第九話 護衛志願
夜の帳が下りたパルネリック辺境伯家の屋敷は、昨夜とは打って変わって物々しい雰囲気に包まれていた。
門には普段の倍以上の兵士が立ち、庭園にも見回りの姿が見える。屋敷の窓から漏れる明かりは温かいものだったが、その内側では誰もが緊張を抱えていた。
アーマルは屋敷の門の前で、一度深呼吸をした。
(落ち着いて、田辺ミオ……じゃない、アーマル。)
前世では大会の決勝戦でも緊張したことはなかった。
それなのに、好きな人の家を訪ねるだけで心臓が痛いほど鼓動している。
(恋愛って、格闘技より難しいじゃない……。)
自分でそう思い、小さく苦笑する。
意を決して門へ近づくと、槍を持った兵士が一歩前へ出た。
「止まれ。何者だ。」
「私はアーマルと申します。」
アーマルは礼儀正しく頭を下げた。
「昨夜、盗賊からこの屋敷をお守りした者です。」
兵士は目を丸くした。
「あの白髪の少女か!」
昨夜の出来事は、すでに屋敷中へ広まっていた。
「少々お待ちください。」
一人の兵士が屋敷へ走っていく。
ほどなくして戻ってくると、表情を和らげた。
「辺境伯様がお会いになるそうです。どうぞこちらへ。」
アーマルは胸を撫で下ろした。
(よかった……追い返されなくて。)
応接室へ案内されると、そこにはエルオーニとバーバラ、そしてナザールが待っていた。
「アーマルさん!」
ナザールは立ち上がると、嬉しそうに笑った。
「また会えましたね。」
その笑顔を見ただけで、アーマルの胸は熱くなる。
(そんな顔で迎えられたら、帰れなくなるよ……。)
必死に平静を装いながら一礼した。
「突然お伺いして申し訳ありません。」
「構いません。」
エルオーニが穏やかに促す。
「今日はどのような用件でしょうか。」
アーマルは一度だけナザールを見つめ、それから真っ直ぐエルオーニへ向き直った。
「お願いがあります。」
部屋の空気が静まる。
「私を、ナザール様の護衛として雇っていただけませんか。」
その言葉に、ナザールは驚いて目を見開いた。
「僕の……護衛?」
アーマルは静かに頷く。
「昨日の盗賊は終わりではありません。また必ず襲ってきます。」
その声には確信があった。
「私は旅の中で武術を学び、多くの危険を乗り越えてきました。きっとお力になれます。」
もちろん、旅の話は作り話だ。
本当は前世で培った技術だったが、それを話すわけにはいかない。
エルオーニは腕を組み、しばらく黙って考えていた。
「気持ちはありがたい。」
やがて静かに口を開く。
「だが、君は若い娘だ。危険な仕事だと理解しているのか。」
「理解しています。」
迷いなく答える。
「それでも守りたい人がいます。」
その瞬間、思わずナザールを見てしまった。
目が合う。
慌てて視線を逸らす。
(しまった……。)
頬が熱い。
バーバラはその様子を見て、口元にそっと笑みを浮かべた。
(まあ……。)
女性だからこそ分かる。
この少女の視線は、恩人を見るものではない。
恋する乙女そのものだった。
一方のナザールは気づいていない。
ただ「なんて勇気のある人なんだ」と感心しているだけだった。
エルオーニはアーマルをじっと見つめる。
真っ直ぐな瞳。
揺るがない覚悟。
だが、それだけで護衛を任せるわけにはいかない。
「一つ、条件がある。」
「条件……ですか?」
「ああ。」
エルオーニはゆっくりと立ち上がった。
「護衛になるなら、その実力を正式に証明してもらう。」
部屋の空気が張り詰める。
「明日、我が家の騎士団長と手合わせをしてもらう。」
ナザールが思わず声を上げた。
「兄上! 団長は王国でも指折りの剣士ですよ!」
「ああ。」
エルオーニは頷く。
「だからこそだ。」
アーマルは静かに息を吐いた。
(騎士団長か……。)
前世なら何人相手でも負ける気はしなかった。
だが今の身体は十六歳ほどの少女。
体格差は大きい。
それでも、不思議と恐怖はなかった。
むしろ胸の奥が少しだけ高鳴る。
(久しぶりに、本気で戦えるかもしれない。)
自然と笑みがこぼれた。
「分かりました。」
その笑顔を見たエルオーニは、心の中で目を細める。
(強敵を前にして笑うか……。)
やはり普通の少女ではない。
そしてナザールは、そんな二人のやり取りを不安そうに見つめていた。
彼はまだ知らない。
目の前の白髪の少女が、自分の大切にしている羊――アルマと同一人物であることを。




