第十六話 雨が導く再会
ぽつり。
ぽつり、ぽつり。
乾いていた草原に、待ち望んだ雨粒が落ち始める。
やがて空を覆う黒雲から、本降りの雨が静かに降り注いだ。
羊小屋の中で、アルマはゆっくりと目を閉じる。
「……やっと。」
柔らかな白い光が身体を包み込む。
真っ白な羊毛は光の粒となって舞い、四本の脚は細くしなやかな人間の脚へ。
蹄は白い指先へ変わり、長い白髪が肩から背中へと流れ落ちる。
数秒後。
そこに立っていたのは、十六歳ほどの白髪の美少女――アーマルだった。
彼女は両手を握ったり開いたりして、人間の身体の感覚を確かめる。
「やっぱり、この姿の方が動きやすい。」
前世で何万回と繰り返した型をゆっくりと行う。
拳を突く。
足を払う。
回し蹴りを放つ。
動きに一切の無駄はない。
前世、田辺ミオとして培った技術は、今も身体に深く刻まれていた。
「よし。」
気合いを入れ直し、アーマルは羊小屋を飛び出した。
まず向かうべき場所は一つ。
ナザールのもとだった。
⸻
屋敷ではナザールが窓辺に立ち、降り始めた雨を眺めていた。
「兄上たち、大丈夫かな……。」
調査隊が森へ向かってから、もう数時間が経っている。
霧深き森は雨が降ると道がぬかるみ、さらに危険になる。
心配で落ち着かない。
その時、執務室の扉がノックされた。
「失礼します。」
澄んだ少女の声。
ナザールは勢いよく振り返る。
「アーマルさん!」
扉の前には、雨で少し濡れた白髪の少女が立っていた。
桜色の瞳は真っ直ぐナザールを見つめ、優しく微笑んでいる。
「申し訳ありません。」
アーマルは頭を下げた。
「急に姿を見せられなくなってしまって。」
ナザールは安心したように笑った。
「無事でよかった。」
その一言だけで、アーマルの胸が温かくなる。
(怒ってない……。)
護衛初日に姿を消した自分を責めることもなく、ただ無事を喜んでくれた。
それが嬉しくてたまらなかった。
「実は……」
アーマルは考えておいた言い訳を口にする。
「持病がありまして。」
ナザールが驚く。
「持病?」
「はい。雨の日は比較的元気なのですが、晴れの日は体調を崩しやすくて……。」
完全な嘘ではない。
晴れの日は人間になれないのだから。
「だから突然来られなくなることがあります。」
ナザールは少し考え込むと、優しく頷いた。
「それなら仕方ありません。」
「え?」
「無理をしてほしくありませんから。」
あまりにもあっさり信じてくれた。
アーマルは少しだけ罪悪感を覚える。
(ごめんなさい……。)
でも、本当のことはまだ言えない。
今はこれしかなかった。
⸻
その時だった。
バンッ!
執務室の扉が勢いよく開く。
「ナザール様!」
一人の兵士が飛び込んできた。
全身ずぶ濡れで、肩には切り傷があった。
「大変です!」
ナザールの表情が一変する。
「何があった!」
「辺境伯様たちが……!」
兵士は息を切らしながら叫んだ。
「霧深き森で正体不明の集団と交戦中です!」
「兄上が!?」
「敵は十数名!」
「しかも異様な強さです!」
部屋の空気が凍りつく。
アーマルの瞳が鋭く細められた。
(やっぱり……。)
盗賊ではない。
もっと組織だった敵が動いている。
「兄上は無事なのですか!?」
「現在は応戦中ですが、この雨で増援の到着が遅れています!」
ナザールは迷わず立ち上がった。
「私も行きます!」
しかし兵士は慌てて首を振る。
「危険です!」
「ですが!」
「ナザール様まで狙われれば辺境伯様の負担が増えるだけです!」
その言葉に、ナザールは唇を噛んだ。
悔しい。
また何もできない。
そんな彼の肩へ、そっと白い手が置かれた。
「ナザール様。」
アーマルだった。
「私が行きます。」
「え……。」
「必ず辺境伯様を助けてきます。」
その瞳には一切の迷いがない。
前世で何度も修羅場を潜り抜けた戦士の目だった。
ナザールはその瞳を見つめ、ゆっくりと頷く。
「お願いします。」
その言葉を聞いた瞬間、アーマルは微笑んだ。
「お任せください。」
次の瞬間。
彼女の姿は風のように廊下を駆け抜け、屋敷の外へ飛び出していた。
兵士たちは目を見張る。
「速い……!」
雨の中を駆ける白髪の少女。
その姿はまるで疾風そのものだった。
一方、霧深き森では――。
エルオーニが剣を構え、十数人の黒装束に囲まれていた。
騎士たちも満身創痍で膝をついている。
そして黒装束の一人が静かに笑った。
「終わりだ、辺境伯。」
その瞬間、森の奥から一陣の風が吹き抜ける。
白い髪をなびかせた少女が、木々の間から静かに姿を現した。
「その人に、指一本触れさせません。」
雨粒をまとったその姿は、まるで神話から現れた戦乙女のようだった。




