第81話「月夜の誓い」
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その夜。社殿の前に立ち、私は一人で板壁に並んだ六枚の御札を見上げていた。
教会が来る。おそらく、そう遠くない日に。
カイルの表情は、冗談を言う時のそれではなかった。教会が来ることは、この村にとって本当に危険なことなのだろう。彼がそう言うのだから、間違いはない。
だが、正直に言えば、私にはその危険の本質がまだ掴みきれていない。
私は、ただこの土地の神々に感謝し、穢れを祓い、村の平穏を祈っているだけだ。ソル・デウスを否定したことは一度もない。村人たちにソル・デウスの信仰を捨てろと言ったこともない。ゴルドもマルタも、ソル・デウスの名を口にしながら、同時にこの鳥居に感謝している。両立しているのだ。何の矛盾もなく。
なぜ、それが問題になるのだろう。
神は一柱ではない。この世界にも、かつて多くの土地の神がいた。布可母利久爾多摩命がそうだったように。人々がそれぞれの土地の恵みに感謝し、それぞれの神に祈りを捧げる。それが当たり前の姿ではないのか。
カイルは「唯一神以外の信仰は認められない」と言っていた。その言葉の意味は頭では分かる。だが、胸の底では…どうしても腑に落ちないのだ。なぜ、一柱の神を祀ることが、他の全ての神を否定することに繋がるのか。
分からない。だが、分からないからといって、脅威がないわけではない。カイルの目は本気だった。
グラキウスは今、辺境伯のもとに向かっている。辺境伯の庇護があれば、教会も慎重にならざるを得ないとカイルは言った。だが、間に合わなかったら。
考えても仕方がない。来るものが来た時に、正面から向き合うしかない。
「ハルさん」
背後から、リーナの小さな声がした。振り返ると、社殿の戸口から、寝巻き姿の彼女が顔を覗かせていた。
「まだ起きてたんですか」
「ハルさんが、すっごく難しい顔して外に立ってるから、気になっちゃった」
「…大丈夫ですよ。明日の掃除の段取りを考えていただけですから」
「嘘。ハルさん、嘘つく時、ちょっとだけ目が泳ぐんだよ」
「…」
「何があるの?」
十歳の少女の、真っ直ぐで濁りのない瞳。誤魔化すのは無意味だと悟った。
「遠くの街から、お客さんが来るかもしれないんです。ちょっと、面倒なお客さんが」
「面倒な人なら、グラさんに追い払ってもらえばいいじゃん。この前の、ヒャッハーって叫んでた人たちみたいに」
「グラキウスさんは、今お使いに出ているでしょう」
「じゃあ、カイルさんに」
「カイルさんたち冒険者の力では、剣で追い払うことができない種類のお客さんなんです」
「じゃあ…ハルさんが何とかするしかないね」
「…ですね」
リーナが、三日月の下で、太陽のようににっこりと笑った。
「ハルさんなら、絶対できるよ。だって、ハルさんはいつも、すごいこと全部『何とかしてる』もん!」
少女の、あまりにも無邪気で絶対的な信頼が、春の夜風と共に胸の奥深くまで沁み込んでいった。
何とかしている、か。私自身は、目の前の汚れを掃除して、何とかせざるを得なかっただけなのだが。彼女の目には、私が頼もしい魔法使いのように映っているのだろう。
「…ありがとう、リーナ。もう寝なさい。明日も朝が早いですよ。ピートさんの弓の稽古もありますし」
「はーい。おやすみなさい!」
リーナがパタパタと足音を立てて社殿の中に消えていった。
春の夜空には、数え切れないほどの星が瞬いている。漆黒の鳥居の柱が、月光を静かに吸い込んで、圧倒的な存在感を放って立っていた。
何とかする。何とかするしかない。
この村の人々の笑顔と、この鳥居と、この六柱の神域を守るために。
ただの神主として、やるべきことをやるだけだ。




