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最強OL、羊に転生する。  作者: 月羽めい
雨の日の羊姫編
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第五話 辺境伯の違和感

パルネリック辺境伯家の応接室には、暖炉の火が静かに揺れていた。


 外では相変わらず雨が降り続き、窓ガラスを叩く雨音が部屋の静けさをより際立たせている。


 アーマルは勧められたソファへ腰を下ろしていた。


 目の前には湯気の立つ紅茶と、焼きたてのアップルパイ。


 甘く香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっている。


「どうぞ、遠慮なさらず。」


 バーバラが優しく微笑んだ。


「ありがとうございます。」


 アーマルは小さく頭を下げ、フォークを手に取る。


 サクッ。


 焼きたての生地が軽やかな音を立てた。


 一口食べる。


 瞬間、思わず目を見開いた。


(お、おいしい……。)


 前世では仕事帰りにコンビニのパンやスーパーの総菜で済ませる日も多かった。


 こんなにも丁寧に作られた温かいお菓子を食べるのは、いつ以来だろう。


 自然と頬が緩む。


「ふふ。」


 バーバラが思わず笑みをこぼした。


「そんなに気に入っていただけて嬉しいです。」


「……すみません。」


「謝ることではありませんよ。」


 そのやり取りを見ていたナザールも嬉しそうに笑っていた。


 その笑顔を見るだけで、アーマルの胸はまた高鳴る。


(落ち着いて……私。)


 心は四十歳。


 見た目は十六歳。


 恋愛経験はゼロ。


 こんな状況を誰が想像しただろう。


 その時だった。


 部屋の扉が静かに開く。


「失礼する。」


 低く落ち着いた声が響いた。


 部屋へ入ってきたのは、一人の壮年の男性。


 黒に近い金髪を後ろへ流し、鋭い碧眼を持つ堂々とした人物だった。


 年齢は四十五歳。


 鍛えられた身体つきからは、今なお剣を振るい続けていることが分かる。


 パルネリック辺境伯――エルオーニ。


 領民から絶大な信頼を集める名君である。


「兄上。」


 ナザールが立ち上がる。


「盗賊の件、お疲れ様。」


 エルオーニは軽く頷くと、ゆっくりアーマルへ視線を向けた。


「君が弟たちを救ってくれた少女だね。」


「……アーマルと申します。」


 アーマルは立ち上がり、一礼した。


 前世で培った社会人としての礼儀は、こういう場面で自然と身体が動く。


「礼儀正しい娘だ。」


 エルオーニは穏やかに微笑む。


 だが、その瞳は笑っていなかった。


(この子……。)


 辺境伯として数多くの人間を見てきた経験がある。


 だから分かる。


 目の前の少女は普通ではない。


 立ち姿。


 重心。


 視線の配り方。


 部屋へ入ってきた瞬間、無意識に出入口と窓、暖炉、家具の配置まで確認していた。


 それは戦場で生きる者の癖だ。


(剣士ではない……。)


 しかし武術の心得は間違いなくある。


 しかも相当な達人。


 それほどの人物が、なぜ名もない旅の少女としてこの辺境へ現れたのか。


「アーマル殿。」


「はい。」


「失礼を承知で聞かせてもらいたい。」


 部屋の空気が少しだけ張り詰める。


「その武術は、どなたに教わった?」


 一瞬だけ、アーマルの呼吸が止まった。


(まずい。)


 前世の話などできるはずがない。


 異世界転生など、信じてもらえるわけがないのだから。


 頭の中で必死に言葉を探す。


「……旅の途中で、お世話になった方です。」


 できるだけ自然に答えた。


 嘘ではある。


 しかし、これ以上の説明はできない。


 エルオーニは静かに頷いた。


「そうか。」


 それ以上は追及しなかった。


 だが疑問は消えない。


 旅人にしては礼儀が洗練されすぎている。


 食事の作法も美しい。


 言葉遣いにも品がある。


(平民には見えない。)


 貴族。


 あるいは、それ以上の教育を受けた人物かもしれない。


 そんなことを考えていると、隣でナザールが嬉しそうに話し始めた。


「兄上、アーマルさんは本当にすごいんです。一人で盗賊を倒してしまったんですよ。」


「聞いている。」


 エルオーニは苦笑した。


「お前は昔から、人を見る目だけは確かだからな。」


「本当に尊敬できる方です。」


 ナザールがそう言った瞬間、アーマルは思わず紅茶を吹きそうになった。


(そ、尊敬!?)


 褒められるのには慣れていない。


 前世では「怖い」「強すぎる」がほとんどだった。


 こんな真っ直ぐな尊敬の眼差しを向けられたことなど、一度もない。


 顔が熱くなる。


 思わずカップで口元を隠した。


 その様子を見たバーバラが、くすりと笑う。


(可愛らしい子。)


 強いのに、照れ屋。


 そのギャップが微笑ましかった。


 穏やかな時間が流れる中、外では雨が少しずつ弱まり始めていた。


 窓ガラスを流れる雨粒が細くなっていく。


 その様子に気づいたアーマルの表情が、わずかに強張る。


(まずい……。)


 雨が止めば、自分は羊へ戻ってしまう。


 この屋敷の中で。


 それだけは、絶対に避けなければならない。


 アーマルは窓の外を見つめながら、小さく拳を握った。


 ――彼女の秘密を守るための、もう一つの戦いが始まろうとしていた。

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