5
――さて、暇だ。
夕食後、少女たちは連れ立って入浴に行ってしまった。私の体は代謝を行なっていないため入浴の必要も無い。外因により異臭が発生するならば、最悪の場合真新しい体に全交換することすら可能である。
と、いうわけで自由時間と相成ったのだが、行動の自由までは許可が得られず部屋に軟禁されているというわけだ。
ここが柔らかな風が吹く昼下がりの木陰ならば思索に耽るというのも悪くないのだが、残念ながらここは薄暗い個室である。座っているのも肘置きの付いた安楽椅子ではなく残念ながら折りたたみ式の硬い木製の椅子だった。
……せめて本が欲しい。例え一時的に過ぎずとも時間潰しが出来、読み返して吟味する事も可能な素晴らしい存在が。
ここが学校ならば図書館もきっとあるだろう。この時刻では開いているとは思えないが、明日の夜に備えて仕入れておくのはこの分だと急務であろうと判断される。
それよりも今夜だ。今読むべき何かが欲しい。
私は部屋の物色を開始した。
とは言うもののこの部屋にある本など教科書かエイラの日記くらいしか無い。
物色を終了する。
エイラの日記は元の位置に戻し『魔法学2』と書かれた教科書を手に入れた。2と書かれると1が欲しくなるのが人情というものだが、この数字は学年の年次を表すのだろう。1は恐らくエイラの実家にある。
私は椅子へと戻り、椅子の位置を部屋の隅へ移動させると教科書を開いた。今は寝台にエイラが居ないため扉からの侵入に備える必要は無いのである。
『リステリア魔法憲章』という文字が最初に書かれている。続く文を要約すると「魔法は武器ではない。世の為人の為に使うべく我らが研鑽を積むものだ」という内容だ。
生徒を国の軍部に送り込むべく養成している機関が何を言っているのだろうかと違和感を覚えるが、これは恐らく立ち返るべき初心とも言える誓いなのだろう。初心に現実が追い付かない事例など珍しくも無い。私は次のページを開いた。
◇ ◇ ◇
「帰ったわよー。あれ? 何読んでるの?」
風呂を終えたエイラが戻って来た。腰まであるはずの髪は背中を濡らさぬよう頭の上にまとめられている。読書中の私を見て首を傾げようとしたが、頭上のバランスの関係上断念したようだ。
「魔法学の教科書だ。面白味が無いかと思っていたが、なかなかどうして興味深い――む? どうした?」
ぱたりと教科書を閉じ表紙を見せる。それを確認したエイラの表情は、薄気味悪いものでも見たような引きつったものだった。
「よ、よくそんなモン読む気になるわね……」
その後に何か言葉を続けようとした様だが、エイラはそれを呑み込んでしまった。大方『そんなに暇なのか』とか『読書に教科書を選択する感覚が分からない』とかロクな内容では無かろう。
もっと面白そうな本があれば私も教科書などを選択したりはしないのだが、他に選択肢が無いのだから仕方が無いのだ。
「私には睡眠も必要無い。人の睡眠を邪魔せず夜の時間をやり過ごすのは、読書が1番適した方法だ」
エイラは寝台まで移動し腰掛けると、頭上の髪を解き顔の横に垂らした。そして乾いた大きい布で両側から押さえていく。
髪を乾かす手順というものは、世界が変わろうとも大きく違ったりしないようだ。
「ふーん。食事をとらないだけじゃなくて睡眠もいらないの。ますます人間離れしていくわねぇ」
エイラは手を止めぬまま目線だけをこちらに寄越す。その口調には嫌悪感が感じられず、魔物に対する抵抗の無さが見て取れた。それは魔物全体に対するものなのか、それとも使い魔に限定したものなのかまでは分からない。
私は一度閉じた教科書を再び開き、読んでいた箇所に戻る。
「そもそも人間ではないからな。前提が異なる――そうだ。明日私を図書館へ案内して貰えないだろうか?」
エイラは髪を押さえていた手を止めると少し唸る。明日図書館に行くのは不都合があるのだろうか。
◇ ◇ ◇
「2点、問題があるわ――」
エイラは唸るのを止めると作業を再開し、それと並行して私に回答する。2点もあるのか。
「まずは学園の敷地内に図書館が無いの。学園の門を出て街に降りて行くと、街の入口に図書館があるわ。街の人も利用できるように、っていう理由らしいんだけど。つまり外出許可が要るわけ」
なるほど。生徒だけに限定せず門戸を開いているわけだ。殊勝な心掛けである。しかしそれでは生徒の方が不便なのではないだろうか。
「生徒は別に外出許可なんか要らないわ。許可が必要なのはあなたよ」
……ああ。なるほど。学園長に掛け合う必要があるな。
「2つ目は貸出に身分証明が必要なの。生徒は学生証があるから一緒に行ければ借りてあげられるけど、そう毎日一緒に行けるとは限らないわね」
確かに、図書館からしてみれば紛失のリスクは常につきまとう問題だ。身分証明を持っている相手にしか貸し出したくはないであろうし、そうでなければ管理ができない。
さて、これは困った。この世界の身分証明書など持っているわけがない。
「それも含めカトー氏に相談してみよう。予備知識が不足している現状では解答を導き出せない」
◇ ◇ ◇
「そうしてちょうだい。でもあんまり無理言って困らせちゃダメよ。あたしに返って来そうだし」
髪を乾かす作業を終えたエイラは、寝台を軋ませながら寝具の中へと潜って行った。口調も少し疲れている様だし今日はもう眠るのだろう。私は気を遣い明かりを消してやる。
「あらありがと。でも読めるの?」
「問題無い。目の造りも違うのでな。目が悪くなることも無いから遠慮も要らん」
私は視界を光学感知から魔力感知に切り替えると、折りたたみ椅子を入口扉の前に移動させ読書を再開した。
火属性魔法の解説を読んでいるのだが、初級魔法と中級魔法の境界線が分からない。形成する形状の違いは見れば分かるのだが、どうも根拠が薄いように感じる。
作りやすい丸型の火球は初級だが中級にも丸型の火球を多数作成する魔法が存在する。作成個数に依存するのだろうか。
作りづらい棒状の火の矢を多数作成する魔法は初級だが、同じく棒状の火を1本作成する火の槍は中級魔法だ。
単体命中時の威力に依存するのだろうか。
威力の総計ならば火の矢の方がありそうなものであるし、形成の難易度も操作難易度も火の矢は高そうだが初級に区分されている。これについて解説している箇所は無いだろうか?
――異世界に来て最初の夜は更けていった。
◇ ◇ ◇
「ぶはははははは! ふはっ、はひ。はぁ、はぁ、はぁ」
凄い勢いで笑われてしまった。何も呼吸困難に陥るほど笑わずとも良かろうに。
「あーちょっと笑わせないでよ血圧高いんだからさ。狙ってやってる? 僕命狙われちゃってる?」
カトー氏は懐から綺麗に折り畳まれた紺色の小さな布を取り出し、目元の涙を拭う。当然そんなつもりは毛頭無いが、私としては反応に困る。彼の機嫌を損ねるのは得策ではない。
カトー氏は涙を拭い終え、深呼吸をするとやっと落ち着いた様子だ。そんなに面白かったのだろうか。
「いいよ。外出許可なら僕の権限で出してあげられる。ただし図書館までで市街地への進入はまだ許可できない」
おお。まだ2日目だというのに寛容なことだ。しかしその口ぶりから身分証明に関して陰が射すのが分かる。
「身分証明はね、まぁ君のパターンだと住民票という形になるのかな。これを発行できるのは役人だけなわけだ。学生証の発行とは根本的に違う」
カトー氏は少し眉根を寄せて思案する。そして良い事を思い付いた様子で両手を打ち鳴らすとニヤリと笑った。
……嫌な予感がする。
「いいよ。住民票の申請も僕の方でやっておこう。居住地もこの学園になるわけだし、どの道一筆書く事になるわけだ」
合わされていた両手が離され、右手が形を変えて私を指差す。
「ただし。交換条件として君には役に立ってもらうよ」
ああ、やはりそう来たか。
どのような無理難題を求められるのだろうか、エイラの評判を落とす様な羽目にならなければ良いのだが……。
◇ ◇ ◇
「おや、君はエイレリア君の使い魔だね。おはよう」
依頼の内容は後日――そう告げられエイラ達の居る教室に戻ってきた私を迎えたのは、私の言語取得の対象となった男性教員だった。確かカインズ先生と呼ばれていたはずだ。
生徒たちへ朝の伝達事項を終えた所だったのか、丁度教室から出て来た彼に遭遇したわけである。
「昨日は私の不躾な行動により迷惑を掛けた。苦痛を与えてしまい済まない」
彼の豊富な語彙量は私に不自由の無い会話をもたらしてくれている。それは私にとって非礼を詫びるに値する人物であるということだ。
黙礼する私にカインズ氏は包むような笑顔で応じた。
「いや、君を止められなかった私の修行不足のせいでもある。一概に君を責められやしないさ。それより昨日のアレは言語の習得だったのかい? 前後で見違えるように会話の成立具合が変化して驚いたよ。もし良かったら理論を今度じっくり教えて欲しいな」
魔法言語学の教師が修行をしても語彙がより豊かになるだけで終わってしまうような気もするが、そこはきっと深く掘り下げてはいけない箇所だ。私は彼の要望に了承の意を返すと教室内へと向かった。
◇ ◇ ◇
教室に入ると生徒たちの視線が一瞬集まり、また雑談へと興味が離れて行った。恐らく教師が入って来たと錯覚したのであろう。
私の体格が成人男性を基準に作成されている事と、視界の確保の為やや身長が高めの造りになっている事から、生徒から見れば教師の年代に見えるであろう事が容易に想像できる。
教室内を見回すとエイラたちが手招きしているのを発見。良かった、無事合流できたようだ。
「どう? 外出許可はもらえそう?」
少し心配そうに眉根を寄せ小首を傾げるエイラに私は大きく頷いた。
「うむ。カトー氏曰く外出許可の方は問題無いそうだ。身分証明として住民票の手配も行って貰える事になったが数日掛かると言っていたな」
「住民票――?」
リーゼロッテが私の発言に少し考え込む横で、エイラは対象的な笑顔を見せる。
「良かったじゃない。放課後空いてるから付き合ってあげる。今日は私が代わりに何冊か借りてあげるわ」
「それは助かる。教科書を読み返すのも味気ないと思っていたのだ」
「あなたまさか読破したの。嘘でしょ!?」
人間は睡眠の時間を一瞬だと体感しているらしく、それがどれほど長い時間なのか自覚していない事が多い。いかに読破が大した事ではないかの説明のため口を開こうとした瞬間、真剣な表情でリーゼロッテが質問を投げ掛けてきた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、ポン。もしかして何か交換条件を出されたのではない?」
リーゼロッテは地方領主の娘だ。住民票という単語を聞いてから様子がおかしかったが、その発行と用途に何か思い当たる所があるのだろう。真剣な瞳で見つめてくる。
私は「役に立ってもらう」という表現でカトー氏が何らかの依頼をしてきた旨を伝えてみた。また、その内容が未確定だということも。
「やっぱり……。ポンを何かに使うとなると戦闘要員かしら。なら図書館の正面にあるギルドで何かをさせようと考えているに違いないわ」
ギルド。それは職業毎に作られる情報統制組織の事だったはずだ。私の世界にも有ったが、旅の者に対するものは『有人の掲示板』とでも表現すべき規模のもので、活発に活動していたのは情報屋ギルドくらいのものだった。
私は知識の中からカインズ氏より奪った情報を引き出す。
ふむ。この世界に於いて『ギルド』とは『依頼情報斡旋組合』と表現すべき規模のようだ。各国、各街に大小のギルドが設置されており、そこには冒険者と呼ばれる流れ者たちが集まり日々の糧を得るため依頼をこなすシステムらしい。
そこまでは私の世界のものと大差無いのだが、この世界――イロンレイアでは『信頼』と『階級』の指標が設定されている。依頼をこなせばクレジットと呼ばれる信頼が貯まっていき、一定を超える度にランクと呼ばれる階級が上がるシステムのようだ。そうする事で各人の能力と依頼の難易度をマッチングしやすくする狙いがあるわけだ。よく考えられている。
「でもリーゼ、ポンは使い魔よ? 使い魔が単独で依頼を受けた、なんて話聞いたこと無いわ」
リーゼロッテの予測に首を傾げるエイラ。
リーゼロッテは小さく頭を振った。
「それは普通使い魔がギルドカードを持って無いからよ。だけど住民票を持つなら作成が可能になるわ」
エイラは息を呑んだ。私としてはギルドカードについての解説が欲しかったが、会話の流れからしてそれがあれば単独で依頼を受けられるようになる板状の証明書の類いだと類推する。
どちらにせよエイラが少し口の開いた表情のままこちらを向いているこの状況では非常に質問しづらい。
「が、頑張ってね!」
いや、その話は予測の段階でしか無かろう。拳を握り締めて激励されても反応に困るというものだ。
◇ ◇ ◇
どうやら今日の講義は魔法学らしい。中央塔の最上部に設置された鐘楼より澄んだ音色が響いてから数分で講師が姿を現した。
私がここに居ては講義に集中できないだろう。私は最後列の更に後ろへと移動した。
教室の構造的に後列へ行くほど目線が高くなるとは言え、中程に居れば私の体が後列の視界を遮る可能性があるのだ。
講師は黒い細身の貫頭衣を身に着けた女性だった。袖が無い代わりに黒の長手袋をし、先の尖ったつば広の帽子を被っている。元の世界では見ない変わった格好である。と、言うよりも元の世界にはあれほどの漆黒を出す染料が無い、一体どのような染料を用いて仕上げているのか気になる所だ。
「起立。礼! ――着席」
ほう。講義の際は皆で立ち上がり一礼するらしい。悪くない習慣だ。区切りが分かりやすい分講義に集中できそうである。
「さて、前回はオリエンテーションだったな。今日から教科書に入っていくぞ」
生徒たちが慌て気味に教科書を用意する様子を、講師は帽子のつばから覗く切れ長の黒い瞳で見回した。その途中で私と目が合う。その目が軽く見開かれた。
おや、彼女は確かエイラを強制的に闘技場から連れ出した人物の内、左腕を抱えていた方のはずだ。闘技場に設置されていた障壁に干渉して一瞬で解除し、逸早くエイラに駆け寄り私の周りを障壁で囲むという早業をやってのけた凄腕である。彼女の講義ならば聞く価値があろう。
「ノールド。使い魔の送還は行っていないのか」
講師――検索した知識によると担当はミレニアム女史という名前のはずだ。彼女の言葉にエイラが慌てる。
「あ、はい! 召喚元が異世界だったせいか送還が不可能です。目の届く所で管理するため仕方なく教室に置いています」
はて、私は単独で教室に来たはずだが。
『学園長にお願いしに行った後ちゃんと教室に来るのよ』というあの指示を管理と呼ぶなら私はきっと管理されている状態なのであろう。
「そうか。授業の邪魔をしないのならば構わんが、邪魔になるようなら地下牢行きだ。注意するように」
その地下牢はさぞ魔法対策が万全に違いない。
そんな場所の世話になるのは御免被りたいものである。
元より騒ぐ気など無いが、私は大人しく見学する決意を固めた。
◇ ◇ ◇
「――以上が火属性の主な中級魔法になる。ここまでで何か質問のある者は居るか」
ミレニアム女史は生徒たちを見回す。
質問というものは一通り分かっている者には必要なく、また分かっていない者には思い付けないものだ。案の定生徒たちの手が挙がることは無かった。
「ふむ。ならば君らの理解度を試させてもらう。――ではランバート。そうだな、中級魔法の定義を答えよ」
指名を受けフェリシアが立ち上がる。それに伴い通路を挟んでやや斜め前に座っているキュリオから警戒と殺気が少量放たれた。
いや、確かに立ち上がる事で的になりやすい体勢にはなったがそもそも襲撃者が居ないであろうに。過保護なことである。
中級魔法の定義。それは私も知りたい所だ。
私はフェリシアに注目した。
「中級魔法の定義は詠唱の難易度にあります。比較的短く発音もしやすい初級魔法に比べ、詠唱の発音時間が長くかつ発音も難しいものが中級魔法に分類されます」
ああ、確かにそれは章の冒頭部分に書いてあったな。「何を当たり前の事を」と読み流してしまっていたが、確かに分類するならばそういう観点になるのは人間にとって自然な事だ。
私にとっては魔力を操作すれば火にもなる、くらいの感覚なので詠唱という概念が無い。人間はそれを聞いて「その感覚は分からない」と言うが、私からしてみれば人間が意識せずに休む事なく呼吸をする感覚の方が余程分からない。
生きるために最低限必要なのだから当たり前、という説明をされた事があるが、吸魔である私が魔力を扱えるのも全く同じ理由である以上確かに説明しろと言われても回答に窮する議題であるのも理解できる。
「ほう。予習はしてきた様だな、感心感心。では次ノールド」
フェリシアの隣のエイラが指名された。呑気にフェリシアへ指先で音の鳴らない拍手をしている場合では無かった様だ。
手を合わせた体勢のまま蒼白になりミレニアム女史を見ていたが、羽の様に優雅に着席するフェリシアとは対照的に機械的な動きでゆっくりとエイラは立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「中級魔法の詠唱は何節の詠唱を行うものが最も多いか答えよ」
ミレニアム女史の問いは基礎的なものだった。その程度の質問ならば教科書を斜め読みしていても想像がつく。
だがエイラにとっては未知の領域だったようだ。何しろ予習するどころか、教科書を読んでいたのは私の方なのだから知っているはずも無い。
エイラは私の方をちらりと見た。涙目になり大量の冷や汗をかいている。助けて欲しそうな顔だが残念ながら距離が遠い。直接的な手段は使えなさそうだ。
分からないならば降参すれば良さそうなものだが、自尊心がそれを許さないのか、それとも降参による不利益がエイラに発生するためできないのか判断の難しいところである。後者の可能性がある以上使い魔としては助けるのが望ましいか。
私は壁に体重を預けた腕組みの姿勢のまま少量の魔力を放出した。それを伝達物質代わりに主人へと回線を繋ぐ。
《5節だ。5節と回答しろ》
「はい!?」
突如頭の中に響いたであろう声にエイラは裏返った声を出す。しまった。気付かれただろうか。
ここで私が教師の方を見れば私が何かしたと白状したようなものなので努めて平静にエイラを眺めたままに留める。
「聞き取れなかったのか? 中級魔法の詠唱は何節のものが多いか、という問いだ」
「すみません! ご、5節です!」
即答するエイラの様子に、ミレニアム女史は横目で私に睨みを利かせると溜め息を吐いた。
「よろしい。着席しろ。これからも予習を怠らないように」
ああ、これは勘付かれた。教室内の魔力濃度の変化を気取られたのかも知れない。やはり彼女は優秀な魔法使いの様だ。
◇ ◇ ◇
――中央塔の鐘が鳴る。昼食の時間まで折り返しという辺りの時刻だが休憩時間だろうか。
「今日の魔法学はここまで。次回は水属性の中級魔法についての講義を行う。予習しておくように」
なるほど。1日中魔法学なのではなく区切り毎に様々な講義が行われるという方式の様だ。ミレニアム女史は思い出したように私へと視線を向け再び口を開いた。
「ポンと言ったか、使い魔。2限目はカインズ先生の魔法言語学だ。同様に大人しくしていろよ。貴様が無害である限りは我らもそうなのだと心得よ。――あとあまり主人を甘やかすのは良くない。厳しさもまた教育なのだからな」
私は頷きで回答する。やはり露見していたか。
終了の区切りに礼を行い、ミレニアム女史は教室を去って行った。観察力と鋭敏な感覚、そして的確な助言。彼女は魔法使いとしてだけではなく教育者としても優秀な様だ。
「ちょっとポン! さっきのアレ何だったの!?」
エイラが早足で近寄って来た。感謝の言葉が出て来るかと思っていたが、慣れない現象への興味の方が勝ったらしい。
「あれは念話という技術だ。魔力により思念を伝えることができる」
一見便利な能力に聞こえるが、繊細な技術のため視界に入っている相手にしか使えない、もしくは視界の外の正確に位置が分かる近距離の相手にしか使えないなど制約も多く、性能としては伝声管と大して変わらない。設置費用が掛からない分念話の方が経済的だろうか。
「そんなの使えるのね。っていうか使えるならもっと早く助けなさいよ!」
何と理不尽な主人だろう。やはり主人を甘やかすのは良くないようだ。教師の助言の何と的確なことか。
「残念ながら先生には気付かれていたな。教室内に放出した魔力を感知されたようだ。次の授業では助けられそうにないので予習しておくことを強く奨める」
エイラは楽しそうに笑い『今日当てられたんだからしばらく大丈夫よ』と言いながら振り返ると皆の所へ戻って行った。そう油断している事すら先方に読まれている気がするのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
次は主人を甘やかさないと心に誓い、私は次の授業が始まるのを待つことにした。
◇ ◇ ◇
2限目の始まりを告げる鐘が鳴り、カインズ氏が入って来た。
長めの黒いざんばら髪が細い目を少し隠しており、着ているゆったりとした焦げ茶色のローブと相まって落ち着いた雰囲気を周囲に与える人物だ。
「起立。礼! ――着席」
礼が行われ、2限目が始まった。先程から同じ生徒が号令を掛けているが、恐らく彼がそういう役割を担っているのであろう。それが継続的であるのか、それとも日によって担当が変わるのか、今度注視してみよう。
「皆さん1限目お疲れ様でした。お腹が空いてくる辛い時間だと思いますが、もう少し我慢して下さいね」
そう言ってカインズ氏は目尻を下げる。
それを聞いた生徒たちの肩の力が抜けたのが一番後ろからでも感じ取れた。
なるほど、そういう教育方針なのだな。この教室の担当教師が彼で良かった。
「では教科書を開いて下さい。今日は火属性中級魔法の詠唱の内容について学んでいきます」
なるほど、魔法学で魔法理論を学び魔法言語学で詠唱を学ぶという流れなわけだ。その後実技練習があれば完璧なのだが、それは昼からあるのかも知れない。カインズ氏の説明が始まった。
◇ ◇ ◇
「まず火球乱舞の詠唱は『イル・カーネ・ウェイヤ・マルス・ソチュイア』です」
やはり魔法言語学とは詠唱で使用している神の言語を読み解いていく学問らしい。
カインズ氏は音を表す文字で詠唱を黒板に書き連ねていく。ちなみに魔力を練っていない状態のためか発音された詠唱は詠唱としての効果を持っていないようだ。
「それに対して火槍の詠唱は『イル・カーナ・ウェイヤ・ホーラ・エイド』となります。この『イル』の部分は中級魔法に共通する詠唱ですので、相手が何級の魔法を使おうとしているか判別する際に役立ちますから憶えておくように」
ふむ、確かにそれは役に立ちそうだ。
「では『イル』は何を表すかと言いますと、『私は』や『我』という説が有力です。少なくともそういう文脈になります」
……おや? 彼らは神の言語を完全に理解して使用しているのでは無い様だ。経験則として理解しているに過ぎないらしい。
試しに私は挙手をしてみる。使い魔である私の授業への参加を彼は認めてくれるだろうか。
「そして次の……ポンさん。どうしましたか?」
背後の黒板に書こうとする動作を止め、カインズ氏は私を指名し首を傾げる。特に授業から排除する意思はないようだ。
私は少し安堵しながら口を開いた。
「この世界で使用されている詠唱は『神の言語』と私が勝手に呼んでいる代物だ。『イル』は厳密には『私』という意味では無い。場所を表す『ここ』もしくは『これ』という意味になる。神の言語は一人称が『ここ』、二人称が『そこ』と場所で表現されるのが特徴だ。知らない様子だったので口を挟ませて貰った。差し出口すまない」
カインズ氏は私の台詞を真面目に聞き、途中から口を開けて聞き入り始め、最後には俯いてしまった。
そして細かく震え出す。
――これは怒らせてしまっただろうか。
◇ ◇ ◇
「こっ……こっ……こっ……」
カインズ氏は俯いたまま震えている。
少し心配になってきた。倒れなければ良いが。
見守る生徒たちの目の前で、前屈みになっていた頭をやおら勢いよく上げるカインズ氏。つぶらな瞳が爛々と輝いている。どうやら怒っているわけではなさそうだ。
「これは大変な発見です! 確かに! その説明で今まで謎とされてきた文脈がいくつも解決します! ああ! なぜ今までそれに気付かなかったのか! ああ! こうしちゃ居られない! ああ!」
そう言いながらフラフラと教室から出て行ってしまった。
どうやら教育者としての使命よりも研究者としての探究心の方が勝ってしまったらしい。
気持ちは分からんでもないが困ったものである。
恐らくこの授業は魔法学の授業と連動している。
魔法言語学の授業だけ進行度が遅れてしまうのはあまり歓迎できない状況なのだ。
その状況を招いてしまった張本人としては責任を取ってカインズ氏を連れ戻すべきなのだろうが、私が主人の元を離れて学園内を行動するのはそれはそれで問題である。
私が困っているとエイラたち3名の少女が近寄ってきた。
エイラは満面の笑みで右手の親指を立て突き出す。
「ポン! よくやったわ!」
「褒めてどうするの。授業台無しじゃない」
頭が痛そうに右手でこめかみを押さえながらリーゼロッテが諌めた。腰に当てた左腕が美しい角度を描いている所を見るに、彼女はこの3人の中で姉御肌な役割が板についている様だ。
◇ ◇ ◇
「それではポンさんが授業の続きをされてはいかがでしょう」
突飛な事を言い出したのはフェリシアだ。カインズ氏を連れ戻すことは諦め、授業が遅れぬよう進めてしまおうという発想である。その表情はいつも浮かべている柔和な笑みであり何かを企んでいるようには見えない。
「ポンさんは詠唱の内容をご存知のようですし、代役として適任だと思います。カインズ先生も明日までには正気に戻られるでしょう。代役と言っても今だけの話です」
「ふーむ。それ良いわね。採用!」
リーゼロッテが右手の人差し指を立てた。どうやら決定権は私には無いらしい。「自習がいい」とエイラが奮闘していたがそれも敢えなく却下されてしまった。
私は仕方なく教壇へ向かう。
それにしても成り行きとはいえおかしな事になった。魔物である私が人間に対し講義を行うとは……。
かつて個人的に手ほどきを行なったり、悪者に対し説教をしたことはあるが講義の経験は無い。ある意味貴重な体験であると言えよう。
「ほらみんな席に戻って! 授業の続きよ!」
リーゼロッテが手を叩きながら男子生徒たちを追い立てる。大部分が特に逆らう事も無く席へと戻る中、数名が従わずにいるようだ。
「田舎者風情が偉そうに――!」
数名の少年たちの内、中央に立っている少し身なりの良い少年が忌々しげに吐き捨てた。地方領主の娘を田舎者呼ばわりするということは首都の貴族の子息か何かであろうか。
元の世界では地方領主の地位は決して低いものではなかった。その地方に於いては王様なのだから当然である。
その姫君相手に威勢の良い事だと思うが、この感覚は元の世界での感覚であるため何とも言えない。首都の貴族などに対する特別待遇が無いとは言いきれないのだ。
とはいえこの状況を放置するのは良くない。トラブルの気配を察してキュリオが再び薄っすらと殺気を放ち始めた。見るとさり気なく通路へ左足を出している。いつでも飛び出せるよう尋常ではない瞬発力が左足に込められているのが見て取れた。仕事熱心なことだ。
――私は教室内へ魔力の散布を開始する。
◇ ◇ ◇
「何だ――体が動かない!? お、うおっ、うわぁ!?」
その現象は着席を拒否した男子生徒たちだけに発生した。体の自由を奪われた少年たちは固まった姿勢のまま空中に運ばれ、元の席へと戻されたのだ。
散布した魔力を硬化させることで少年たちを拘束し、その体にまとわせた殻ごと支配して移動させたというのがカラクリである。
ちなみに魔術ではなく魔力を扱った只の力業だ。
魔力を浸透させて支配するこの技術は、対象として直接触れている無生物に限られるというのが基本だ。しかし密閉された空間に魔力を充満させることで支配の指示を伝播させることが可能となる。
また、操ることの難しい自我を持つものに対しては周囲を硬化してしまえばこのように操り人形のような芸当が可能なのだ。
――密閉された空間以外だと散布した魔力が風で流され支配が簡単に解けてしまうので、使い勝手としては今一つだったりする。
「さて。席に戻ってもらったところで講義といこう」
私は教壇の中央から生徒たちを見回す。何が起きたのか分からず困惑した表情の者が大半だ。魔力を直接扱う技術は吸魔特有のものである、知らない現象なのも無理はない。
◇ ◇ ◇
吸魔が特別なのではない。
水棲の魔物は水を操る、火山の魔物は火を吐く、魔力生命体は魔力を操る。当たり前の話なのだ。
ただ人間の尺度で考えた際に想像できないだけだ。
「では先ず、カインズ氏の残した2つの魔法の詠唱の内容を解説しよう。ああ、私は講義をした経験が無い。先に断っておくが面白い授業になるとは思わないで欲しい。あくまで説明程度が私の技術的限界だ」
私は黒板へと近付く。
「この火球乱舞『イル・カーネ・ウェイヤ・マルス・ソチュイア』という詠唱だが、『此処は・其処らに与える・炎の・球形の・暴虐を』という意味になる。『カーネ』は複数形である事が読み取れると思うが、これは火球の作成個数を指定する言葉であって攻撃対象を表しているわけではない。よって単体相手にも使用が可能だ」
さらに火槍の詠唱の一部分を指し解説を続ける。
「同様にこの『カーナ』の部分は単数形になる。『其処に与える』という意味だ。共通する『ウェイヤ』は『炎の』、『ホーラ』は『棒の形をした』、『エイド』は『槍撃を』という意味だ」
生徒を見るとフェリシアが手を挙げている。何か質問があるのだろうか。私は指名し発言を促した。
「ポンさん。できれば黒板に書きながら説明して欲しいです。ちょっと早くて覚えきれないので」
他の生徒も数名頷いている。
――なるほど、難しいものだ。
◇ ◇ ◇
私は黒板に書かれていた2つの詠唱の下に意味を書き加えていく。
カインズ氏が最初の解説にこれらの詠唱を用いたのは、この2つが比較的似ており対比が容易だからであろう。これも教える上でのテクニックなのかと感心する。
書き終えた私は振り向き生徒たちに質問が無いか問い掛けを行った。ミレニアム女史の真似をしてみたわけだ。あの時は誰からも手が挙がらなかったが、今回は意外な事にリーゼロッテが挙手をしている。
「ねえ、火槍の方は『槍撃を』とはっきり動き方の指定があるのに、火球乱舞の方は『暴虐を』と何だか曖昧な感じなのは何でなの?」
私は少し楽しくなって来た。生徒が疑問を持ち、それを解決してやる事で成長する姿を見るのも悪くない。
「ほう。良い所に気付いたな。――この『ソチュイア』が指定する行動は中距離への無差別な着弾だ。逆に言えば攻撃対象を指定できない。攻撃対象を指定する詠唱もあるにはあるが、教科書に載っていない所を見るに2年次で教える範囲ではないのだろう。私から教えるのは控えるつもりだ」
リーゼロッテは納得したのか大きく頷いた。
さて、この調子で説明して行けば昼までにミレニアム女史が進めた範囲まで追い付けそうである。
私は振り向き次の『火柱』の詠唱の解説を黒板へと書き進めた。
◇ ◇ ◇
――中央塔の鐘が鳴った。恐らく昼休憩だ。
空腹からか生徒たちの集中力が切れ始めていたのでこちらとしても助かる。講義の方は何とか予定していた範囲の解説を終える事ができた。
私が講義の終了を宣言すると担当の男子生徒による号令で礼が行われ、無事終了する事ができた。一安心である。
「ポン! お疲れ様! なかなかサマになってたわよ!」
エイラたちが笑顔で近寄って来た。サマになっていなかったら自習になっていたはずなのだが、それに対するお咎めは無いようである。
「それにしても不思議ですね。ポンさんは予測や分析ではなく知識として魔法言語を解説して下さいましたが、神様の言語であるなら誰から教わったのですか?」
フェリシアが小首を傾げる。
もっともな疑問だ。神の言語に教科書などあるわけがない。神の学ぶ学校があるならば教科書もあるだろうが、それは流石に想像できない。
「神に会う機会があったのでな。その際に教わった」
厳密に言うと教わったのではなく知識を奪ったのだが、彼らがどのような宗教観を持っているか分からない以上それを公表するのは止めておく。しかし私の発言は彼らに衝撃を与えるには充分だったようだ。
「か、神様に会った事が!?」
「ふぅん。神様ってどんな姿をしてるのかしら」
「あたしも会ってみたい!」
三者三様の反応だ。エイラの反応を見る限り狂信者の類いはこの中には居ないようだがそのような輩はどこにでも居るものだ、あまり詳しく話すのは良くないかも知れない。
「いずれも無限の魔力を持つ不滅の精神生命体だ。会えても別に願いを叶えてくれるわけではない。畏怖か恐怖のどちらかで精神に異常を来すだろう」
私の台詞に少女たちは夢を壊された子供の様な表情になる。
本当はもう少しだけまともな存在なのだが、連中の我儘に振り回されるような事態にならぬよう彼女たちを導きたいものだ。
◇ ◇ ◇
昼食の時間が過ぎると午後の講義が始まった。
生徒たちは皆、動きやすそうな柔らかい素材の服へ着替えると屋内運動場に移動する。北側の校舎の中央から外側に延びる廊下を渡った先にある円形の建物である。
ただ運動するだけならば中庭でも良さそうなものだが、運動場に過剰なまでの防護魔法が施されているところを見るに、魔法の練習は運動場で行うのが最善の選択なのだろう。
それにしても強度過剰である。校舎が丸々吹き飛ぶほどの爆発が起きたとしてもこの運動場は原型を留めるに違いない。ぜひ緊急時の避難所に指定しておきたいところだ。
強度以外は殺風景な屋内運動場へと入る。外縁部は客席になっているようだ。後列になるほど高い位置から眺めることができる座席配置になっている。
また、それに伴い足元に出来た空間を利用して部屋が設けられているようだが、今回の講義で使用する機会は恐らく無いだろう。
中央部は円形の運動場となっており、見上げると半球形の天井に明かりの魔法が規則的に多数設置されていた。
生徒たちは中央に立つ教師の元へと駆けて行き整列していく。2年次ともなれば手慣れたものなのだろう。私はそれに加わるわけにも行かないので、運動場に入ったところで脇に移動し端から見守ることにする。
「よーし。全員揃ったな! では実技訓練を開始する! 礼!」
突然の号令に生徒たちの反応が遅れるのが見て取れた。それを気にする様子も無く教師は訓練の内容を説明し始める。細かいことは気にしない気質の人物らしい。
生徒たち同様柔らかい素材の服を着てはいるが、内側から盛り上がる筋肉が生地を張り詰めさせているためあまり動きやすそうに見えない格好をした、茶色い短髪の男性教員である。
エイラは彼のことが苦手なのではないかと根拠は無いが確信した。カインズ氏の知識を検索するに、彼の名はヒューリー教官というらしい。冒険者崩れで教師となった元高ランク冒険者だそうだ。
怪我などではなく結婚を転機としている辺り、見た目ほど筋肉優先の思考回路では無いのかも知れない。
◇ ◇ ◇
「では先ず準備運動だ! 内周3周! いくぞ!」
そう宣言するとヒューリー教官は率先して走り出した。生徒たちも戸惑いつつそれに続く。
準備運動は確か柔軟体操のことを指したと思うのだが、何かを行う前にまず走ること自体はそう悪い事ではない。体の緊張を解すには最適である。
居場所と進路が被ったため客席に避難した私を恨めしげに眺めながらエイラが通り過ぎていく。
だが4列縦隊の状況では遅れるわけにもいかないのだろう、私に恨み言を伝える事なく通り過ぎて行った。
……私が言うのも何だが体力は全ての基本だ。頑張って欲しいものだ。
――観客席のすぐ内側を3周走り終えたようだ。
教官は息一つ乱れていないが生徒たちは皆虫の息である。
「よぉし。では訓練本番だ。横1列に並び壁に向かって午前中学んだ魔法を練習するように!」
ヒューリー教官はそう言って壁の一角を指した。
円形に造成してある運動場は観客席との境が壁になっているのだが、一部壁を高く設置している範囲がある。
よく見るとその壁の背後には観客席が無く、的にするような模様が描かれていた。なるほど、あそこを的にして魔法を練習するわけだ。
全体に魔化を施された運動場ならではの風景である。
生徒たちは互いの射線軸が被らぬよう1列に並び魔法の練習を始めた。エイラはと言うと列に並んだは良いが練習を始められずに居るようだ。やはり先日杖を破壊したばかりのため、素手での魔法使用には抵抗があるのだろう。右腕があの杖のように粉砕されない保証など、どこにも無いのだ。
「エイラ。練習はしないのか?」
私は座って見学していた観客席を離れ、主人へと近づく。掛けた声に反応してエイラは振り返った。今にも泣き出してしまいそうな情けない表情だ。自分だけが全く魔法を扱えないというのは魔法学園に於いて相当な劣等感であろう。
「そんな顔をするな……。お前に出来ない事があるのならば私が補助すると言ったであろう。私を頼って良いのだ」
私は地面に片膝をつき目線を合わせると、肩を優しく叩いた。
エイラは一言私の名を呟くと、右の袖で目尻を拭い表情を変える。
「そうね。――ポン! あたしに魔法の使い方を教えなさい」
私は大きく頷きエイラに教授を始める。
「うむ。ではまず魔力を抑える練習を行う」
――やる気を出したはずのエイラの表情が凍りついた。
◇ ◇ ◇
「……ええっ!? 出せてないのに抑えるの!?」
困惑する少女に私は大きく頷く事で返事をする。
「うむ。お前に魔力があり操れるにも関わらず、魔法を上手く放つ事ができないのには理由がある」
私は左手の甲を向けて契約印を見せた。周囲の生徒たちも興味を持ったのか練習の手を止めて眺めている。
「契約の際にエイラの体内の魔力操作を私が補助したのは憶えているだろうか。その時分かった事がある」
エイラは頷いた。
「ええ。何が分かったの……?」
「――エイラは魔力の操作が下手なのだ」
「ぶははははは!」
「分かってるわよそんなこと!」
笑い転げる周囲の生徒たちと憤慨するエイラ。
いや、分かっていない。この話には続きがあるのだ。
◇ ◇ ◇
私は左手を膝に戻し再び居住まいを正した。
「よく聞け。膨大な魔力の一部だけを上手く操作するのは人間にとって難しい技術のようだ。最初から出来るわけが無い。だから練習するのだ」
「ふぇ!? 膨大な何?」
どうやら周囲の笑い声でよく聞き取れなかったらしい。しかし生徒たちも、様子を見に来たヒューリー教官も不穏なワードを聞きとがめたのか静まり返った。私の声がよく響く。
「膨大な――魔力だ。まさか魔王級の魔物を異世界から召喚しておいて、その主人であるお前が普通の魔法使いだと思っていたのか?」
エイラは何か回答しようと口を開閉していたが、今大事な事は反論ではなく事実確認だと気付いたらしい。表情を引き締め、そこから出て来たのは質問だった。
「膨大って言われても分からないわ? 入学して最初にあった魔力測定の結果も別に変な値じゃなかったのよ?」
ほう。そんなシステムがあるのか。
私は少し考える。測定方法をカインズ氏の知識から検索すると、魔力を動力にして魔力量の概算を計測する機械があり、それに杖を当て魔力を放出するというもののようだ。私は立ち上がり腕を組む。
「それに関しては思い当たる原因がある。大方魔力測定の際、エイラは例によって杖を弾けさせてしまったのであろう? それでは測定器に伝わった魔力量は杖に伝達したもののごく一部になるはずだ。――それにも関わらず『変な値ではなかった』というのならば、それこそおかしい」
エイラは唸り始めた。
魔力の扱いが下手なだけだと思っていたのであろう。
そして自身の魔力量が他者より多いという事実を認めるに当たり、どうコメントすれば良いか分からない状況の様だ。
「エイラ凄いじゃない! 大魔法使いも夢じゃないわ!」
「エイラちゃん頑張って」
見るといつの間にかリーゼロッテとフェリシアが笑顔でエイラに寄り添っている。エイラは2人の顔を交互に眺め、感極まった表情になりかけたがグッとこらえて私を見た。
「ポン。改めてお願いするわ。――私に魔法を教えてちょうだい!」
◇ ◇ ◇
魔法の練習を開始する。
魔力量が多すぎて魔力を上手く体内で練る事ができないのならば、魔力量を減らせば良いのだ。適正な魔力量を練る感覚を養うのが一番の近道であろう。
幸いにして私は吸魔だ。
魔力と魔術のエキスパートである。
私はエイラに、体内魔力残量を火球1発分だけ残して除去する旨を伝え実行した。
「ふあ、ふあああ! 何かが抜けていく感覚だわぁぁぁ」
それが魔力だと回答しながら私はエイラの額に当てていた左手を離す。別の見方をすると、これは私にとって食事に該当する行為なのだがそれはあくまで結果論である。他意は無い。
「ふむ、こんなものか……。さてエイラ、的に向かい火球の魔法を使用してみるのだ。他の要因が無ければ問題無く発動するであろう」
エイラは少し疲れた様な表情をしていたが、気丈に頷くと私の横を抜け前へと進み出た。そして3節からなる初級魔法である火球の詠唱を開始する。
「あ、ちょっとマズいかも知れません」
私の背後からフェリシアの呟きが聞こえた。心配せずとも魔力量の調節は完璧である。暴発の危険性は限りなく小さい。
「――ウェイヤ・マルス・ウォルド!」
エイラの構えた右手から、火球が勢いよく放たれ壁の的へと命中して轟音を上げる。壁には跡一つ付いていないが、疑う余地無く魔法は発動できたようだ。ゆっくりと振り返るエイラの顔は驚きと歓喜がない交ぜになった表情に歪んでいた。
「あ、あたし……魔法が――」
それだけ言うと白目を剥いてその場に崩折れる。
「ああっ! やっぱり! 魔力切れです!」
フェリシアが慌てた様子で駆け寄った。
なんと、この世界の人間は魔力切れを起こすと昏倒してしまう様だ。元の世界の人間は魔力が切れたところで問題なく動き回っていたものだが、処変われば勝手が違うものである。
この世界の人間たちにとって、魔力が身体に及ぼす影響はどのような形なのであろうか。昏倒するということは生命活動に対して何らかの役割を担っていると考えるのが自然である。
ならば今の状況はエイラにとってあまり良い状態では無いと考えられる。
ふむ、次から気を付けねばなるまい。
私は反省しつつ、主人の体内へ魔力を補充すべく騒ぎの中心へと歩みを進めた。




