第四話 白髪の少女、アーマル
雨はなおも静かに降り続いていた。
屋敷の中庭には倒れた盗賊たちが縄で縛られ、駆けつけた兵士たちによって次々と連行されていく。
使用人たちは口々に「助かった」「危ないところだった」と胸を撫で下ろしながら、雨の中で佇む白髪の少女へ感謝の視線を向けていた。
少女――アーマルは、その視線が少しだけ苦手だった。
前世でも目立つことは好きではなかった。
格闘技の大会で優勝しても、取材はすべて断り、会社では「少し運動が得意な人」を演じ続けていた。
だから今も、本当は誰にも知られず立ち去るつもりだった。
「お待ちください。」
優しい声が背中を引き止める。
振り返ると、ナザールがゆっくりと近づいてきていた。
雨に濡れないよう使用人が傘を差しかけているが、本人はそんなことも気にしていない様子だった。
「あなたのおかげで、皆が助かりました。」
そう言って深く頭を下げる。
辺境伯家の次男という立場でありながら、命の恩人に対して何の迷いもなく礼を尽くす姿に、アーマルは思わず目を見開いた。
(この人、本当に優しい……。)
前世では、力を見せれば恐れられることの方が多かった。
「強い女性はちょっと……」
「守られる側でいたいから」
そんな言葉を何度聞いただろう。
だからこそ、目の前の青年のまっすぐな感謝が胸に染みた。
「顔を上げてください。」
アーマルは少し慌てながら言う。
「私は偶然通りかかっただけです。」
「それでも、命を懸けて盗賊と戦ってくださった。」
ナザールは穏やかに微笑む。
「ありがとうございました。」
その笑顔に、アーマルの心臓がどきりと跳ねた。
(だめ……そんな笑顔、反則だよ。)
羊の姿で毎日見ているはずなのに、人間同士として向けられる笑顔はまったく違って見える。
思わず顔が熱くなり、視線を逸らした。
その様子を見ていた一人の女性が、くすりと笑う。
「ナザール様。」
穏やかな声とともに現れたのは、淡い茶色の髪を上品にまとめた美しい女性だった。
辺境伯夫人、バーバラ・パルネリック。
「こちらのお嬢さんを雨の中に立たせたままでは失礼ですよ。」
「あっ、そうでした!」
ナザールは慌てたように頷く。
「申し訳ありません。よろしければ屋敷で温かいお茶でもいかがでしょう。」
「えっ?」
アーマルは固まった。
(屋敷の中!?)
心の中で盛大に叫ぶ。
人間でいられるのは雨が降っている間だけ。
もし途中で雨が止めば――
羊に戻る。
それも屋敷のど真ん中で。
(それだけは絶対に駄目!)
「お気持ちだけで十分です。」
慌てて断ろうとした、その時。
ゴロゴロ……
遠くで雷が鳴った。
続いて雨脚が一気に強くなる。
屋根を打つ音が大きくなり、庭の石畳が白く煙るほどの土砂降りになった。
バーバラは空を見上げて微笑む。
「しばらく止みそうにありませんね。」
(うぅ……。)
これは断れない。
しかも、しばらく雨が続くなら、人間の姿は保てる。
アーマルは観念したように小さく息を吐いた。
「……では、お言葉に甘えます。」
「ありがとうございます。」
ナザールは心から嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間。
(かわいい……。)
アーマルは思わず胸を押さえる。
(違う違う! 十九歳の男性に『かわいい』って何を考えてるの私!)
前世四十歳。
今は見た目十六歳。
心の中では大混乱だった。
屋敷へ案内されながら、アーマルは必死に平静を装う。
しかし、廊下を歩くたびにナザールとの距離が近づき、そのたびに鼓動は速くなる。
一方のナザールもまた、不思議な感覚を覚えていた。
白い髪。
優しい声。
初めて会ったはずなのに、なぜか懐かしい。
どこかで会ったことがあるような安心感。
(……不思議な人だ。)
その時だった。
アーマルのお腹から、小さな音が響く。
ぐぅ~……。
静まり返った廊下に、思いのほか大きく響いてしまった。
「…………。」
アーマルはその場で固まる。
耳まで真っ赤になった。
(終わった……。)
恥ずかしさのあまり、今すぐ羊に戻って逃げ出したい。
だが、ナザールは笑わなかった。
「盗賊と戦って、お腹が空いたんですね。」
そう言って優しく笑う。
「今日は料理長が焼きたてのアップルパイを作ってくれたんです。ぜひ召し上がってください。」
「……はい。」
小さく頷きながら、アーマルは心の中で叫んだ。
(好き……。)
それはもう、どうしようもないほど。
羊として毎日抱いていた想いは、人間として言葉を交わしたことで、さらに大きく膨らみ始めていた。
しかし彼女はまだ知らない。
この屋敷には、もう一人――。
彼女の正体に、ほんの少しだけ違和感を抱き始めた人物がいることを。
その人物こそ、ダザール王国随一の知将と謳われる辺境伯、エルオーニ・パルネリックだった。




