第82話「ロッカグァルディア」
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東の山脈の麓にそびえ立つ、辺境伯の領都ロッカグァルディア。
切り立った天然の岩山を背後に控え、黒灰色の分厚い石壁がぐるりと街を囲い込んでいる。壁の上には等間隔に配置された見張り塔が曇り空を突き刺し、巨大な鉄格子の城門の上には、辺境伯家を象徴する『山と剣』を模した重厚な盾の紋章が掲げられていた。
隣国との国境の最前線を守るために築かれた、街全体が一個の巨大な要塞。
その威圧的な城門の前に、一頭の栗毛の馬に跨った、白い髭の老人がポツンと立っていた。
グラキウスは、ルーテ村を出発してからこの城門に辿り着くまでに、派手に二度ほど道を間違えていた。
一度目は、西へ向かう分岐路で「風の匂いがこっちだと言っている」と確信を持って選んだ道が、半日進んだ先で完全に崩落した行き止まりの崖だった。
二度目は、街道沿いの宿場で「ロッカグァルディアはどちらか」と道を尋ね、「あっちです」と指差された方角に真っ直ぐ進んだはずなのに、なぜか夕方には元の宿場に戻ってきていた。どういう軌跡を描けば元の場所に戻れるのか、本人にも全く分からなかった。
だが、その致命的な迷走を含めても、彼は出発から十四日でこの領都に到着している。馬の優秀な脚と、グラキウス自身の常軌を逸した体力の賜物だった。
「止まれ! 何者だ!」
城門を警備する重装の衛兵が、鋭く槍を交差させて誰何した。
無理もない。擦り切れた古ぼけた外套に、土埃にまみれた簡素な旅装。腰に長剣を佩いているとはいえ、見た目だけなら、その日の飯にも困っている放浪の傭兵か、引退した老いぼれの兵士にしか見えない。
「辺境伯閣下にお目通り願いたい。グラキウス・フォンターナと伝えてくれ」
衛兵の顔が、微かにピクリと動いた。
フォンターナという姓に、何か引っかかるものがあったのかもしれない。だが、目の前の老人のみすぼらしい風体と、辺境伯への直答を要求する大仰な名乗りが全く結びつかないらしく、ひどく怪訝な顔をして仲間に目配せをし、城の奥へと小走りで向かっていった。「念のため、閣下にお伝えしてみよう」と。
十分後。
奥から戻ってきた衛兵は、金属の鎧をガチャガチャと鳴らし、文字通り全速力で走っていた。完全に息が上がり、顔面が蒼白になっている。
「お、お待たせいたしました! お通りください! 閣下が、今すぐ、直接お会いになると!」
重い鉄格子の城門が、悲鳴のような音を立てて大きく開かれた。
グラキウスは、全く表情を変えることなく、栗毛の馬の腹を軽く蹴って城内へと進み入った。
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城の謁見の間は、辺境の守りを担う武人の領主にふさわしい、極めて質実剛健な造りだった。
冷たい石の壁には歴代の当主が使った剣と盾が飾られ、正面の三段高い高座には、辺境伯家の紋章が深く刻まれた重厚な椅子が置かれている。王都の貴族が好むような豪奢な装飾は一切ない。純然たる、実用のための空間だ。
その椅子から、一人の男が弾かれたように立ち上がった。
五十代半ば。短く刈り込んだ鉄灰色の髪、過酷な日差しに焼かれた厳つい顔、分厚い軍服の上からでも分かる鍛え上げられた体躯。数多の死線を潜り抜けてきた辺境の守護者としての風格が、全身から圧倒的な覇気となって滲み出ている。
辺境伯アルベルト・ディ・モンテフェルト。
その屈強な男が、広間の入り口に立つグラキウスの顔を見た瞬間——文字通り、全身を凍りつかせた。
「…グラキウス、卿」
喉から絞り出された声が、ひどく掠れていた。
見開かれた目は、信じられないもの、あるいはかつての戦場の幻影でも見ているかのように揺れている。武人としての威厳も、領主としての冷徹さも完全に吹き飛び、ただの困惑と驚愕が顔に張り付いていた。
「久しいな、アルベルト」
グラキウスが、いつもの、拍子抜けするほど飄々とした声で応じた。
「…生きて、おられたのか。聖騎士団の団長職を退かれた後、ぷっつりと消息が途絶えたと聞いていた。噂では、不治の呪いを受けて、もうこの世にはおられぬものと…」
「死んではおらん。少々、森の奥で隠居しておっただけだ」
「隠居…! あなたほどの御方が、隠居などと…!」
辺境伯が、高座の階段を転がるように駆け下り、大股で歩み寄ってきた。
近づくにつれて、その鉄灰色の瞳の縁が、みるみるうちに赤く潤み始めている。
「二十年前のヴェルデン峠の戦い。あの時、あなたが騎士団の精鋭を率いて、我々を包囲していた敵の本隊の脇腹を単騎で食い破っていなければ、わしの軍は完全に全滅していた! わしの命も、この領地も、あの日あなたに救われたのだ。…その大恩人が、何の前触れもなく、わしの城門に立っている。驚くなという方が無理な相談だろう!」
「大袈裟な。あの時は、たまたま近くにいただけだ。それに、単騎ではない」
「たまたま三千の軍勢を蹴散らす者がおるものか!」
辺境伯が、グラキウスの前に立ち、その両手を強く、骨が軋むほど強く握りしめた。
地位も、年齢も、二十年という空白の歳月も関係ない。そこにあるのは、死線を共有した武人同士の、一切の飾りのない再会の握手だった。
「…さあ、座ってくれ、グラキウス卿。いや、すぐに一番良い酒を出させよう。話を聞かせてくれ。あなたが何故、今になってこのような辺境に姿を現したのか」
「酒はありがたいが、先に用件を伝えさせてくれ。わしが今日ここに来たのは、旧友として昔話に花を咲かせに来たのではない。あんたに、一つ頼みがある」




