第70話「盾の代価」
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翌日の夕暮れ時。ゴルドの家の前で、いつもの三人が丸太の椅子に座っていた。
だが、今夜の空気は、いつもの穏やかな晩酌のそれとは決定的に違っていた。ゴルドの顔に、これまで以上の深い皺が刻まれている。
「…ハルさん。グラキウス。今回は、本当に助かった。だが、次はどうなる」
「次?」
「今回はたまたま、阿呆の集まりだった。だが、次にもっとまともな盗賊が来たらどうなる。あるいは、盗賊ではなく、もっと大きな力を持った、正規の軍のような連中が来たら。あんたたち二人がいる間はいい。だが、二人が永遠にこの村にいるとは限らん」
ゴルドの声は、一個の村を背負う村長のそれだった。目の前の危機を幸運にも乗り越えた直後に、その先に口を開けているさらに巨大な危機を見据える者の声。
「この村には、この地を治める代官がいない。領主への納税もしていない。二十年間、誰からも忘れられていたから、それで済んでいた。だが、人が来るようになり、富が生まれるようになった今、それは強みではなく最大の弱みだ。誰の庇護もないということは、誰に襲われても文句が言えんということだ」
グラキウスが、静かに頷いた。
「ゴルド。あんたの言う通りだ。村が豊かになれば、その甘い蜜を狙う者は必ず現れる。冒険者を雇って常時護衛させる手もあるが、それには数が要るし、莫大な金もかかる。しかも、冒険者は気まぐれだ。金の切れ目が縁の切れ目になりかねん」
「じゃあ、どうする」
「領主に頼るしかあるまい」
ゴルドが、押し黙った。
「この一帯を領地とするのはモンテフェルト辺境伯だ。辺境伯の庇護下に入れば、当然、税は納めることになる。だが、代わりに辺境伯の軍が村の安全を保障する。盗賊の類は辺境伯の名のもとに軍が取り締まるし、教会への抑止力にもなる。辺境伯は国王に諮る必要のない独立した強い裁量権を持っている。庇護を約束してもらえれば、それは盤石の盾になる」
「…税、か」
「避けられん道だ。だが、今の村の収入予測なら、税を納めてなお十分に余裕があるだろう。安全を買う代価として、決して高いものではないはずだ」
ゴルドが手元の木杯を見つめたまま、長い間、重い沈黙を保った。
二十年間。誰にも頼らず、誰の支配も受けず、細々と生き延びてきた村。その自由は、裏を返せば「誰にも守ってもらえない」という絶対的な孤独だった。村が貧しく、世界から忘れ去られている間は、それでも良かった。
だが、もう状況が変わったのだ。
「…分かった。辺境伯に掛け合う。庇護を求めて、税を納める。それが、この村と村人を守るための一番確かな道なら、そうする」
「賢明な判断だ」
「ただし、どうやって辺境伯に直接話を通す。この村は二十年間、辺境伯と一切の接触がない。突然村の使いが訪ねていっても、門前払いを食わんとも限らんぞ」
グラキウスが、ほんの一瞬だけ、何かを言いかけて口をつぐんだ。
「…その手段は、追い追い考えましょう。まずは、宿を建て、道を整備し、春の市を完璧に成功させることが先です。村の価値と特産品の力を見せつけてから、正式に辺境伯に話を持っていく方が、交渉の立場も圧倒的に強くなりますから」
ゴルドが、深く頷いた。グラキウスも、黙って同調した。
春の夜風が、三人の間を吹き抜けた。
視線の先、鳥居の前の広場では、十頭の馬が寄り添うようにおとなしく眠っている。昨夜まで盗賊の持ち物だった彼らは、もうすっかりルーテ村の住人として風景に溶け込んでいる。
村は、また一つ大きな転換点を迎えた。
金が入り、人が来て、そして、富を狙う敵も来た。もう「忘れられた村」のままではいられない。外の世界と繋がるということは、外の世界の暴力や政治的なうねりも引き受けるということだ。
だが、ゴルドは逃げなかった。現実を見据え、誇りを曲げてでも村を守るための次の一手を打とうとしている。この不器用な村長は、村と共に確実に成長している。
「…さて。明日から、朱の精製の最終段階ですね。マルタさんが待ちきれない顔でうずうずしていますから」
「朱か。あの赤いのが安定して作れるようになれば、春の市の最大の目玉になるな」
「ええ。ブルーノさんが、漆器に塗る準備を整えているそうです」
「楽しみだな。一体どんなものが出来上がるのか」
ゴルドの口元に、微かな、だが力強い笑みが戻った。
盗賊がもたらした騒がしい夜は終わった。明日からは、春の市に向けての準備と開拓が再び動き出す。
村の歩みは、もう誰にも止められない。




