第十一話 霊長類最強の一撃
訓練場を包み込んだ土煙は、ゆっくりと風に流されていった。
誰もが息を止め、その先にいる二人の姿を探している。
やがて煙が晴れると、静まり返った訓練場の中央に二つの人影が現れた。
ガレスは大剣を構えたまま立っている。
対するアーマルは、相変わらず自然体で両手を下ろしていた。
一見すると、勝負はまだついていないように見える。
しかし次の瞬間だった。
ガレスの大剣が、カランという乾いた音を立てて地面へ落ちた。
「……っ。」
右手が開いていた。
握る力が抜けてしまったのだ。
騎士たちがどよめく。
「団長の剣が……!」
「何が起きた!?」
ガレスは自分の右手を見つめ、ゆっくりと苦笑した。
「参ったな。」
肩から肘にかけて、力が入らない。
骨は折れていない。
筋も切れていない。
それなのに、一瞬だけ神経を断たれたように腕が動かなくなっていた。
アーマルは軽く頭を下げる。
「すみません。急所を外して加減しました。」
その一言に、騎士たちは言葉を失う。
(加減……した?)
王国でも五本の指に入る剣士を相手に、加減をしたというのか。
ガレスはゆっくりと腕を回した。
しばらくすると感覚が戻り始める。
「これは……人体の急所か。」
「はい。」
アーマルは素直に答えた。
「神経が集まる場所を軽く打っただけです。」
「軽く……。」
ガレスは思わず笑ってしまう。
「十分重かったぞ。」
訓練場に笑いが起こる。
張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
しかしエルオーニだけは笑っていなかった。
(恐ろしい。)
剣を折ったわけでもない。
力でねじ伏せたわけでもない。
人体を正確に理解し、最小限の力で勝負を決めた。
これは戦場で最も恐ろしい技術だった。
一歩間違えれば、相手を簡単に殺せる。
それほどの実力を、この少女は持っている。
エルオーニは静かに訓練場へ降りた。
「勝負ありだ。」
その声に、兵士たちが一斉に姿勢を正す。
「団長、異論はあるか。」
ガレスは豪快に笑いながら首を横へ振った。
「ありません。」
そしてアーマルへ向き直り、深々と頭を下げた。
「完敗です。」
その姿を見て、騎士たちは息を呑んだ。
誇り高い騎士団長が、自ら敗北を認めたのだ。
「これほどの武人は、生まれて初めて見ました。」
ガレスは真剣な表情で続ける。
「もし私が二十代の頃でも、おそらく勝てなかったでしょう。」
その言葉は訓練場全体に衝撃を与えた。
アーマルは慌てて両手を振る。
「い、いえ! そんなことは……。」
褒められることに慣れていない。
前世では勝っても「怖い」と言われることがほとんどだった。
だから真正面から称賛されると、どう反応していいのか分からない。
頬を赤くしながら俯く姿は、先ほどまで戦っていた最強の武人とは別人のようだった。
「かわいい……。」
思わず若い騎士が呟く。
「今の子、本当にさっきの人か?」
「別人じゃないか?」
周囲から小さな笑い声が漏れる。
その様子を見たナザールも、安心したように微笑んだ。
(よかった。)
怪我がなくて、本当によかった。
それだけで胸がいっぱいになる。
エルオーニはアーマルの前まで歩み寄った。
「アーマル殿。」
「はい。」
「約束通り、君の実力は証明された。」
彼は右手を差し出す。
「本日より、弟ナザール・パルネリックの護衛を正式に依頼したい。」
アーマルは一瞬だけ目を見開いた。
そしてゆっくりと、その手を握る。
「……はい。」
その声には、抑えきれない喜びが滲んでいた。
「必ず、お守りします。」
ナザールは二人の握手を見つめながら、心から嬉しそうに笑った。
「これからよろしくお願いします、アーマルさん。」
「こちらこそ。」
二人は穏やかに微笑み合う。
その光景を見たバーバラは、小さく肩をすくめた。
(ナザールは、本当に気づいていないのね。)
アーマルが彼を見る目は、誰が見ても恋する少女そのものだった。
だが当の本人だけが、その想いにまったく気づいていない。
その鈍感さが少し可笑しくて、思わず笑みがこぼれる。
その頃、遠く離れた森の奥では、一羽の黒いカラスが空へ舞い上がっていた。
その足には、小さな筒が括りつけられている。
中に入っている報告書には、短くこう記されていた。
『第一計画失敗。護衛に白髪の少女が就任。戦闘能力は予想を大きく上回る。作戦を変更する。』
その報告を待つ人物は、静かに不敵な笑みを浮かべていた。
「面白い。」
低く響く声が、薄暗い部屋に溶けていく。
「ならば、こちらも切り札を出そう。」
こうしてアーマルは正式にナザールの護衛となった。




