第十二話 護衛初日と羊の秘密
朝焼けが広大な草原を黄金色に染めていた。
昨夜の雨は夜明け前には止み、パルネリック辺境伯家の屋敷には、いつもの穏やかな朝が戻っている。
……ただ一人を除いて。
「メェェェ……。」
羊小屋の隅で、アルマは藁の上に突っ伏していた。
昨日までは人間の姿で屋敷にいた。
騎士団長との模擬戦にも勝利し、正式にナザールの護衛へ任命された。
しかし、朝になればいつもの羊である。
目の前にあるのは青草。
自分の前脚は、白く丸い蹄。
(護衛なのに羊って……どうすればいいのよ。)
昨日の感動が、一晩で現実に引き戻されていた。
雨の日だけ人間。
晴れの日は羊。
この体質では、毎日護衛をすることなど不可能だった。
「メェ……。」
思わず長いため息をつく。
もちろん羊なので、周囲には可愛らしい鳴き声にしか聞こえない。
「おはよう、アルマ。」
聞き慣れた優しい声が聞こえた。
ナザールだった。
いつものように朝一番で羊小屋へやって来ると、アルマの頭を優しく撫でる。
「今日は元気がないね。」
(元気なくもなるよ……。)
昨日は「よろしくお願いします」と笑顔で答えたばかりなのに、今日は羊。
もしナザールが「護衛のアーマルさんはどこだろう」と探していたらと思うと、胸が少し痛んだ。
ナザールは藁の上へ座り込み、ブラシを取り出した。
「昨日は本当に驚いたよ。」
ゆっくりと毛並みを整えながら話しかける。
「アーマルさん、すごく強かった。」
アルマの耳がぴくりと動く。
「でもね。」
ナザールは少しだけ笑った。
「不思議なんだ。」
ブラシを動かす手が止まる。
「初めて会ったはずなのに、初めてじゃない気がする。」
アルマの心臓が大きく跳ねた。
「メェ!?」
「君にも、どこか似ている気がして。」
そう言ってアルマの額を指先で優しく撫でる。
「なんでだろうね。」
(お願いだから、それ以上考えないで……。)
内心は冷や汗だらけだった。
ナザールは勘が鋭い。
決定的な証拠はないものの、感覚だけで何かを感じ取っている。
もし真実に近づけば――。
(まだ知られちゃ駄目。)
今の自分には説明できる自信がない。
異世界転生。
羊への転生。
雨の日だけ人間になる呪いのような体質。
どれを話しても信じてもらえないだろう。
ナザールは笑いながら立ち上がった。
「今日は街へ行く予定なんだ。」
アルマは首を傾げる。
「メェ?」
「護衛になったアーマルさんにも来てもらうつもりなんだけど……。」
困ったように辺りを見回した。
「まだ来ていないみたいだね。」
(来られません……。)
アルマは心の中で泣いた。
晴れている限り、人間にはなれないのだから。
その時、羊小屋の入口から兵士が顔を出した。
「ナザール様。」
「どうした?」
「辺境伯様がお呼びです。」
兵士は少し困った表情で続ける。
「アーマル殿がお見えにならないため、本日の予定を変更するか相談したいと。」
「そうか。」
ナザールは少し残念そうに頷いた。
「分かった。すぐ行く。」
去り際、彼はもう一度アルマの頭を撫でた。
「また帰ったら話そう。」
「メェ。」
扉が閉まり、静寂が戻る。
アルマは藁の上へごろんと転がった。
「メェェェ……。」
(護衛失格じゃない……。)
任命初日から欠勤である。
前世で会社員だった頃なら、上司に何と言い訳をするか必死に考えていただろう。
(“雨が降らないので出勤できません”なんて言ったら即クビだよ……。)
そんなことを考え、自分で少し笑ってしまう。
しかし、その笑顔はすぐに消えた。
窓の外から、二人の使用人の話し声が聞こえてきたからだ。
「アーマル様、今日は来られないのかしら。」
「辺境伯様はしばらく様子を見るそうよ。」
「それでも毎日来られないなら、護衛は別の方になるかもしれないって……。」
アルマの瞳が大きく揺れた。
(そんな……。)
まだ一日目。
それでも、護衛は責任ある仕事だ。
来られない者を雇い続ける理由はない。
エルオーニの判断は当然だった。
アルマは前脚をぎゅっと握るように力を込めた。
(何とかしないと。)
雨の日だけでは、大切な人を守れない。
晴れの日でも人間になれる方法が、きっとどこかにあるはずだ。
その頃、屋敷の書庫では、エルオーニが古い魔導書を一冊手に取っていた。
表紙には古代文字で、こう刻まれている。
『変化の魔道具録』




