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いってらっしゃい、アリエッタ  作者: 安部ルシア
第2章 風と飛空船
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第12話「ああ。私がこの船の船長だ」

二人は草原を歩き、着陸した飛空船へと向かった。

青と白の船体が草原の上に長々と伸びていた。

遠くからでも巨大に見えた船は、近づくにつれて、ますます大きくなっていった。

二人が近づいたのは飛空船の後方だった。

船尾からは巨大な尾びれが空へ伸びている。

尾びれの両脇には、大きく開いた穴に何枚もの板を並べてはめ込んだような構造があった。

アリエッタにはそれが魚のエラのように見えた。

エラを過ぎたところで顔を上げると、はるか上に、船体から突き出した建物のような構造物がそびえていた。

おそらく、あそこが船を操る場所なのだろう。

二人は船体の側面に沿って船首へ歩いていった。

足元でさくさくと草を鳴らしながら、アリエッタは船を見上げた。

滑らかな曲線を描く白い船体からは、胸びれのような翼が大きく張り出し、その先端を草原につけていた。

翼を過ぎたところにも、船尾で見たものとよく似たエラのような構造がある。

こちらはさらに大きく、青い板の隙間から覗く内部は、暗くて奥まで見通せなかった。

そこから先は船体が大きく反り上がり、鯨の頭を思わせる巨大な船首へと続いている。

船首の下側には、幾筋もの深い溝が、顎から腹へと伸びるように刻まれていた。

ずいぶん歩いたはずなのに、なかなか船首にたどり着かない。

ようやくその前まで来て、アリエッタは喉をさらすほど顔を上げた。

空を見据える巨大な鯨の前では、自分が小魚にでもなったような気がした。

「大きいですね……」

「そうですねえ」

ヴェリアも船首を見上げ、感心したように頷いた。

そのとき、船首の上に人影が見えた。

「先生、人がいます」

アリエッタは頭上を指さした。

何人もの人が船の上を慌ただしく行き来している。

声を掛け合っているようだが、何を話しているのかまでは聞き取れなかった。

「みなさん、あそこに集まっているようですね」

ヴェリアは甲板からアリエッタへ視線を向けた。

「行ってみましょうか」

「はい」

ヴェリアがアリエッタに手を差し出した。

アリエッタはその手を握った。

ヴェリアが杖を軽く掲げると、二人の足元に柔らかな風が生まれた。

身体がふわりと浮き上がる。

足元の草原がゆっくりと遠ざかっていった。


◆◆◆◆◆


二人は船体に沿って上昇し、その縁を越えた。

奥には白い艦橋が高くそびえていた。

その手前には木の板が敷き詰められた広大な甲板があった。

灰色の作業服を着た船員たちがあちこちで忙しそうに動き回っていた。

「うおっ!」

「おい、あそこ!」

幾人かが宙に浮かぶ二人に気づき、声を上げた。

二人は船首付近の開けた場所へゆっくりと舞い降りた。

靴底が甲板に触れて、こつりと硬い音を立てた。

「こんにちは」

ヴェリアが近くにいた船員たちに声をかけた。

「おい、どこから来た?」

「なんだなんだ?」

船員たちが作業の手を止め、二人の周りに集まってきた。

大勢の船員たちに見つめられて、アリエッタは思わずヴェリアの背後へ隠れた。

ヴェリアはいつもと変わらず、にこやかな表情を浮かべている。

「何の騒ぎだ」

人垣の向こうから低い声がした。

船員たちが一斉に振り向いた。

艦橋の方から二人の男が歩いてくる。

先頭の男は、五十をいくつか越えた年頃に見えた。

日に焼けた顔に、白いものの混じった髪。

広い肩を黒い上着に包んでいた。

もう一人は若い男で、先頭の男の半歩後ろに付き従っていた。

引き締まった体つきで姿勢がよく、鋭い目つきをしていた。

二人が近づくにつれて、船員たちが次々と左右へ分かれていった。

人垣の中央に道が開ける。

二人の男は、その間をゆっくりと歩いてきた。

先頭の男がアリエッタたちの数歩手前で足を止めた。

若い男も半歩後ろで立ち止まる。

騒がしかった甲板がいつの間にか静まり返っていた。

「船長。この二人が突然、空から降りてきまして……」

近くにいた船員が説明した。

「空から?」

船長と呼ばれた男は、まずヴェリアを見て、それから背後に隠れているアリエッタへ視線を移した。

「あなた方は?」

腹に響くような低い声だった。

「私たちは通りがかりの旅の魔術師です。私はヴェリアといいます。こちらは弟子のアリエッタです」

ヴェリアが軽く会釈した。

その背後からアリエッタも顔を出した。

「あ、アリエッタです」

ぺこりと頭を下げた。

「魔術師……」

男はヴェリアの手にした杖へ目を向けた。

「あなたが船長さんですか?」

ヴェリアが尋ねた。

男は静かに頷いた。

「ああ。私がこの船の船長だ」

澄んだ声には、不思議な重みと、決して揺らぐことのない確かさがあった。

「それで魔術師殿。我々に何かご用ですか?」

「先ほど、少し乱暴な着陸をさせてしまったので、皆さんにお怪我がないかと思いまして」

船長の眉がわずかに動いた。

「……それはどういう意味ですか?」

「ちょうど皆さんの船が落ちてくるところに居合わせまして。少々強引なやり方でしたが、軌道を変えさせていただきました」

船長がわずかに目を見開いた。

「……あなたが、この船の軌道を変えたと?」

「ええ」

船長の目が、すっとヴェリアに焦点を結んだ。

「にわかには信じがたい話です」

船長の視線を受けても、ヴェリアは穏やかに微笑んだままだった。

「では、少し実演してみましょうか?」

ヴェリアは杖を軽く掲げた。

「……ええ。見せていただけますか」

「はい。では……」

ヴェリアは腕を軽く伸ばし、杖をまっすぐ立てた。

杖の先端に据えられた透明な珠が淡い緑色に輝く。

ふわりと風が生まれた。

ヴェリアの亜麻色の髪と紅い外套が柔らかく揺れる。

次いで、アリエッタの髪と外套も揺れた。

そよ風は水面の波紋のように、ヴェリアを中心に甲板の上へ広がっていく。

周囲の船員たちの服の裾が次々となびく。

船員たちの間から小さなどよめきが起こった。

何人かが顔を見合わせている。

船長の上着の裾も、そよ風に揺れていた。

しかし、船長自身は微動だにせず、ヴェリアを見つめていた。

「この程度の風なら、普通の魔術師でも……」

船長の半歩後ろに控えていた男が小さく呟いた。

そのとき、足元がかすかに揺れた。

アリエッタは甲板に目を落とした。

何が起きたのか分からなかった。

「おい! 浮いてるぞ!」

船員の一人が声を上げた。

アリエッタは顔を上げ、船縁の向こうへ目を向けた。

遠くに連なる青い山並みが、少しずつ船縁の向こうへ沈んでいく。

飛空船がゆっくりと浮き上がっていた。

「船が浮いてる!」

「嘘だろ?!」

船員たちがざわめき始めた。

何人かが船縁へ駆け寄り、眼下を覗き込んでいる。

「そんな……」

かすれた声が聞こえた。

振り返ると、船長の後ろの若い男が目を見開いていた。

口を半ば開いたまま船縁の向こうを見ていた。

船長は周囲へ視線を走らせていた。

しかし、その顔はヴェリアに向けたままだった。

やがて飛空船の上昇が止まった。

巨大な船体が空中で静止する。

しばらくすると、今度はゆっくりと下降し始めた。

船縁の向こうで、青い山並みが少しずつ姿を現していく。

飛空船は静かに草原へ降り立った。

同時に、甲板を吹き渡っていた風が収まった。

杖の先端に据えられた珠から淡い緑色の光が消えた。

風になびいていたヴェリアの亜麻色の髪と紅い外套がゆっくりと元へ戻った。

アリエッタの髪も静かに肩へ落ちた。

船長たちの方を見ると、若い男は呆然と立ち尽くしていた。

船長は変わらぬ姿勢でヴェリアを見つめていた。

「こんな感じです」

ヴェリアは杖を手元に引き寄せた。

その顔には、それまでと変わらない涼しげな微笑みが浮かんでいた。

船長はしばらく黙っていた。

「……なるほど」

船長は短く息を吐き、草原の向こうへ目を向けた。

「偶然吹いた風とは考えにくいと思っていましたが……」

船長は再びヴェリアを見た。

その表情がふっと和らいだ。

「どうやら礼を言う必要があるようですね」

船長は甲板を見渡した。

周囲にはまだ驚きの収まらない船員たちの姿があった。

「あのままならこの船は地面に叩きつけられていた」

船長はヴェリアへ向き直り、姿勢を正した。

「助かった。船長として礼を言う」

はっきりとした声で告げた。

「皆さんご無事ですか?」

「ええ。身体をぶつけた者は何人かいますが、幸い重傷者はいません。全員の無事を確認しています」

「それはよかったです」

ヴェリアはにっこりと微笑んだ。

「ところで、この船はどちらへ向かっていたんですか?」

「王都です」

「王都……」

ヴェリアは顎に手を添え、視線を落とした。

しばらくして顔を上げた。

「よろしければ、一つお願いがあるのですが」

「何でしょう」

「私たちを王都まで乗せていただけませんか?」

船長の表情がわずかに曇った。

「残念ですが、今は難しい。……この船は、当分飛べそうにありません」

「どこか壊れたんですか?」

「ええ。山越えの途中でひどいクリプスに巻き込まれまして」

アリエッタは首を傾げた。

クリプスとは何だろう。

「クリプス……魔力嵐、ですね」

アリエッタの様子を見たヴェリアが付け加えた。

「ええ」

船長は頷いた。

「どうにか抜けることはできましたが、直後に機関の状態が悪化しました。出力が落ち、舵も利かなくなりました」

「そうだったんですか……」

「今、機関部の者たちに原因を調べさせています」

「復旧までどのくらいかかりそうですか?」

「まだ何とも言えません」

船長は首を横に振った。

「ここには十分な設備も部品もありません。場合によっては、町へ救援を求めることになります」

「それなら、よければ私がお手伝いしましょうか?」

船長の眉がわずかに動いた。

「……飛空船の修理を?」

「はい。見せていただければ、何とかなるかもしれません」

「魔術だけでなく、機関にもお詳しいのですか?」

「実物を見てみないと何とも言えませんけどね」

ヴェリアは船体を見渡した。

「こういう仕組みには、少々覚えがあります」

船長はすぐには応えなかった。

ヴェリアを見つめたまま、しばらく考えているようだった。

アリエッタはヴェリアを見上げた。

ヴェリアはこんなに大きな船まで直せるのだろうか。

「……分かった」

船長が口を開いた。

「まずは見てもらおう。直せるかどうかはそれから判断すればいい」

船長は後ろに控えていた男へ顔を向けた。

「君が案内してくれ。機関長にも話を通しておいてほしい」

「承知しました」

男は短く頷いた。

船長はヴェリアたちへ向き直った。

「彼はこの船の副船長です」

船長が紹介すると、男は一歩進み出て会釈した。

ヴェリアとアリエッタも軽く会釈を返した。

副船長は片腕を上げ、艦橋の方を示した。

「こちらへどうぞ」

副船長が艦橋へ向かって歩き始めた。

ヴェリアとアリエッタもそのあとに続いた。

三人の靴音が長い甲板にこつこつと響いた。

進むにつれて、艦橋が頭上へ大きくせり上がっていく。

アリエッタは思わず足を緩め、そびえ立つ白い艦橋を見上げた。

気がつくと、ヴェリアたちが少し先を歩いていた。

アリエッタは慌てて小走りで二人を追いかけた。

艦橋の脇へ続く通路の先に扉が見えた。

副船長が重そうな扉を開けると、船内からひんやりとした空気が流れ出てきた。

副船長に続いてヴェリアが中へ入っていく。

アリエッタも続いて、飛空船の内部へと足を踏み入れた。


※次回、第13話は10月26日(月)公開予定です。

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