第94話「胸騒ぎ」
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翌朝、朝霧が残る広場で、カイルたち四人の冒険者が東の交易路に向けて出発の準備を整えていた。
カイルが革鎧のベルトを締め直し、大剣の重みを確かめるように肩を揺らす。
「ハルさん。予定通り三日で戻るつもりだ。道が酷ければ、遅くとも五日だな」
私は深く頷き、彼と固い握手を交わした。
「頼みましたよ。何が巣食っているか、どこまで崩落しているか分かりません。決して無理だけはしないでください」
「分かってる。無謀な真似をするのが仕事じゃない。危険を感じたら、すぐに引き返すさ」
傍らでは、ピートがそわそわとした様子で背中の弓を跳ねさせている。
「ハルさん! 帰ってきたら、すぐにまた弓の稽古、つけてもらえますよね?」
「ええ、もちろんです。ですが、まずは無事に戻ってくることが条件ですよ」
「約束ですよ! ほら、あのハルさんが見せてくれた『弓返り』…あれ、自分でももう少しで出来そうな感覚があるんです!」
「それは気のせいでしょうが。まあ、その意気込みだけは買っておきましょう」
「気のせいじゃないですよ! 絶対に驚かせてやるんだから!」
セラは、すでに街道の先を見据え、静かに双剣の柄に触れている。
ヨルンはジャコモから聞いた魔物情報を手帳に書き写す手を止め、中指で分厚い眼鏡を押し上げた。
「東の山脈に近い森林帯の生態…実地で確かめるのが楽しみです」
四人の頼もしい背中が、東の交易路の奥に消えていった。
広場に戻ると、村はいつも通りの力強い鼓動を始めていた。
ブルーノの弟子たちが威勢の良い掛け声を上げながら壁を編んでいる。
その横では、巨漢のヴァレリオが巨大な丸太を一人で軽々と肩に担いで運んでいた。
「お、ハル殿! 冒険者たちは行ったか! 若者が働く姿は見ていて気持ちがいいな。俺たちも負けてられん!」
「ほどほどにしてくださいね。あまりやりすぎると、ブルーノさんの仕事がなくなってしまいます」
ロザが、手にした帳簿から顔を上げずに鋭い声を飛ばした。
「ヴァレリオさん。お喋りしてないでこっちの柱をお願い! 早く手を動かして!」
「おっと、監督の機嫌を損ねるのはまずいな。じゃあな、ハル殿!」
ヴァレリオが豪快に笑い、丸太を担いだまま小走りで戻っていく。
広場の隅では、マルタとソフィアが並んで座り、無言の連携で辰砂から朱を精製する作業を続けている。リーナが新しい字の練習帳を広げ、オルランドがそれを見て静かに頷いている光景もあった。
平穏だった。教会の影が一時的に去り、辺境伯の盾を得た村は、守られている。カーム村の受け入れという次の未来に向かって、全てが力強く前進していた。
私は竹箒を手に取り、境内の端へと向かった。
漆黒の鳥居の柱に背を預け、四人が消えた東の深い森の空をじっと見つめているグラキウスの姿があったからだ。
「ハル殿」
「はい」
「あの森の奥…まだ浄化が済んでおらん区域があるはずだな」
「ええ。布可母利久爾多摩命の力が届き始めてはいますが、広大な森ですから、南東の端のあたりはまだ穢れが色濃く残っているでしょう」
グラキウスの目が、いつもの好々爺のそれではなかった。
「…浄化が進むということは、穢れに棲みついていた連中が、そこから追い出されるということだ。追い出された連中が、どこへ逃げ込んだのか…少し、気になるな」
「…取り越し苦労だと良いのですが」
「まあ、わしの鼻が衰えただけかもしれんがな」
グラキウスはフッと表情を緩め、丸太の上に腰を下ろした。マルタが持ってきた薬草茶を、音を立てて啜る。
取り越し苦労。そうであればいい。
だが、カイルたちが東の道から戻ってきた時。その顔から血の気が引いていたら。
その時は、この穏やかな日常は、また一つ、新しい形に変わるのだろう。
私は竹箒を握り直し、境内の掃除を再開した。今はまだ、掃除の時間だ。




