第96話「御務め」
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「ハル殿もいくぞ」
グラキウスが、今日の夕飯の献立でも決めるような当たり前のトーンで言った。
私は、手に持っていた湯呑みを落としそうになった。
「…えっ? 私ですか? 私はお留守番で、村の結界の維持に努めようかと…」
「カイル殿から報告は聞いておるぞ。以前、森でオーガ三体を瞬殺した手並み。それだけの腕と力があるなら、十分に主力として前線を張れる」
「あれはその場の勢いといいますか、成り行き上のやむを得ない状況でしたので…。それに、私は神主です。むやみに命を奪うようなことは」
カイルが、横から真剣な顔で口を挟んだ。
「ハルさん。今回俺たちが相手にするのは、普通の獣が穢れに当てられたのとは違う。オーガやゴブリンのような、いわゆる魔物、モンスターと呼ばれるものたちだ。元から穢れの中で生まれ、穢れそのものを糧にして育った存在だ」
「…元から、穢れの中で生まれた存在」
私の中で、カチリと、何かが明確に切り替わる音がした。
穢れに侵されただけの獣は被害者だ。浄化すれば元に戻る。殺したくない。だが、元から穢れで構成された存在。つまり、穢れそのものがこの世に形を成した悪しきもの。
「…なるほど。そういうことならば」
私は、スッと背筋を伸ばし、深く頷いた。
「私の職務範囲です」
グラキウスが、きょとんとした顔で瞬きをした。
「…急にやる気になったな。どういう風の吹き回しだ」
「私の故郷では、そのような存在を怪異や鬼と呼びます。怪異を祓い、鬼を退治するのは、神職に就く者の何よりの務めです。昔の偉い方に、安倍晴明という希代の陰陽師がおりまして…まあ、私などその方ほどの力はありませんが、末席を汚す程度のことはできるかと」
私は、腰の小狐丸の柄にそっと触れ、自分でもひどく好戦的な笑みを浮かべているのが分かった。平安の雅と、神職としての意識が、心地よく血を沸き立たせている。
「なんのことかさっぱり分からんが…やる気になったのなら、それでいい」
カイルが、呆れ果てたように天を仰いだ。
「…教会の司祭の脅しには真正面から立ち向かい、千体の魔物の群れには『職務範囲です』と笑って答えるのか。あんたの基準が、俺には全く分からん」
「神主ですから。怪異を祓うのは務めですが、人間同士の権力争いは領分ではないんです」
「…なるほど。妙に筋が通っているような気もするから恐ろしい」
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ただちに、綿密な作戦会議が始まった。
グラキウスが、木片や小石を駒に見立てて地図の上に並べていく。この老人が戦術を語る時の声は、もはや居候の好々爺のそれではなかった。数多の軍勢を率いてきた絶対的な指揮官の響きだ。オルランドたち六騎の騎士は、その声を聞くだけで自然と背筋を伸ばし、騎士としての顔つきに変わっている。
「陣形は横列だ。わしが右翼、ハル殿が左翼。中央を、オルランド以下六騎の騎士と十二名の従士が分厚く固める。カイル殿のパーティは後方に位置し、中央の壁を抜けてきた個体を確実に処理してもらう」
「両翼に最強の二人を置いて、中央は重装騎士の壁で分厚く受け止める。理にかなっているな」
カイルが、冒険者の視点から深く頷いた。
「具体的な役割を確認する」
グラキウスが、太い指を一つずつ折っていく。
「中央。ヴァレリオが大盾と戦槌で最前列の壁になる。アレッシオが槍でその左右の死角を支援。従士十二名はアレッシオの指揮下で隊列を維持し、槍衾を作る。オルランドは中央全体の指揮と、戦況の判断。ファルコは鷹の目で全体の索敵と情報伝達。ジャコモは後方で戦況分析と、各個の魔物の弱点の助言。シルヴェストロは」
「グラキウス卿の背後を」
壁際に無言で立っていたシルヴェストロが、初めて声を発した。短く、低く、いかなる魔物にも主の背は取らせないという、揺るぎない忠誠の一言。
「…そうだ。わしの背後を頼む」
グラキウスが満足げに頷き、私の方を向いた。
「ハル殿の戦い方を確認しておきたい。遠・中・近、どれが得意だ」
「全部です」
「全部?」
「遠距離は梓弓。中距離は符術。近接は小狐丸。魔物の種類と状況に応じて、全て切り替えます」
オルランドが、思わずといった様子で目を丸くした。六騎の騎士たちの間に、微かな、だがはっきりとした驚愕のざわめきが走る。三つの距離帯を、高水準で一人で完璧に担える戦士など、この世界の常識では存在しないからだ。
「…カイル殿のパーティは」
「俺が大剣で前衛。セラが双剣で遊撃。ピートが弓で援護射撃。ヨルンが魔術で支援と回復。いつも通りだ」
「よし。出撃は明朝。夜明けと共に東の交易路を進み、魔物の密集地帯の手前で陣形を組む。戦闘は、日が高いうちに行う。夜戦は、いかに我らとて不利だ」
グラキウスが、テラスにいる全員の顔を、厳しい眼差しでゆっくりと見渡した。
「最後に一つ。今回の目的は、あくまでスタンピードを未然に防ぐことだ。千を超える魔物を、一体残らず殲滅する必要はない。群れの規模を削り、暴走の臨界点を下回らせれば我々の勝ちだ。無理はするな。功を焦って命を捨てるな。生きて帰ることが、最優先だ」
六騎の騎士と十二名の従士が、一斉に右拳を左胸に当て、金属音を響かせた。
カイルたちも、深く頷いた。
ピートだけが、自分の弓を強く握りしめ、恐怖よりも高揚感に満ちた目で、明日の激戦を思い描くように瞳を輝かせていた。




