第73話「重い決断」
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市が終わりに近づいた頃。
西日に照らされた広場の喧騒の中に、明らかに周囲の熱気とは浮いた、沈痛な気配を纏った一団が紛れ込んでいた。
ボロボロに擦り切れた麻の服に、泥にまみれた革の靴。冬を越したばかりの痩せ細った体で、彼らは広場の華やかさを前に、寄る辺ない迷子のように立ち尽くしていた。
ゴルドが、荷馬車の脇で商人と握手を交わした後、その一団の先頭に立つ男に気づいて足を止めた。
「…おい。まさか、カーム村の…ベルデなのか?」
ゴルドが歩み寄ると、杖をついていた初老の男が、びくりと肩を震わせて振り返った。
白髪の混じった頭髪は乱れ、頬は極端に痩せこけ、目の下には深い隈がある。だが、その瞳がゴルドを捉えた瞬間、驚愕と、それ以上の戸惑いで大きく揺れた。
「ゴ、ゴルド…? お前、本当にゴルドか? この村は、一体どうなっちまったんだ。…冬が終わったばかりだというのに、なぜ、こんなに…」
「まあ、いろいろあったんだ。立ち話もなんだ、こっちへ来い」
ゴルドはベルデを、完成したばかりの迎賓館のテラスへと促した。そこには、市の手伝いの合間に休んでいた私と、柱に背を預けていたグラキウスもいた。
ダリオが運んできた冷たい井戸水を一気に飲み干したベルデは、その水の甘さに喉を震わせ、やがて木杯を握りしめて本題を切り出した。
「ゴルド。…俺は今日、お前に相談があって来た。…いや、懇願だ。同じ辺境の村として、手を取り合えないかと思ってな」
「カーム村のことか。何があった。あそこは南のアルトワ侯爵の領地だろう。商業都市グランヴェルからも近い」
「逆だ、ゴルド。領主が近いことが、今は地獄なんだよ」
ベルデの濁った目に、深い絶望の色が浮かんだ。
「アルトワ侯爵は、隣国の辺境領を奪い取るための戦支度を始めた。そのための金と兵が、どこから出ると思う。…侯爵領の各街であり…村だ。若者は根こそぎ兵として徴用された。残ったのは、鍬を振るう力もない年寄りと、女子供だけだ。その上で、税は三割も跳ね上がった。耕す手がいないのに、納めるものは増える。…このままでは、次の冬を待たず、春の種蒔きさえままならない…」
ベルデが、テラスの床に突き立てた杖を強く握りしめた。
「だから俺は、お前に提案に来たんだ。カーム村の残り八十人と、お前の村の連中とで、一緒に寄り集まって暮らせないかとな。お前の村も、俺たちと同じように年寄りばかりで貧しく、細々と食いつないでいるものだとばかり思っていた。だから、残った全員の知恵と力を合わせれば、なんとか森を切り拓いて、木の実や獣を分け合って、泥を啜ってでも一緒に生きていけるんじゃないかと、そう思って…」
ベルデが、広場で行き交う金貨と、見たこともない贅沢な漆器、そして活力に満ちたルーテ村の人々を再び見渡し、自嘲するように笑った。
「…だが、見ての通りだ。お前の村は、俺たちが身を寄せ合って助け合えるような場所じゃなくなっていた。これだけの富があり、商人が並んでいる。これでは、合流じゃない。…ただの施しだ。俺たちは、ルーテ村のお荷物になりに来たわけじゃないんだ」
ベルデが、椅子からゆっくりと立ち上がった。その目は、長としての最後の一片の矜持を守ろうとする、悲壮な光を湛えていた。
「すまなかった、ゴルド。今の話は忘れてくれ。…俺たちはカーム村で、最後まで自分たちの足で立つことにする」
「待て、ベルデ」
呼び止めたゴルドの声は、重く、沈んでいた。
ゴルドは腕を組み、テラスの手すり越しに村の広場をじっと見つめていた。
「…ベルデ。お前の言う通りだ。八十人の年寄りと女子供を受け入れるのは、今のこの村にとって、ただの施しになるかもしれん。…それにな、お前たちの領主はあのアルトワ侯爵だ。欲深く、執念深い。カーム村の民を俺たちが囲い込めば、侯爵との争いになりかねん。…俺は、それが怖い。今のこの村の幸せを、一瞬で灰にする決断を下すのが、たまらなく怖いんだよ」
ゴルドの言葉は、隠し立てのない、村長としての本音の吐露だった。その背中には、彼一人が背負うにはあまりに重い、村人全員の命の重みがのしかかっているように見えた。
「…いいじゃないですか、怖くても」
私が、静かに口を開いた。
竹箒を脇に置き、ベルデとゴルドの間に割って入る。
「ゴルドさん。あなたが村人たちの命を惜しんで迷うのは、あなたが最高の村長である証拠です。無理に強くある必要はありません。だって、受け入れたいんでしょう? だったら、それでいいじゃないですか。私たちは村長の意志を受け入れますよ?」
ゴルドが、戸惑いを含んだ目で私を見た。
「ハルさん…」
「わしも同感だ」
グラキウスが、柱から背を離し、音もなく歩み寄ってきた。
その瞳には、冷徹かつ的確な眼が宿っている。
「侯爵と喧嘩になるのが怖いか。…なら、攻めてこれないような盾を構えればいい。あんた自身が決めたことだろう? 辺境伯の庇護下に入り、正式に納税を行うと。…ならば、カーム村の八十人は大義名分になる。領主に虐げられた民を救い、新しい領地を開拓する民草として、辺境伯の新たな領民としてな。辺境伯にとっても、侯爵を牽制する格好の材料になるだろうよ。あの男なら無下にはせんさ」
グラキウスが、ゴルドの肩を強く、鼓舞するように叩いた。
「迷う必要はない。その逡巡は、ただの優しさだ」
ゴルドは、私とグラキウスの顔を交互に見つめた。
やがて、ゴルドは大きく息を吐き出し、ベルデに向かって一歩踏み出した。
「…ベルデ。聞いたか。うちの居候たちは、俺よりよっぽど肝が据わっていやがる」
「ゴ、ゴルド…」
「お前の村の八十人、全員連れてこい。お前たちを飢え死にさせるような真似は、俺の代では絶対にさせん。…いいな」
ベルデの目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
彼は何度も何度も頷き、震える手でゴルドの腕を掴み、テラスの床に崩れ落ちるようにして泣き伏した。その震える肩には、春の柔らかな陽光が、祝福のように降り注いでいた。




