表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強OL、羊に転生する。  作者: 月羽めい
雨の日の羊姫編
PR
3/37

第二話 雨の日だけの少女

昼下がりを過ぎる頃、パルネリック辺境伯領の空はゆっくりと表情を変え始めていた。


朝にはあれほど澄み渡っていた青空は、いつしか灰色の雲に覆われ、草原を渡る風には雨の匂いが混じり始める。


屋敷で働く使用人たちは空を見上げながら、「今日は降りそうですね」と口々に話していた。


羊小屋の前では、ナザールが一頭一頭の羊を柵の中へ戻している。


「今日は早めに小屋へ入ろう。濡れると風邪を引いてしまうからね。」


優しい声に導かれるように羊たちは小屋へ戻っていく。


最後に残ったのはアルマだけだった。


「アルマ、おいで。」


「メェ。」


アルマはゆっくりと歩き、ナザールのもとへ近づく。


頭を優しく撫でられると、胸の奥がぽかぽかと温かくなった。


(このままずっと一緒にいたい……。)


そんな願いを胸に抱いた瞬間だった。


ぽつり。


冷たい雨粒がアルマの鼻先へ落ちた。


続いてもう一粒。


空から降る雨は少しずつ勢いを増し、草原を静かに濡らしていく。


「降ってきたか。」


ナザールは羊小屋の扉を閉めながら微笑んだ。


「少し仕事があるから屋敷へ戻るね。雨が止んだらまた来るよ。」


そう言ってアルマの頭を軽く撫でると、屋敷へ向かって歩き出した。


アルマはその背中を見送りながら、小さく鳴く。


「メェ……。」


姿が見えなくなるまで、ずっと。


やがて足音も遠ざかり、羊小屋には雨音だけが残った。


静寂が訪れる。


アルマは周囲を慎重に見回した。


誰もいない。


使用人の気配もない。


窓の外にも人影は見当たらなかった。


「……今なら。」


その瞬間だった。


身体の奥から、温かな光が溢れ出す。


真っ白な毛並みが淡い光に包まれ、ふわりと宙へ舞う。


四本脚だった身体は細く長い二本の足へ変わり、小さな蹄は白く美しい指先へ。


短かった首はしなやかに伸び、羊の顔立ちは人間の少女の姿へと変わっていく。


数秒後。


光が静かに消える。


そこに立っていたのは、一人の少女だった。


腰まで届く雪のような白い髪。


透き通るような白い肌。


桜色に輝く大きな瞳。


年の頃は十六歳ほど。


可憐さと神秘的な美しさを兼ね備えた少女は、自分の両手をじっと見つめ、小さく息を吐いた。


「今日も……人間になれた。」


少女――アーマルは、指をゆっくりと握ったり開いたりする。


羊ではできなかった動作。


それだけで少し嬉しくなる。


「やっぱり指があるって便利。」


思わず笑みがこぼれた。


歩いてみる。


軽く跳ねてみる。


その場で一回転する。


何度経験しても、人間の身体に戻るたび、不思議な感覚に包まれる。


もっとも、この姿でいられるのは雨が降っている間だけ。


雨が止めば、再び羊へ戻ってしまう。


だからこそ、この時間はアルマにとってかけがえのない宝物だった。


「少しだけ外に出ようかな。」


羊小屋の扉をそっと開ける。


冷たい雨が頬に触れる。


雨に濡れた草原は幻想的な景色へと変わっていた。


草花には水滴が光り、小川には雨粒が波紋を描いている。


「綺麗……。」


前世では、雨の日は嫌いだった。


満員電車。


濡れたスーツ。


重くなる荷物。


嫌な思い出ばかりだった。


でも、この世界では違う。


雨の日だけは、人間になれる。


だから今では、一番好きな天気だった。


その時、屋敷の方からかすかな物音が聞こえた。


ガタン――。


「……?」


風で何か倒れたのだろうか。


そう思った矢先、今度は低い男たちの声が耳に届く。


「裏口から入れ。」


「見張りはいない。」


「目当ては金庫だけだ。」


アーマルの表情から笑みが消えた。


聞き間違いではない。


男たちの声には、明らかな殺気が混じっていた。


彼女は静かに物陰へ身を隠し、屋敷の裏を覗き込む。


黒い外套をまとった男が三人。


さらに塀の向こうには数人の仲間が待機している。


盗賊だった。


雨で警備が手薄になるのを狙って侵入してきたのだ。


「まさか……今日?」


アーマルは唇を噛む。


屋敷にはエルオーニやバーバラ、使用人たちもいる。


そして何より――


ナザールがいる。


胸の奥で何かが熱く燃え上がった。


「絶対に……守る。」


その瞬間、前世の田辺ミオとしての感覚が目を覚ます。


呼吸が整う。


視界が広がる。


敵との距離。


人数。


逃走経路。


一瞬で頭の中に情報が組み立てられていく。


最強の格闘家だった頃の自分が、静かに戻ってきた。


アーマルは雨に濡れる白い髪をなびかせながら、小さく微笑む。


「羊だからって、甘く見ないでね。」


そう呟くと、彼女は音もなく屋敷へ向かって駆け出した。


雨の中を走るその姿は、まるで白い風そのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ