第十話 騎士団長との模擬戦
翌朝。
昨夜まで降り続いていた雨はすっかり上がり、パルネリック辺境伯家の訓練場には爽やかな朝日が降り注いでいた。
広い訓練場には、辺境伯家に仕える騎士や兵士たちが集まっている。
誰もが今日行われる模擬戦に興味津々だった。
「本当にあの子が戦うのか?」
「盗賊を一人で倒したって噂だけど……。」
「相手は騎士団長だぞ。」
ざわめきの中、一人の大男が訓練場へ姿を現した。
身長は二メートル近く。
鍛え上げられた筋肉に覆われた身体はまるで岩のようで、大剣を背負う姿には圧倒的な威圧感があった。
パルネリック騎士団団長――ガレス・ヴァルグ。
五十歳。
三十年以上にわたり辺境を守り続けた歴戦の騎士であり、王国でも屈指の実力者として知られていた。
「お手柔らかに頼む、お嬢さん。」
ガレスは豪快に笑った。
しかしその笑みの裏には油断がない。
昨夜、盗賊六人を一人で倒した少女。
ただ者ではないことは理解していた。
訓練場の反対側から、アーマルがゆっくりと歩いてくる。
白い髪を後ろで結び、動きやすい簡素な服に着替えた姿だった。
武器は持っていない。
素手だった。
「武器は使わないのか?」
ガレスが尋ねる。
アーマルは穏やかに微笑んだ。
「はい。」
「素手の方が得意なので。」
その言葉に騎士たちがざわつく。
「素手で団長に勝つつもりか?」
「無茶だ。」
「若いって怖いな。」
しかし、エルオーニだけは黙ってアーマルを見つめていた。
昨日応接室で見た立ち姿。
あの姿勢は武器を持たない達人特有のものだった。
(どんな戦い方をする……。)
彼は静かに腕を組む。
一方、観覧席ではナザールが落ち着かない様子で見守っていた。
(大丈夫だろうか……。)
相手は歴戦の騎士団長。
アーマルが強いことは知っている。
それでも怪我だけはしてほしくなかった。
試合開始の合図が鳴る。
「始め!」
兵士の声と同時に、ガレスがゆっくりと大剣を構えた。
「遠慮はせん。」
「はい。」
アーマルは軽く腰を落とし、自然体で構える。
拳を握ることすらしない。
まるで散歩でもしているような脱力した姿勢だった。
「ふっ!」
ガレスが一気に踏み込む。
重い斬撃が空気を裂き、アーマルへ迫る。
「危ない!」
ナザールが思わず立ち上がる。
しかし次の瞬間、訓練場が静まり返った。
アーマルは、紙一枚分だけ身体を傾けた。
それだけで、大剣は髪をかすめることすらなく通り過ぎた。
「なっ!?」
ガレスの目が見開かれる。
偶然ではない。
完全に見切られている。
さらに二撃、三撃。
剣速を上げ、連続で斬りかかる。
だが、アーマルは最小限の動きだけで避け続けた。
一歩も下がらない。
汗一つかかない。
まるで相手の動きがすべて分かっているかのようだった。
「信じられん……。」
騎士たちの間から驚きの声が漏れる。
ガレスも額に汗を浮かべ始めた。
(速いのではない。)
(読まれている……!)
その時だった。
アーマルが初めて口を開く。
「団長さん。」
「む?」
「右肩、昔怪我をしましたね。」
ガレスの動きが止まる。
「雨の日だけ、少し痛むはずです。」
「どうしてそれを……!」
驚くガレスを見て、アーマルは苦笑した。
前世で武術を学ぶ中、相手の癖や古傷を見抜くことも徹底的に叩き込まれた。
肩の可動域。
踏み込みの癖。
わずかな違和感だけで分かる。
「その構えでは、右から振るたびに半拍遅れます。」
「……。」
ガレスは無言になった。
図星だった。
十五年前、魔物との戦いで負った古傷。
家族と主治医しか知らない秘密だった。
エルオーニも目を細める。
(戦うだけではない。)
(観察眼まで異常だ。)
ガレスは静かに大剣を構え直した。
「お嬢さん。」
「はい。」
「本気でいくぞ。」
騎士団長の瞳に闘志が宿る。
今までは試すつもりだった。
だがもう違う。
目の前にいるのは守るべき少女ではない。
一人の武人だった。
アーマルも静かに頷く。
「私も、失礼します。」
その瞬間。
二人の姿が同時に消えた。
轟音とともに土煙が舞い上がり、訓練場全体を包み込む。
観客席からは誰一人として二人の動きを目で追うことができなかった。
そして土煙の向こうから、騎士たちの息を呑む声が響く。
「う、嘘だろ……。」
勝負は、誰も予想しなかった結末を迎えようとしていた。




