第83話「老人の証言」
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グラキウスは、ルーテ村で起きている事実を淡々と語った。
二十年間、深い森の奥で誰からも忘れ去られていた小さな村。そこに一人の神主が現れ、古い信仰の形を蘇らせ、森の穢れを祓い、村を再興させたこと。見たこともない精緻な竹細工と、辰砂から精製された圧倒的な『朱塗りの漆器』が特産品として爆発的な評判を呼び、商人が出入りするようになったこと。古い交易路が、再び血の通った血管として使われ始めていること。
アルベルトは、酒杯を手に持ったまま無言で聞いていた。
「その村が、あんたの領地の南の外れにある。二十年間、代官も来ず、税も納めていなかった。だが今、村は急速に富を蓄え、人も増え続けている。そこで、正式に辺境伯の庇護下に入り、税を納める関係を結びたい。村長のゴルドという男の、長としての決断だ」
「庇護を求めてきたか。…二十年も放置していたのは、こちらの落ち度でもある。あそこは交易路が閉鎖された後、完全に消滅したものと思い込んでいた」
「消えてはいなかった。泥を啜りながら、細々と、だが確実に生き延びていた。そして今、ただ生き延びる以上の途方もないことを成し遂げようとしている」
アルベルトが、厳つい顎に手を当てて深く考え込んだ。
「…もう一つ、確認させてくれ。その村に、南のアルトワ侯爵の領地から逃れてきた難民を匿うというのは…」
「これからやってくる。カーム村という、侯爵領の寒村から、八十人ほどの老人と女子供がな。侯爵が隣国への戦の準備で若者を根こそぎ徴兵し、税を極限まで跳ね上げた結果、村が崩壊寸前になっている。ルーテ村のゴルドが、その八十人全員を受け入れると決断した」
「アルトワ侯爵の領民を、わしの領地で丸ごと受け入れるということか」
「そうだ。辺境伯の『新たな領民』として正式に迎え入れる形を取れば、侯爵に対する最高の大義名分になる。圧政に虐げられた民を救うという名目だ。あの強欲で底意地の悪い侯爵を牽制する、絶好の外交カードになるだろう」
アルベルトの目が、武人から、老獪な政治家としての鋭い光を帯びた。
「…アルトワ侯爵は、以前から増長が過ぎると思っていた。自国の領民の血を吸ってまで、隣国の辺境に手を出そうとしているという不穏な噂があったが事実だとはな。やつの領民を保護する形でわしが受け入れれば、侯爵に対する強烈な政治的圧力になる。決して、悪い話ではない」
「もう一つある」
グラキウスの声が、さらに一段、地の底を這うように低くなった。
「教会が動いている」
アルベルトの表情が、目に見えて険しくなった。
「その村の神主は、ソル・デウスとは全く異なる様式の信仰を持っている。土地の神を祀り、穢れを祓い、森を回復させた。村の中心には、鳥居と呼ばれる漆黒の門がある。教会の連中が、商人の噂からそれを嗅ぎつけた。グランヴェルの教会から、異端を糾弾する巡回司祭が私兵を伴って派遣される可能性が極めて高くなってきた」
「…異端か」
「異端ではない。あの男は、誰の信仰も否定しておらん。ソル・デウスの教えを冒涜したことも一度もない。ただ、この土地の豊かな恵みに感謝して、落ち葉を掃き、祈っているだけだ。…だが、教会の狂信者どもがそう見るかどうかは、別の話だ」
アルベルトが、長い、ひどく重い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「グラキウス卿。率直に聞く。…かつて聖騎士団を率い、教会の教義の最前線で剣を振るっていたあなたが。その、異教の神主を、信じているのか」
「信じている」
即答だった。一片の迷いも、濁りもなかった。
「あの男は、戦場で死にゆく者たちの呪いを吸い込み、完全に腐り落ちかけていたわしの左腕を、元の真っ新な状態にまで祓ってくれた。忘れ去られた神を蘇らせ、森の穢れを癒し、死にかけていた村に命を吹き込んだ。…わしは、血にまみれた長い人生で、数え切れないほどの人間を見てきた。だが、あんなにも清浄で、底抜けに優しい魂を持つ者を、他に知らん」
アルベルトが、グラキウスの目を見つめた。
かつて背中を預け、命を救われた男の、魂の底からの揺るぎない証言。
「…分かった」
辺境伯が、力強く立ち上がった。
「ルーテ村を、わしの領地として正式に庇護下に置く。税は村の収入に応じた適切な額を定め、代わりにわしが責任を持って村の安全を保障する。カーム村の難民も、辺境伯領の新たな領民として両手を広げて受け入れよう。そして、教会の件だが」
アルベルトの目が、辺境伯としての冷厳で絶対的な光を帯びた。
「わしの領地でどのような信仰が営まれようと、それは領主であるわしの裁量の範囲内だ。教会が異端を云々して騒ぎ立てるなら、まずこのロッカグァルディアの城に直接話を通してもらおう。辺境伯たるわしの許可なく、わしの領民の村に土足で踏み入ることは、絶対に許さん」
「…恩に着る」
「恩など。あなたには、一生かけても返しきれない命の借りがある。それと、グラキウス卿」
「何だ」
「あなたの身の周りの護衛が必要だ。わしの手元から、六騎の騎士をつける。各騎士に従士を二名ずつ。計十八名。全員が完全武装の騎馬だ。あなたの直属の指揮下に置く」
「騎士など、大袈裟な。わし一人で十分だ」
「大袈裟ではない。あなたの身に万が一のことがあれば、わしは二十年前の恩を返す機会を永遠に失う。そうなれば、わしの方がひどく困るのだよ」
グラキウスが鼻を鳴らした。だが、それ以上は断らなかった。カーム村の八十人を受け入れ、さらに教会という巨大な組織と対峙するためには、村の防衛に「正規の軍事力」という箔が絶対に必要になることは、老兵自身が痛いほど分かっていた。




