第98話「鋼の壁と白翼の剣」
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低地に踏み入った瞬間、地平を埋め尽くす千二百の魔物が、一斉にこちらを向いた。
最前列に陣取っていたのは、ゴブリンの群れだった。小柄で醜悪な緑灰色の肌。だが、その目は穢れに完全に侵されて赤黒く発光し、手にした錆びた鉈や石斧を振り回しながら、耳をつんざくような奇声を上げて一斉に突進してきた。その数、ざっと百を優に超える。
その背後には、ゴブリンの倍の体躯を持つ筋肉質のオークの集団。さらに奥にはトロルの見上げるような巨体が揺れ、リザードマンの硬質な鱗が瘴気の中でぎらつく。ダイアウルフの群れが低い唸りを上げて地を這い、木々の間にはジャイアントスパイダーの巨大な巣が張り巡らされている。
頭上の鉛色の空では、ハーピーの群れが十数体、不快な鳴き声を撒き散らしながら旋回していた。
そして遥か後方。ミノタウロスの巨大な角がそそり立ち、バジリスクの緑色の鱗が鈍く光り、空の彼方にワイバーンの巨大な翼の影が旋回しているのが見えた。
千二百の穢れの軍勢。
普通の人間であれば、その光景を見た瞬間に絶望で発狂していただろう。
「ゴブリン約百二十! 先頭集団、来ます!」
ファルコの冷静な声が戦場に響いた。
「ヴァレリオ!」
オルランドの短い号令。
「任せろォ!」
ヴァレリオが、突進してくるゴブリンの波に対し、大盾を地面に深々と叩きつけるように構えた。
ドゴォン!という重い衝撃音と共に土が跳ね上げられ、前方のゴブリンの足が一瞬止まる。
そのわずかな隙を突き、壁の横からアレッシオの槍が稲妻のように閃き、先頭の三体を一突きで同時に串刺しにした。従士たちが一斉に槍を突き出し、盾の壁の左右からこぼれ込もうとするゴブリンを次々と正確に突き伏せていく。
重装騎士が誇る鋼の壁が、百二十のゴブリンの狂乱の突進を、文字通り正面から完璧に受け止めた。
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右翼。
グラキウスが、ゆっくりと歩を進めた。
腰に佩いた白翼の剣を、静かに鞘から抜き放つ。月光を凝縮したような銀白色の刃が、どす黒い瘴気の中で異質なまでの清浄な輝きを放った。
オークの集団が、二十体ほど、中央の強固な壁を避けて右翼の側面に回り込もうとしていた。ゴブリンよりはるかに高い知能と、圧倒的な膂力を持つ魔物たち。
グラキウスが、剣を両手で構えた。あの盗賊戦で見せた、隙の欠片もない完璧な武の構え。
だが、今回、彼が見せたのは、それだけではなかった。
グラキウスの口から、低く、短い詠唱が紡がれた。私の知らない言語。この世界の極めて古い祈りの言葉。
瞬間。白翼の剣が、甲高い音を立てて震えた。
銀白色の刃から、膨大な光が噴き出した。閃光が刀身を包み込み、その眩い光の中から、六つの刃が、スッと空中に分離して浮かび上がった。
光で構成された、白羽根の翼。
剣から分離した、その六枚の光の刃が、グラキウスの背後に翼のように広がり、自らの明確な意志を持っているかのように、ゆっくりと回転しながら宙を漂っている。
「…何だ、あれは」
後方で待機していたカイルが、完全に顎を外して絶句した。
グラキウスが、一歩踏み込んだ。
ドン! と地面が爆ぜる音と共に、老兵の体が掻き消える。
次の瞬間、オークの群れのど真ん中に現れたグラキウスの白翼の剣が一閃し、先頭のオークの首が丸太のように宙を舞った。
同時に、周囲に浮遊していた六枚の光の刃が、グラキウスの意志に呼応して四方八方へ散開し、残るオークたちに音速で殺到した。
一枚がオークの分厚い胸板を紙のように貫き、一枚が別の個体の剛腕を切断し、一枚が振り下ろされた巨大な斧を容易く弾き飛ばし、一枚が背後から迫っていた個体の首筋を正確に斬り裂く。残る二枚はグラキウスの周囲を超高速で旋回し、死角からのあらゆる攻撃を自動的に弾き落としていく。
まばたきの間の出来事。
二十体のオークが、血の海に沈み、全滅した。
グラキウスは、息一つ乱していなかった。六枚の光の刃が、魔物の返り血を空中で振り払いながら主人の元へ戻り、再び緩やかに周囲で浮遊する。
背後の死角に立つシルヴェストロは、無言で剣を構えたままだった。彼の出番など、最初から存在しなかった。




