して。

 彼女はもぞもぞと布団にくるまり、動かなくなる。


 うーん羨ましい。二度寝し放題。他にやる事がないから仕方ないのだが。

 食っちゃ寝の生活では不健康的である。速やかに彼女の生活環境には改善が求められていた。


 やる事が多くて忙しい。

 僕は彼女のための食事を取りに、皆のいる部屋へと向かった。

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