第6話「来訪者」
◆◇◆◇◆
魔獣の襲撃から数日が経った。
村の中で、私への見方が微妙に変わっているのは肌で感じている。以前は「変な服の変な人」だったのが、「変な服の変な人だけど、滅茶苦茶に強い」にアップグレードされた。まあ、大して変わっていないとも言える。
ただ、劇的に態度が変わるわけではないのが、この辺境の村人たちの良いところだった。地に足がついているのだ。「ハルさんが強いのはわかった。でも今日も畑の世話があるし、羊の毛も刈らなきゃならない」。そういうタフな人たちである。マルタが「大げさに騒ぐんじゃないよ。ハルさんが気まずくなるだろ」と村人たちを窘めてくれたのも大きかった。
ありがたい。
朝の冷涼な空気の中、私は社殿の周りに落ちた榊の葉を竹箒で掃き集めていた。
サッ、サッ、と一定のリズムで手を動かしながら、低い声で祝詞を口ずさむ。毎朝の日課。この神事があるからこそ、鳥居を中心とした神域の穢れは薄く保たれる。
「ハルさん、いつもぶつぶつ言ってるけど、それ何?」
小道を駆けてきたリーナが、小首を傾げて覗き込んできた。今日も朝一番の「出勤」だ。あの日以来、彼女が社殿にやって来る時間はさらに早くなった気がする。
「お祈りですよ。神様へのご挨拶です」
「ふーん。何語? 聞いたことない言葉だよね」
「…まあ、とても古い言葉です」
古い、どころの話ではない。この世界のどこを探しても存在しない言葉だ。
秋津島(日本)の祝詞なのだから。
だが、そんな説明のしようもないので「古い」という言葉で濁している。
「私もやっていい?」
「…真似くらいなら」
リーナが手にしていた小さな箒を置き、私の隣にちょこんと立った。小さな両手を胸の前で合わせ、ぎゅっと目を閉じる。
桜色の唇がもごもごと何かを呟いているが、当然ながら祝詞の体を成していない。だが、その一生懸命な姿がどこか微笑ましく、私は箒を動かす手を止めて静かに見守った。
「…どう? 何か変わった?」
「いいえ、何も」
「えー。つまんなーい」
リーナはぷくっと頬を膨らませて、再び箒を手に取った。
何も起きなかったことに、私は内心ほっと胸をなでおろす。もしこの世界の住人に神気を扱う素養があったりしたら、それはそれで厄介な事態になる。
…いや、考えすぎだ。掃除を続けよう。
◆◇◆◇◆
昼下がり。私はブルーノと一緒に鳥居の補修に取りかかっていた。
削りたての真新しい木の香りと、漆の甘く独特な匂いが混じり合う。
ひび割れた箇所を整え、刷毛で漆を薄く塗り重ねていく。漆は一度に厚く塗ると仕上がりが荒れてしまう。薄く、何度も、辛抱強く。その気の遠くなるような反復だけが、あの周囲の光を吸い込むような深い黒の光沢を生む。
「塗りムラがある。もう少し均一に引け」
ブルーノが横から低い声で指摘してくる。自分で塗った方が遥かに早くて美しいだろうに、あえて私にやらせて監督するのがこの職人のやり方だった。
「すみません。こうですか」
「まだ甘い。右端に溜まっている。…そうだ、そこだ」
ブルーノの檜を扱う手つきは芸術品の域だが、漆塗りの技術に関しては私に教えを請うたのも彼だった。だが、それも今は昔の話だ。
最初は全くうまくいかず、何度も塗り直しをさせたはずの彼に、今では逆に私が塗り直しをさせられている。「素材は良いのに仕上げが雑だ」という彼の評価は、出会った頃から今日まで一切変わっていない。
不意に、ブルーノが木を削る手をピタリと止めた。
彼の鋭い視線が、作業場の外、古い交易路の方角へと向けられる。
「…誰か来る」
「え?」
私も顔を上げた。ブルーノの耳は異常に良い。鉋をかける音だけで木目の方向を判断する男だ、遠くの足音にも敏感なのだろう。
私は意識を広げ、周囲の「穢れ」の気配を探った。人の気配が四つ。魔物特有の穢れはない。人間だ。しかも、足音に無駄なブレがない。疲れを一切感じさせない、訓練された足運び。
「…冒険者ですかね」
「ゴルドが言っていたな。カイルが来る時期だと」
なるほど。噂のあの人たちか。
◆◇◆◇◆
村の入り口で、四人の武装した男女が足を止めていた。
先頭に立つのは二十代後半に見える男。短い茶髪に使い込まれた革鎧を纏い、腰には無骨な幅広の剣を佩いている。日に焼けた顔に刻まれた細かな傷跡が、彼が数多の修羅場を潜り抜けてきたことを雄弁に物語っていた。その後ろに、双剣を背負った長身の女性、杖を持った知的な風貌の男、短弓を携えた小柄な若者が続く。
先頭の男、カイルが、村の入り口に立ったまま周囲の森を鋭く見回し、眉をひそめた。
「…おい。静かすぎないか」
隣の女剣士、セラが頷く。
「ああ。いつもなら、この村に着く前にゴブリンや野犬の気配を二、三度は拾うのに、今日は一切ない」
「他のパーティが先に来て、間引いた後か?」
杖の男、ヨルンが眼鏡の位置を直しながら首を振った。
「ギルドの掲示板にこの辺りの依頼は出ていなかった。こんな何もない辺境まで、我々以外に来る物好きはいないだろう」
短弓の若者、ピートが鼻をひくつかせている。
「空気が変だ。なんていうか…澄みすぎている。魔の森のすぐそばなのに、魔力特有の息苦しい淀みがまるでない」
カイルが油断なく腕を組んだ。右手はいつでも剣の柄に届く位置にある。
「…とにかく入るぞ。ゴルドの爺さんに話を聞けばわかる」
ここまでの会話を、私は離れた場所から感覚を澄ませて聞いていた。声そのものは聞こえないが、空気の震えと気配の動きで大体の様子は読める。四つの気配が村に入ってくる。特に敵意はない。
まあ、私が静かにしていれば気づかれないだろう。
…と思ったのだが。
「ゴルドのおじいちゃーん! カイルさんたちが来たよー!」
リーナの元気いっぱいの声が、村じゅうに響き渡った。あの子の辞書に「内緒」という概念はないらしい。
明日からは、毎日11:00に掲載します。
ブックマークや評価での応援をいただけますと、毎日の執筆の何よりの励みになります!
『転生神主の日常』を、どうぞよろしくお願いいたします!




