第二十話 選ばれし者、マランナ
銀色の指輪――マランナは、まるで意志を持つように宙を舞った。
青白い光の軌跡を描きながら、アーマルの左手の薬指へ静かにはまる。
カチリ。
その瞬間だった。
神殿全体を包み込むほどの純白の光が溢れ出す。
「眩しい!」
騎士たちは思わず目を覆った。
エルオーニも腕で光を遮りながら祭壇を見つめる。
光の中心では、アーマルの白い髪がふわりと宙へ舞い上がっていた。
指輪の乳白色の宝石は心臓の鼓動に合わせるように明滅し、優しい魔力が彼女の全身へ流れ込んでいく。
不思議と恐怖はなかった。
むしろ、どこか懐かしい温もりを感じる。
まるで長い間離ればなれだった家族と再会したような、不思議な安心感だった。
そして、女性の声が再び神殿へ響く。
『ようこそ、アルマ。』
『我が最後の継承者よ。』
アーマルは静かに目を開く。
「あなたは……誰ですか?」
光の中へ、一人の女性の姿が浮かび上がった。
長い銀髪をなびかせ、純白の法衣を纏った美しい女性。
身体は半透明で、幻想のように揺らめいている。
『私はマランナを創りし者。古代魔導文明の魔導師、リシェル。』
「リシェル……。」
エルオーニは驚きの表情を浮かべる。
その名は古代魔導文明を築いた伝説の賢者の一人として、書物に記されていたからだ。
「まさか……本人なのか。」
リシェルは優しく微笑む。
『これは残された思念に過ぎません。長く話す時間もありません。』
彼女はアーマルへ視線を向けた。
『マランナは姿を偽る道具ではありません。』
『本来あるべき姿を解放するための魔道具です。』
アーマルは静かに指輪を見つめる。
「本来あるべき姿……。」
『あなたは羊として生まれ変わりました。』
『ですが、その魂は人であり、人の心を持っています。』
『だからマランナは、あなたを主として選びました。』
その言葉に、アーマルの胸の奥で何かがほどけた。
これまでずっと、自分は「おかしな存在」だと思っていた。
羊なのに人間になれる。
人間なのに羊として生きている。
どちらにもなりきれない自分を、どこかで受け入れられずにいた。
しかしマランナは、そのすべてを肯定してくれた。
涙が一筋、頬を伝う。
「……ありがとう。」
リシェルは静かに頷いた。
『これよりマランナの第一の力を授けます。』
指輪が柔らかく輝く。
『天候に関係なく、人の姿へ変身する力。』
アーマルは驚いて目を見開いた。
「えっ……。」
『ただし魔力を消費します。無限ではありません。』
『休息を取れば魔力は自然に回復します。』
まさに望んでいた能力だった。
これで晴れの日でもナザールを守れる。
毎日、人として生きられる。
胸いっぱいに喜びが広がる。
しかしリシェルの表情は少しだけ曇った。
『ですが覚えておきなさい。』
『マランナを狙う者たちは必ず現れます。』
『その者たちは世界の均衡すら崩しかねない存在です。』
エルオーニの表情が引き締まる。
「黒装束の者たちか……。」
リシェルは静かに頷いた。
『戦いは、まだ始まったばかりです。』
そう告げると、彼女の姿は少しずつ光へ溶け始める。
『アルマ。』
『あなたならきっと、大切な人も、この世界も守れるでしょう。』
最後に優しい笑みを浮かべ、リシェルの姿は完全に消えた。
神殿は再び静寂に包まれる。
アーマルはそっと左手を胸へ当てた。
指輪はぴたりと指になじみ、まるで最初からそこにあったかのようだった。
エルオーニがゆっくりと近づいてくる。
「体に異変はないか?」
「はい。」
アーマルは微笑む。
そして恐る恐る、マランナへ意識を向けた。
(人間の姿を保って。)
すると指輪が一瞬だけ輝く。
数分待っても、姿は変わらない。
雨が弱まり、やがて止んでも、羊へ戻る気配はなかった。
アーマルは自分の両手を見つめ、瞳を潤ませる。
「戻らない……。」
「本当に……戻らない。」
何度も夢見た奇跡だった。
これからは天気に怯えなくていい。
ナザールの隣に、毎日立てる。
思わず笑みがこぼれる。
「早く知らせたい。」
「ナザール様に。」
その嬉しそうな表情を見て、エルオーニも穏やかに笑った。
「帰ろう。」
「きっとあいつも、お前の帰りを心待ちにしている。」
アーマルは大きく頷いた。
「はい!」
その頃、屋敷ではナザールが窓の外を見つめながら、小さく呟いていた。
「アーマルさん……。」
「どうか、無事で。」
彼はまだ知らない。
その願いが叶っただけでなく、二人の運命がさらに深く結ばれようとしていることを。
そして、神殿の最奥で一匹の黒い影が静かに目を開いた。
誰にも気づかれぬまま、その影は天井の亀裂から闇へと溶けていく。
マランナの継承を見届けた”何者か”が、静かに動き始めていた。




