第68話「月光と切っ先」
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盗賊団の士気は完全に瓦解していた。
徒歩の二十人のうち五人が地面に転がり、頼みの綱だった騎馬の十人は全員が馬から振り落とされて泥まみれで這い回っている。残りの徒歩の連中は、完全に逃げ腰になって互いを盾にしようと押し合い、誰一人として前に出ようとしない。
だが、その中で一人だけ動いた者がいた。先頭で威勢よく叫んでいた、頭目らしき大男だ。
その顔は月明かりの下でも分かるほど蒼白だったが、頭目としてのちっぽけな意地なのか、錆びた大剣を振りかぶって血走った目で吼えた。
「て、てめえら何をビビってやがる! たかが老いぼれ一人と、弓だけだ! 数で押しつぶ…」
グラキウスの姿が、月光の中からフッと掻き消えた。
次の瞬間。頭目の目の前に、突風のように距離を詰めたグラキウスが立っていた。
白翼の剣の鋭い切っ先が、男の喉仏のわずか手前にピタリと静止している。鉄の匂いが鼻腔を突く距離。刃がかすかに震えれば、即座に頸動脈を裂く絶対的な死の間合い。
「…もう一度言ってみろ。数で押しつぶすだと?」
頭目の顔から、一瞬にして全ての血の気が引いた。剣を振り下ろそうとしていた手が、まるで分厚い氷に閉じ込められたように空中で硬直している。喉元に向けられた刃から伝わる絶対的な死の気配に、男の膝がガクガクと震え始めた。
「わしは別に、お前たちを殺す気はない。ここは血で汚したくない場所なのでな。だが、これ以上この村に近づくなら、次は首を落とす。…分かったか」
「わ、分かった。分かったから、剣を…その剣をどけてくれ…」
「もう一つ。お前たちの同類やお仲間連中にしっかり伝えろ。この村には、絶対に手を出すな。二度と来るな。来たら…警告なしに殺戮する。覚えておけ」
グラキウスが、流れるような動作で剣を引いた。
支えを失ったように頭目が腰を抜かし、無様に地面に尻餅をつく。
「て、撤退! 撤退だ! 全員逃げろぉぉぉ!」
頭目の裏返った絶叫が、合図だった。
三十人の盗賊団が、一斉に踵を返した。
その逃走劇は、あまりにも壮絶に滑稽だった。
来た時と同じ交易路を我先にと駆け戻り、互いの足を踏んづけて転び、再び団子のように重なり合って転がっていく。暗闘の中で仲間同士で頭をぶつけ合い、木の根に躓き、水溜りに突っ込み、情けない悲鳴を上げながら闇の奥へ消えていく。
馬から振り落とされた騎手たちも、自分たちの馬を回収することなど完全に忘れ去り、転がるように走り去った。置き去りにされた十頭の馬は、主人が消えたことにも気づかないかのように、鳥居の近くで悠然と草を食み続けている。
「ひぃぃぃ! 化け物だ! あの村には化け物がいる!」
「爺さんが速すぎる! あんなの人間じゃねぇ!」
「矢が見えないのに飛んでくる! 呪いだ! ここは呪いの村だ!」
夜空に響き渡る悲鳴と絶叫が、急速に遠ざかっていく。巻き起こった土煙と、投げ捨てられた松明の残り火だけが、交易路の闇の奥へと吸い込まれて消えた。
広場に、春の夜の静寂が戻ってきた。
残されたのは、鳥居の前でのんびりと草を食んでいる十頭の馬と、地面に転がされたまま気を失っている五人の盗賊。そして、白翼の剣をカチンと鞘に収めるグラキウスと、弓を下ろした私だけだ。
「…終わりましたね」
「ああ。終わったな」
グラキウスが白い髭を撫でながら、心底疲労したような、しかし戦闘の疲れとは明らかに質の違う深い疲労感を滲ませて、ぼそりと呟いた。
「あれが盗賊団かよ。…張り合いがなさすぎて、手加減するのに疲れたぞ」




