第51話「温かな生還」
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帰路の森は、行きとは全く別の世界だった。
あの金色の祭壇を後にして歩き始めた直後から、足元の劇的な変化には気づいていた。
灰白色に枯れ果てていた落ち葉の下から、柔らかな緑の苔が産声を上げるように顔を覗かせている。黒く朽ちていた木々の幹に、瑞々しい樹皮が新しく張り始めている箇所がいくつもある。おぞましく紫色に滲んでいた樹液は完全に消え去り、代わりに透明で清らかな樹液が、傷ついた幹を優しく塞ぎ始めていた。
空気が、羽のように軽い。
行きは一呼吸ごとに喉を焼いた瘴気の重圧が、嘘のように消え去っている。澄み切った冬の冷涼な空気が肺の隅々まで満ち、深く息を吸い込むたびに、体の内側にこびりついていた疲労と穢れの残滓が、清流に洗い流されるように消えていくのを感じた。
カイルが先頭を歩きながら、信じられないものを見るように周囲の景色を頻繁に見回している。
行きに彼が鉈で強引に切り開いた藪が、すでに新しい生命の芽吹きで塞がりかけている。だがそれは、行く手を阻む敵意ある障害ではない。森の回復の力強い証だった。鉈を振るう必要すらほとんどない。木々の間を、ただ普通に、息を乱すことなく歩けるのだ。
二日目の昼。往路で黒く濁りきっていたあの沢に差しかかった。
カイルがピタリと足を止め、水面を食い入るように凝視する。
「…ハルさん。この沢、行きの時は真っ黒で底が全く見えなかったよな」
「ええ。穢れで完全に汚染されていました」
「今、底の石の模様まではっきり見えている。まだ僅かに濁ってはいるが、確かな流れがある。死んでいた水が動き始めている」
カイルが革の小手を外し、素手を伸ばして流れに指先を浸した。すぐに引き上げて、指先についた匂いを鋭く嗅ぐ。
「…臭くない。まだごくごくと飲む気にはならないが、あの腐った泥の悪臭は完全に消えている」
「浄化が、あの祭壇を中心にして波紋のように少しずつ広がっているんでしょうね。地下の水脈を通じて、森の隅々の穢れが洗い流されつつある」
カイルがゆっくりと立ち上がり、沢の向こうの広大な森の奥を見渡した。
立ち枯れた木々の合間に、ぽつぽつと柔らかな緑が戻り始めている。鳥のさえずりはまだない。だが、小さな羽虫の羽音が微かに耳に届いた。行きには一切存在しなかった、確かな命の音だ。
「…ハルさん。俺はこの辺りの森を、何年も冒険者として歩いてきた。魔の森と呼ばれ、熟練の者でも奥に踏み込むのを本能的に避ける場所だった。瘴気が極端に濃く、魔獣が徘徊し、木々は黒く朽ち、水は猛毒に染まっていた」
カイルが振り返り、私を真っ直ぐに見た。
「だが、今、目の前にあるのは、そんな絶望の森じゃない。ここはもう、魔獣が跋扈する死の森ではなく…このまま浄化が進めば、大陸でも有数の、実り豊かな極上の森に生まれ変わるのかもしれないな」
横で聞いていたグラキウスが、白い髭を撫でながら静かに頷く。
「ああ。本来のこの森は、こういう清らかな場所だったのだろう。あの神が慈しみ守っていた頃の姿が、少しずつ戻ろうとしている」
二人の言葉を聞きながら、私は沢の澄み始めた水面に映る、高く青い冬空を見上げていた。
「…そうだといいですね」
帰路の行程は、行きより一日早い四日で済んだ。
森が急速に回復しつつあるおかげで、行く手を阻む毒々しい藪が薄まり、足元の泥濘が安定したことで、行軍の速度が自然と上がったからだ。
往路でカイルが目印をつけておいた清水の湧き場で竹の水筒を満たし、大きな困難に直面することもなく、私たちは四日目の午後に、ついに森の縁を抜けた。
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結界の見えない境を越えた瞬間、三人とも申し合わせたように、肺の底から深々と溜息をついた。
十日ぶりの完全に清浄な神域の空気。
体中の毛穴という毛穴から、微かに残っていた穢れの記憶が抜け落ちていくような爽快感。カイルが両腕を天に向かって大きく伸ばして背骨を鳴らし、グラキウスが分厚い胸を張って、豪快な欠伸をした。
見慣れた鳥居が見えた。漆黒の太い柱が、冬の柔らかい西陽を受けて深い光沢を見せている。
その前に、小さな人影がぽつんと立っていた。
「ハルさん!」
リーナが、小さな体を弾ませて全力で走ってきた。
十日間。おそらく毎日、朝から夕方まで、この同じ場所に立って森の入り口を見つめながら待っていたのだろう。大きな瞳の縁が真っ赤に腫れている。だが、泣いてはいない。泣くのを必死に我慢して、唇を噛み締めていた跡だ。
「おかえり! 怪我してない!? 三人とも無事!?」
「無事ですよ。全員五体満足で、元気に帰ってきました」
「…よかった。よかったよぉ…」
リーナの声が、抑えきれずに微かに震えた。
我慢していた涙が、圧倒的な安堵によってついに決壊しかけている。だが、この子はギュッと歯を食いしばって堪えた。十歳の少女が、精一杯の意地と強がりを見せている。
「泣いてないからね。泣いてなんかいないからね」
「泣いてませんね。強いですね、リーナは」
「うん。強いの」
鼻を真っ赤にしながら胸を張るリーナ。その小さな亜麻色の頭を、グラキウスの丸太のように太い右手が、ぽんと優しく撫でた。
「留守番、ご苦労だったな。お前さんが待っていてくれたおかげで、安心して森の奥を歩けた」
「グラさんもおかえり。…やせた?」
「干し肉と硬いパンだけの十日間だからな。ゴルドの作る熱い芋の煮物が、恋しくてたまらんのだ」
広場の方から、ザクッ、ザクッと重い足音が近づいてきた。
ゴルドだ。太い腕を組み、私たち三人の顔を順番に舐めるように見て、深い皺の奥で鋭い目をすっと細める。
「無事か」
「ええ。無事です」
「…そうか」
それだけ言って、ゴルドはくるりと背を向けた。
「飯の用意がある」とだけぶっきらぼうに残して歩き出す。だが、その広い背中と足取りが、隠しきれないほど心持ち弾んでいるのを、私は見逃さなかった。
マルタが「よく帰ってきたね」と、特製の薬湯を三人分、湯気を立てて持ってきた。
ロザが「夜は冷えるから」と、厚手の毛布を何枚も抱えて走ってきた。
ダリオが「おかえりなさい! 留守中の工房は完璧に順調ですよ!」と誇らしげに報告してきた。
セラが「村の外縁に異常はなかった」と簡潔に告げる。
村全体が、私たちの帰りを心から待ってくれていた。
温かい飯の匂い。五臓六腑に染み渡る温かい薬湯。そして、人々の温かい声。
それらが、十日分の極限の疲労と、死地での緊張をゆっくりと溶かしていく。




