第13話「とても素直に教えてくれましたよ」
いくつかの階段を下り、何度も角を曲がった。
船内の通路の壁や天井にはランタンに似た小さな灯りが取り付けられていた。
どれも白い光を放っているのに炎は見えない。
アリエッタは通り過ぎるたびに灯りを見上げた。
どうして光っているんだろう。
前を歩いていた副船長が大きな扉の前で足を止めた。
扉が開くと、低く唸るような機械音が聞こえてきた。
足元からはかすかな振動が伝わってくる。
広い室内の白い壁や天井には、同じく白く塗られた管が何本も張り巡らされていた。
黄色い作業服を着た機関士たちがあちこちで機械を点検していた。
副船長に続いて室内を進んでいくと、周囲に指示を出していた一人の男が顔を上げた。
「副船長。どうされました?」
少ししゃがれているが、穏やかな声だった。
五十代ほどだろうか。
口元から顎にかけて短い髭を生やし、つるりと禿げた頭には天井の白い灯りが反射していた。
まくり上げた袖からは太い腕が覗き、武骨な指先は黒く汚れていた。
「こちらの方は、船の墜落を防いでくださった魔術師だ」
副船長がヴェリアを紹介した。
男はヴェリアの顔と、その手にある杖を交互に見た。
「……この方が?」
「ヴェリアと申します。こちらは弟子のアリエッタです」
「アリエッタです」
アリエッタが頭を下げると、男も丁寧に一礼した。
「機関長を務めております。それで、魔術師の方がどうしてこちらへ?」
「機関の点検に協力していただくことになった」
機関長の眉がわずかに上がった。
「……魔術師が、機関を?」
「ああ。船長の許可は得ている。作業に加えてほしい」
機関長は副船長を見たあと、もう一度ヴェリアへ目を向けた。
その目には訝しむ色が滲んでいた。
「……船長のご判断でしたら、承知しました」
機関長はそう言ったものの、内心ではあまり納得していないようにアリエッタには思えた。
ヴェリアは気にした様子もなく、にこやかに微笑んでいる。
機関長は表情を変えず、壁際の機械へ向き直った。
「では、まず機関についてご説明します」
「よろしくお願いします」
ヴェリアが頭を下げた。
「ここは左舷の魔力取り込み機関室です。船首の左側にあるエラの内部に当たります」
アリエッタは外から見た船の姿を思い出した。
船首と翼の間には、大きな穴に何枚もの板が嵌められた、魚のエラに似た構造があった。
「この船は魚が水から酸素を取り込むように、風から魔力を取り込んでいます」
機関長は壁に沿って伸びる太い管を指した。
「取り込んだ魔力は、こうした管を通って魔力炉へ送られます。魔力炉から船の各部へ魔力を送り、浮遊翼や推進機関を動かす。そうやってこの船は空を泳いでいるんです」
アリエッタは頭上に張り巡らされた管を見上げた。
太さの異なる何本もの白い管が走っていた。
「船首のエラが吸気口になっているんですね。では、後部のエラは排気口ですか?」
ヴェリアが尋ねた。
「その通りです。取り込んだ風から魔力を抽出し、残った空気を圧縮して後部のエラから噴き出すことで推進力を得ています」
アリエッタは船尾の横にあったエラのような構造を思い出した。
機関長は点検中の機械へ目を向けた。
「クリプスに遭遇した際、船長の指示で魔力の取り込み弁を閉じました。しかし、嵐の勢いに耐えきれず、複数の弁が破損してしまったんです」
機関長はふたたび壁に沿って伸びる管を指した。
「破損した弁から異常な濃度の魔力が流れ込みました。濃すぎる魔力は管の内部で結晶化し、詰まりや破損を引き起こします。また、熱によって部品が焼損することもあります」
機関長は小さく息をついた。
「結晶を取り除き、傷んだ部品を交換すれば修理できます。ただ、故障箇所を一つずつ調べなければなりません」
機関長はうんざりした様子で首を振った。
太い管から何本もの細い管が枝分かれし、天井や機械の陰へと続いていた。
「破損した弁から伸びる管をすべて調べるとなると、左舷だけでも一日以上かかるでしょう」
アリエッタは周囲に張り巡らされた管を見回した。
これだけたくさんの管を一本ずつ調べるのなら、確かに時間がかかりそうだった。
「それなら、故障箇所を探すところだけお手伝いしましょうか?」
ヴェリアが尋ねた。
「探すところ、ですか?」
「ええ。異常のある場所を魔術で見えるようにしてみます」
ヴェリアは杖を軽く掲げた。
機関長は副船長へ目を向けた。
副船長が小さく頷く。
「……分かりました。お願いします」
ヴェリアの杖の先端にある透明な珠が、水色に光り始めた。
ヴェリアは杖をトンと床につけた。
すると、杖の先から無数の水色の光の筋が放射状に走り出した。
光の筋は床を這うように広がり、壁や天井を伝っていく。
管に触れた光は、その周囲に巻きついて輪を作った。
光の輪は左右に分かれ、管の表面をなぞるように走っていった。
アリエッタは光の行方を目で追った。
水色の光は次々と管の奥へ走り去り、見えなくなっていく。
やがて、天井近くの管にぽつりと赤い光が灯った。
続いて壁際の管にも赤い光が灯り、少し離れた箱型の装置にも赤い光が灯った。
水色の光が消えたあとも、三か所の赤い光だけが残っていた。
「赤い光が故障箇所を示しています。異常があるのは三か所のようですね」
ヴェリアが機関長へ目を向けた。
機関長は口を半ば開けたまま、周囲を見回していた。
やがてヴェリアの視線に気づいたのか、はっと顔を向けた。
「赤く光っているところが、異常箇所……ですか?」
「ええ。確認してみますか?」
ヴェリアの言葉に機関長は頷き、天井近くの赤い光へ目を向けた。
「そこの管を確認してくれ」
機関長の指示で、機関士が脚立を運んできた。
脚立に上った機関士が、赤く光る管の裏側を覗き込んだ。
「……破損しています。管に亀裂が入っています」
機関長が顔を上げた。
「取り外して、見せてくれ」
機関士が管の両端の接続部分を外した。
機関長は取り外された管を受け取り、内部を覗き込んだ。
管の中に手を入れ、黒い塊を一つ取り出した。
「これでは魔力炉まで魔力が届かないわけだ」
機関長は取り出した塊をヴェリアに見せた。
「結晶化した魔力です。管の中を塞いでいました」
アリエッタも横から覗き込んだ。
黒く光る塊は表面がごつごつしていて、まるで石のようだった。
「破損した管は交換しよう。両側の管にも結晶が残っていないか確認してくれ」
機関長が指示を出すと、機関士たちが作業に取りかかった。
機関長は続いて、赤く光っている壁際の管へ目を向けた。
「次はあそこを確認してくれ」
別の機関士が管の状態を調べた。
「外側には異常がありません」
「取り外して、中を見てくれ」
機関士が管を取り外し、内部を覗き込んだ。
「……機関長、内側が焼けています」
機関長が管を受け取り、中を確かめた。
アリエッタもそばから覗き込んだ。
管の内側は黒く焼け焦げ、一部が剥がれ落ちていた。
「……高濃度魔力による焼損だな」
機関長は焼けた部分をしばらく見つめた。
「このまま使っていたら、管が焼け落ちていたかもしれん。周囲の機器まで損傷していた可能性もある」
機関長は管を機関士に返した。
「こちらも交換だ。予備の管を持ってきてくれ」
機関士たちが交換作業を始めると、機関長は三つ目の赤い光へ目を向けた。
最後は、壁際にある小さな箱型の装置だった。
「こちらも確認してくれ」
機関士が装置の点検扉を開いた。
開いた扉の奥では、歪んだ金属部品が隣の部品に接触していた。
「機関長、こちらも破損しています」
機関長は装置を覗き込んだ。
「この程度なら補修できるな。歪みを直して、動作を確認してくれ」
機関士が工具を取り出し、作業に取りかかった。
機関長はヴェリアへ目を向けた。
「……ほかにも異常のある場所は見つかりましたか?」
「いいえ。先ほど示した三か所だけのようです」
ヴェリアは微笑んだ。
機関長は修理中の管や装置を見回した。
天井近くでは機関士が新しい管を取り付けていた。
壁際でも、焼損した管の交換が進められている。
小さな箱型の装置では、機関士が歪んだ金属部品を直し、慎重に位置を調整していた。
やがて、管の交換を終えた機関士たちが報告した。
「機関長、管の交換が終わりました」
「よし」
しばらくして、箱型の装置を修理していた機関士も顔を上げた。
「こちらも完了しました」
「よし。計測室で魔力の流れを確認しよう」
機関長のあとについて、アリエッタたちは機関室の奥へ向かった。
扉を抜けると、小さな部屋に出た。
壁には針のついた丸い計器がいくつも並んでいた。
機関長が機関士に目を向けた。
「魔力を流してくれ」
機関士が装置を操作すると、低い唸りが響き、足元に伝わる振動がわずかに強くなった。
計器の針が一斉に動き始めた。
「正常に起動しました」
計器を確認していた機関士が報告した。
「魔力の流れ、圧力ともに異常はありません」
別の機関士からも報告が上がった。
機関長は頷いた。
「しばらく、このまま様子を見よう」
計器の針は小さく揺れながら、一定の位置を保っていた。
十五分ほど経った頃、機関士が報告した。
「異常値の検出はありません。すべて正常です」
「よし。魔力の供給を止めてくれ」
機関士が装置を操作した。
計器の針がゆっくりと戻り、機械の唸りが次第に静まっていった。
機関長がヴェリアと副船長を見た。
「左舷の修理は終了です」
副船長が懐中時計を取り出した。
「……まだ四十分しか経っていない」
副船長は時計を見つめたまま呟いた。
その言葉を聞いて、機関長はヴェリアへ向き直った。
「魔術とは、実に便利なものですね」
機関長は眉尻を下げ、小さく苦笑した。
アリエッタには、その横顔がなんだか寂しそうに見えた。
こんなに早く直ったのに、どうしてだろう。
アリエッタは機関長の顔を見つめた。
「次は右のエラですか?」
ヴェリアが尋ねた。
「ええ。またお願いしてもいいですか?」
「もちろんです」
ヴェリアは穏やかに微笑んだ。
◆◆◆◆◆
一行は計測室を出て、通路を歩き始めた。
アリエッタはヴェリアの後ろについて歩いた。
先頭を歩く機関長の禿頭に、壁や天井の白い灯りが反射していた。
灯りの下を通るたびに白い光が頭の上を滑っていく。
アリエッタはその様子に感心して、しばらく見つめていた。
そのとき、機関長が突然振り返った。
アリエッタはびくっとして、慌てて目を逸らした。
「しかし、驚きました」
機関長の視線はヴェリアに向けられていた。
「私たちが一日がかりで調べるところを、あっという間に見つけてしまうんですからね」
機関長は目を伏せ、小さく苦笑した。
その笑みを見て、アリエッタは先ほど計測室で見た機関長の横顔を思い出した。
「船の構造もご存じないのに、どうしてあれほど正確に故障箇所が分かったんです?」
「私はこの船に訊いただけですよ」
「……船に、ですか?」
機関長が首を傾げた。
アリエッタも首を傾げた。
「ええ。どこが痛いのか教えてくださいって」
ヴェリアは通路の壁にそっと手を添えた。
「とても素直に教えてくれましたよ」
そのまま壁を優しく撫でた。
「この船は、機関士の皆さんのことをとても信頼しているようですね」
ヴェリアはにっこりと微笑んだ。
機関長は目を丸くした。
アリエッタも目を瞬いた。
二人は思わず顔を見合わせた。
やがて機関長はヴェリアへ目を戻し、何か言いかけるように口を開いた。
けれど、結局何も言わなかった。
ただ、口元にかすかな笑みが浮かんだ。
機関長は再び前を向き、歩き始めた。
アリエッタには、その背中がなんだかさっきよりもまっすぐに見えた。




