表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強OL、羊に転生する。  作者: 月羽めい
雨の日の羊姫編
PR
7/37

第六話 消える少女

暖炉の火が、ぱちりと小さな音を立てた。


 応接室には穏やかな空気が流れていたが、アーマルだけは笑顔を保ちながら内心では冷や汗を流していた。


(まずい……本当にまずい。)


 窓の外を見るたび、雨脚は確実に弱くなっている。


 さっきまで屋根を激しく叩いていた雨音は、今では静かな雫の音へと変わっていた。


 あと十分か。


 それとも五分か。


 雨が止めば、自分は羊へ戻ってしまう。


 しかも服まで一緒に消えて羊になるため、もしこの部屋で戻れば――。


(説明どころじゃない……!)


 辺境伯夫妻も、ナザールも、使用人たちも大混乱になる。


 異世界で「羊が少女になった」のではなく、「少女が羊になった」と思われても十分大事件だ。


 最悪、魔物や呪いの類と判断される可能性もある。


 アーマルは表情を崩さないよう必死に紅茶へ口をつけた。


 その時だった。


「アーマルさん。」


 ナザールが穏やかな声で話しかける。


「この雨では帰るのも大変でしょう。」


「え?」


「もしよろしければ、今夜は屋敷へ泊まっていきませんか?」


 アーマルは危うく紅茶を吹き出しかけた。


(泊まる!?)


 頭の中で警鐘が鳴り響く。


 そんなことをしたら夜中に羊へ戻る。


 翌朝にはベッドの上に羊が一頭。


 どう考えても怪奇現象である。


「い、いえ! お気遣いなく!」


 思わず大きな声が出た。


 部屋の全員が驚いてアーマルを見る。


「あ……。」


 しまった、と口を押さえる。


「す、すみません。家族が心配しておりますので……。」


 苦しい言い訳だった。


 エルオーニは静かにその様子を見つめている。


(何かを隠している。)


 そう感じたが、無理に聞き出すつもりはなかった。


 誰にでも事情はある。


 恩人に詮索をするほど野暮ではない。


「そういうことなら無理には引き止めん。」


「ありがとうございます。」


 アーマルは深く頭を下げた。


 しかし安心したのも束の間。


 窓の外から差し込む光が、少しだけ明るくなった。


 雲が切れ始めている。


(もう限界……!)


 アーマルは立ち上がった。


「本日はありがとうございました。」


「もう帰るのですか?」


 ナザールの声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。


 その表情を見て、アーマルの胸が締めつけられる。


 本当はもっと話したい。


 もっと一緒にいたい。


 けれど――。


「はい。」


 精いっぱい微笑んだ。


「また、お会いできます。」


 自然とそんな言葉が口をついて出た。


 ナザールも優しく笑い返す。


「ええ。またきっと。」


 その笑顔を胸に焼き付けながら、アーマルは応接室を後にした。


 廊下を歩く。


 だんだんと歩く速度が速くなる。


 屋敷の玄関を抜けると、もう小走りだった。


(急がなきゃ……!)


 使用人が後ろから呼び止める。


「お嬢さん! 傘を!」


「ありがとうございます!」


 傘を受け取る余裕もなく、アーマルは雨の庭を駆け抜けた。


 目指すのは羊小屋。


 あと少し。


 あと少しでたどり着く。


 その時だった。


 雨が止んだ。


 ぽたり、と最後の雨粒が地面へ落ちる。


 雲の隙間から夕日が顔を覗かせ、黄金色の光が草原を照らした。


「……っ!」


 身体が淡く光り始める。


「こんなところで……!」


 アーマルは必死に走る。


 あと十歩。


 あと五歩。


 羊小屋の扉へ飛び込んだ瞬間――。


 眩い光が身体を包んだ。


 白い髪が縮み、細い腕は前脚へ変わる。


 視界が低くなり、声にならない叫びが――


「メェェェッ!」


 一頭の真っ白な羊が、藁の上へころんと転がった。


「はぁ……。」


 もちろん羊なので、本当はため息はつけない。


 それでもアルマは全身の力が抜けた気分だった。


(助かった……。)


 あと数秒遅ければ、屋敷の庭で変身が解けていた。


 想像しただけで恐ろしい。


 安心した途端、お腹が鳴る。


「メェ。」


(アップルパイ、おいしかったなぁ。)


 そんなことを考えていると、小屋の扉が開いた。


「アルマ?」


 聞き慣れた声だった。


 ナザールである。


「ここにいたんだ。」


 彼は優しく笑うと、しゃがみ込んでアルマの頭を撫でた。


「さっき帰っていった女の子に、どこか雰囲気が似ている気がするな。」


「メェッ!?」


 アルマの身体がぴくりと震える。


(ば、ばれてる!?)


 ナザールは首を傾げた。


「いや、気のせいか。」


 そう言って笑う。


 アルマは心の中で胸をなで下ろした。


(危ない……。)


 けれど、気づいてしまった。


 ナザールは、人より少しだけ勘が鋭い。


 羊のアルマと、人間のアーマル。


 二人の間に流れるどこか懐かしい空気を、彼は無意識に感じ取っているのかもしれない。


 アルマはそっとナザールの手に頬をすり寄せた。


 羊として。


 そして、恋する少女として。


 この優しい時間が、ずっと続けばいいと願いながら。


 一方その頃、屋敷の執務室では、エルオーニが盗賊の持ち物を調べていた。


 すると、一枚の紙切れが机の上に置かれる。


 そこには、辺境伯家の見取り図とともに、赤い文字でこう記されていた。


――『第一隊失敗。白髪の少女は想定外。第二隊を送る。』


 エルオーニの表情から笑みが消える。


「……これは、ただの盗賊ではないな。」


 平和だった辺境伯領に、静かに不穏な影が忍び寄っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ