第60話「管理と記録」
◆◇◆◇◆
市が熱を帯びるにつれて、事前に予想しきれなかった物理的な問題点が次々と浮かび上がってきた。これも、ペドロの予行演習の狙い通りだ。
まず、圧倒的に空間が足りない。
七台の荷馬車分の商品を並べた木台で、広場がほぼ完全に埋まってしまった。村人が品物を見て回る通路が狭すぎ、人と人がすれ違うたびに肩がぶつかる。子供が足元を走り回ると、さらに交通が麻痺して混雑が加速する。
「通路の幅が足りませんね。商品を並べる台の配置を変えて、人が無意識に一方向に流れるように誘導しないと、いずれ品物を落としてしまいます」
ロザが眉間を揉みながら呟いた。そのすぐ横で、グラキウスが腕を組んで広場の人の動きを鷹のように俯瞰していた。
「ロザ殿。各商人の台を、鳥居側から時計回りに配置し直して、広場の南側を入り口、北側を出口に完全に分けてみたらどうだ。人が滞留せず、水が流れるように一方向に回る」
ロザがはっとしてグラキウスの方を見た。老兵は何でもない顔をして、白い髭を撫でている。動線管理の定石を、市場の人の流れに応用したのだ。
「…なるほど。すぐにやってみます」
ロザがダリオと若い衆を走らせ、商人に頭を下げて台の配置を素早く変更させた。グラキウスの助言通りに入り口と出口を明確に分けた瞬間、ごちゃごちゃに絡み合っていた人の流れが、嘘のようにスムーズな渦となって循環し始めた。
商人たちが「おお、随分と客がさばきやすくなった」と感心してロザを見ている。
次に、村側の取引記録の問題。
商人たちはそれぞれ自分の帳簿に細かく売り上げをつけているが、村の側に「誰が何をいくらで売ったか、いくらで買ったか」の統合された記録が存在しない。これでは、村全体の収支がブラックボックスになってしまう。
「ハルさん。あんたの学問所で読み書きを教えている生徒の中で、数字に極端に強い者はいるか」
ペドロに問われ、私は一人の顔を思い浮かべた。
「…大人の生徒に一人います。牧畜をやっている男で、羊の頭数管理のために通い始めた人ですが、暗算が異常に速い」
「そいつを、今すぐ記録係に抜擢しろ。市が開いている間中、村人が取引した品目と金額を片っ端から記録させるんだ。それがそのまま、この村にとっての公式な財産目録になる」
結局、その男、エリオは、その日のうちにペドロから複式に近い帳簿のつけ方の基本を猛烈な勢いで叩き込まれ、翌日の朝から専用の木簡と墨を手に、市の隅に記録係として陣取ることになった。
新しい、そして極めて重要な役割を持った村人が、また一人生まれた瞬間だった。
さらに、食事と水の問題。
商人たちは自分の食料を持参するのが基本だが、村の共有の巨大な釜で温かい汁物を作って振る舞ったところ、これが商人や冒険者たちに大好評だった。
ゴルドが腕によりをかけた肉と芋の煮込みスープと、マルタが疲労回復のために調合した特製の薬草茶。
「この芋の汁物、とんでもなくうまいぞ。辺境の素朴な味だが、素材そのものが異常に上等だ」
「何より、水がいいんだろうな。この村の井戸水は、街の高級な水よりずっと甘くて透き通っている」
商人たちが口々に水の味を絶賛する。
それを聞いて、ゴルドが非常に複雑な顔で眉をひそめていた。水の質が飛躍的に向上したのは、ハルさんのせいだ。しかし、そんな超常的な理由をよそ者に説明するわけにはいかない。
「昔から、うまい水が出るんだ。この土地特有の水脈でな」
ゴルドの誤魔化しは極めて下手だったが、商人たちは料理に夢中でそれ以上追及しなかった。ペドロが事前に「あの村の裏事情には余計な詮索をするな」と、きつく釘を刺してくれていたおかげだろう。




