第5話「紅焔の傷痕」
◆◇◆◇◆
夜。
社殿の裏手を流れる小川で、手と顔を洗っていた。冷たい水が肌を刺す。秋が深まっている。
禊。
殺傷を行った後は、身を清めなければならない。
今日、三つの命を奪った。
それは神主として避けられないこともあるが、穢れを生じることに変わりはない。実際、体のどこかに泥のような薄い膜がかかったような、力がわずかに遠くなったような感覚がある。
水を繰り返し浴びながら、考える。
あの魔獣の群れ。十五体は多すぎた。
普段この辺りをうろつく魔獣はせいぜい三、四体で、それも人を避けて通り過ぎるだけだ。今日のように十五体が一度に、しかも村を目掛けて突っ込んでくるのは異常だった。森の奥で何かが起きていなければいいのだが。
まあ、考えても仕方ない。明日の掃除の時に、神域の気を確認しよう。
体を拭き、白衣を着直す。社殿に戻り、梓弓を壁の定位置にかけ、五柱の御札の前に正座して手を合わせた。
「五柱の大神様。本日の不浄、お許しください。三つの命を奪いました。村を守るためとはいえ、穢れを生じたこと、深くお詫び申し上げます」
静かに頭を下げ、しばらく目を閉じていると、社殿の中にほんのかすかな温もりが満ちた。五柱のどなたかが応えてくださったのかもしれない。あるいは気のせいかもしれない。どちらにしても、感謝を忘れてはならない。
社殿の板間に横になる。天井は低く、檜の香りがする。目を閉じると、リーナの「すごかった!」という声が耳に蘇って、少しだけ口元が緩んだ。
すごくなんかない。あんなの、前世に比べたら…。
前世。
業火に染まる夜空。崩れ落ちる春日社の社殿。矢を射尽くし、折れた弓を投げ捨て、奪った太刀で平氏の武者を斬り伏せた、あの地獄のような夜。
やめよう。前のことは考えない。
「…明日も…掃除するか」
眠りに落ちる直前、ふと、ゴルドが昼間に言っていたことを思い出した。
『来月あたり、カイルの連中が来る頃合いだったな』
カイル。冒険者。年に何度か、善意でこの村の周辺の魔物を間引きに来てくれているという人物。報酬はマルタの薬草と辰砂、それとゴルドの酒だけらしい。
その人が来たら、今日のことを聞くだろう。村人たちが、話さないわけがない。
できれば、大げさに伝わらないといいんだけど…。
無理だろうな。リーナが真っ先に喋る。
天井の木目を眺めながら、私は小さなため息をついた。
◆◇◆◇◆
翌朝。いつもの時間に目が覚めた。
社殿の戸を開けると、秋の冷たい空気が頬を撫でた。
昨夜の禊が効いたのか、体にまとわりついていた穢れの膜はだいぶ薄まっている。朝の掃き掃除で祝詞を唱えれば、完全に落ちるだろう。
竹箒を手に取り、鳥居の前に立つ。落ち葉はほんの少し。榊の大木が朝日を浴びて、葉を金色に光らせている。
サッ、サッ、と箒を動かしながら、低い声で祝詞を唱え始める。五柱の大神への朝のご挨拶。それと、この土地の穢れを祓い清める祈り。毎朝の日課。これを欠かしたことは、この世界に来てから一度もない。
「ハルさん、おはよー!」
小道を駆けてくる足音。リーナが今日も全力で走ってくる。
「おはようございます」
「ねえねえ、昨日の弓、カイルさんたちにも見せてあげてよ! 絶対びっくりするよ!」
「…できれば静かにしていてほしいんですけどね」
竹箒を動かしながら、私は小さなため息をついた。
吸い込まれるような黒い鳥居の向こうに広がる空は、今日も高く澄んでいる。
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4月26日 16:00
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