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転生神主の日常 〜掃き清めた地が国となるまで〜  作者: 秋澄しえる


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第50話「赦謝」

◆◇◆◇◆


 しばらくの間、三人ともその場から動けなかった。


 カイルが広場の端の岩にどっしりと腰を下ろし、剣を膝の上に置いて、肺の底から深く長い息を吐き出した。


「…信じられん。こんなことが本当に起きるのか」

「起きましたよ」

「起きたから信じられんと言っとるんだ」


 グラキウスが祭壇の石の傍にゆっくりと歩み寄り、その金色の表面に、分厚い右手をそっと触れた。

 穢れの分厚い殻が砕け散った後に現れた、本来の神の座。


 老人の灰色の目が、微かに潤んでいるように見えた。だが、決して泣いてはいなかった。涙の代わりに、全てを赦されたような静かな笑みが浮かんでいる。


「…温かい。まるで、日向で温められた石のようだ」

「この神は、もともと大地の神ですから。陽の光に温められた石の温もりは、この方にとって最も本来の姿なのかもしれません」

「…そうか」


 グラキウスが石から手を離し、ゆっくりと天を仰ぎ見た。


 灰色に濁りきっていたはずの空が、いつの間にか、吸い込まれるような澄んだ冬の青空を取り戻している。木々の枝葉の隙間から差し込む光の筋が、先ほどまでの病んだ灰色ではなく、命を育む健康な黄金色に輝いていた。


 グラキウスの視線が、空から私へと下りてくる。


「ハル殿」

「はい」

「言った通りだったな。敵ではなかった。苦しんでいた。そして…救えた」

「ええ。救えました」


 老人は再び石の祭壇に目を落とし、ぽつり、ぽつりと独白するように口を開いた。


「…わしは、これまでの人生で、数え切れないほどのものを祓い、多くのものを力で排除してきた。光の御名のもとに、それが世界の正義だと信じてな。…だが、もし、その排除してきたものの中に、こういう存在がいたのだとしたら…」


 グラキウスはそこで、静かに言葉を切った。


 その先の言葉を、私は待たなかった。待つ必要などどこにもなかった。


 この老人の魂の中で、長年信じてきた冷徹な価値観が一度完全に壊れ、そして今、目の前の温かな金色の石を前にして、新しい何かとして繋がり直そうとしている。それは、その横顔の穏やかさを見れば痛いほど分かった。


「グラキウスさん。過去のことは、今は考えなくていいと思います。今日、ここで、一つの神が確かに救われた。それだけで今は十分です」


 グラキウスがふっと鼻を鳴らした。

 涙ぐんでいたように見えた目が、いつもの飄々とした、図太い老人の色に戻っている。


「…ああ。そうだな。しかし、驚いた。あんたの神事というのは、とんでもない代物だな。剣を振るうわしらは蚊帳の外で、紙と筆と声だけで神を復活させおった。わしは一体何のために重い荷物を背負ってきたんだ」

「獣たちが来なかったら、もっと楽に集中できたんですけどね。お二人が背中を守ってくれなかったら、途中で引き裂かれて中断させられていました」


 グラキウスが肩をすくめる。


「…手加減しながら退けるのは、正直しんどかったぞ。殺す方が百倍楽だ」

「殺さないでくれて、本当にありがとうございます。あの子たちも、もう大丈夫です」


 広場の縁で、穢れの毒から解放された獣たちがすっかりおとなしくなっていた。

 赤みが消え、本来の穏やかな光を取り戻した目で、新しく芽吹いた草を食んだり、互いの毛皮を舐めて毛繕いをしたりしている。


 角が歪んでいたあの鹿の角も、心なしか少しだけ左右が均等に戻っているように見えた。完全には治っていないが、清浄な空気に包まれていれば、時間が経てば元の姿に戻るだろう。


 岩に腰掛けていたカイルが、立ち上がって剣を鞘に収めた。


「カイルさん、そろそろ帰りましょうか」

「…ああ。帰るか。飯が食いたい。まともな飯が」

「ゴルドさんの芋の煮物ですね」

「今なら硬パンでも干し肉でも美味いと思ったが、芋の煮物と聞いたら急に胃袋が恋しくなった」

「わしはマルタ殿の薬湯が飲みたい」


 三人で顔を見合わせて、自然と、声を出して小さく笑った。


 祭壇の石の上で、一枚の御札が静かに佇んでいる。


 『布可母利久爾多摩命』の名が、穏やかな墨色で紙に刻まれている。この御札は、村に帰ったら社殿の内陣に丁重に祀り直す。五柱の隣に、大切な六柱目の神として。


 私は祭壇に向かって最後にもう一度、二礼二拍手一礼の作法を、音を立ててしっかりと行った。


「布可母利久爾多摩命。しばらくここでお待ちください。あなたの御札は、私の社に大切にお祀りします。必ず、またお参りに来ます」


 清らかな風が吹き抜けた。


 甘く芳醇な花の香りが、もう一度、かすかに三人を見送るように漂った。


 私たちは背嚢を担ぎ直し、来た道を。もう死の灰色ではなく、命の緑に溢れつつある道を確かな足取りで歩き始めた。

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