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転生神主の日常 〜掃き清めた地が国となるまで〜  作者: 秋澄しえる


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第36話「吹き溜まりの防人(さきもり)」

◆◇◆◇◆


 二人がかりでキマイラの死骸を調べた。


 私が穢れの分布を読み、グラキウスが獣の肉体の構造を観察する。二人で膝をつき、巨大な死骸を前に、しばらく黙って分析を続けた。


「…ハル殿。これは尋常ではないぞ」

「ええ。三つの頭が、それぞれ別の獣の骨格と特徴を完全に維持しています。獅子、山羊、蛇。自然界でこんな完璧な融合が起きるはずがない」

「わしが以前見たキマイラも似たようなものだ。キマイラの特徴と言っていいだろう」

「穢れの注入の仕方にも、不気味な規則性があります。均一に全身の血管へ行き渡らせている。自然に溜まった穢れではない。人為的に、あるいは何らかの意志によって注がれたものかもしれない」


「森の奥にいる『意志』は、ただ無差別に穢れを広げているだけではない。魔獣を設計し、製造し、強化し、目的を持って送り込んでくる能力があるということだな」

「ええ。昨日の森の足跡も、複数の種が同じ方向に移動していました。完全に統率されている」

「統率。軍隊のようなものだな」


 グラキウスが、右手を思案するように顎にあてた。


「このキマイラはただの斥候だ。村の防備の堅さを測るために送り込まれた、使い捨ての駒。つまり、必ず次がある。次は、これ以上の数か、もっと強いものが来る」


 私は頷いた。グラキウスの分析は、私が漠然と感じていた恐怖を、軍事的な論理で正確に言語化していた。この老人は、こういう命がけの局面でこそ本領を発揮する。洗濯や料理は壊滅的だが、敵の意図を読むことにかけては、恐ろしく的確で頼りになる。


「…カイルたちギルドの調査隊にも、この情報を伝えたいですね」

「冒険者か。彼らが戻ってくるのはいつだ」

「正確には分かりません。ただ、近いうちに来ると約束はしていました」

「ならば、それまではわしたちで、この村を守るしかあるまい」


 わしたち。


 グラキウスが、ごく自然に、自分をこの村の守り手に含めて語った。行く宛のなかった旅人が、戦いを通して、確かな居場所を見つけつつある。


「グラキウスさん」

「何だ」

「もう少し、この村にいてくださいますか」

「…用済みだと、追い出されると思っておったのか?」

「いえ。ただ、改めてきちんとお願いしたくて」

「ハル殿。わしは行く宛のない老いぼれた旅人だ。この村にいる理由を探していたところだよ。今日、ようやく見つけた」


 グラキウスが地面に突き刺さったままの剣を引き抜き、革の鞘にゆっくりと納めた。白翼の柄が鞘の口に吸い込まれる時、かちりと、終わりを告げる小さな音を立てた。


 私は梓弓を肩にかけ直し、キマイラの死骸に目をやった。


 これは始まりに過ぎない。森の奥に何がいるのか、まだ分からない。だが、その「何か」は確実に、このルーテ村を標的にしている。穢れの侵食は日に日に強まり、送り込まれる魔物は段階的に強大になっていく可能性がある。


 私一人では、心許なかった。


 だが、今は——。


「片付けましょうか。この死骸、放っておくと村の地面に穢れが広がりますから」

「そうだな」

「そういうことにも慣れていそうですね」

「昔取った杵柄だ。野菜炒めを焦がすよりは、遥かに得意でな」


◆◇◆◇◆


 死骸の処理と浄化を終え、広場に戻ると、ゴルドが家から飛び出してきた。


「ハルさん! グラキウス! 無事か!」

「ええ。グラキウスさんが一人で片付けてくれました」

「…グラキウスが?」

「ただのぽんこつじいさんではなかったということだな」


 ブルーノの低い声が、工房の方から聞こえた。どうやら、彼は工房の陰から一部始終を見ていたらしい。


「ブルーノ。あんた、見てたのか」

「見ていた。三度の太刀筋だけで、あの化け物を仕留めた。あの剣の扱い、並の冒険者の域ではない」


 グラキウスが白い髭を撫でながら、ひどく居心地悪そうに視線を明後日の方向へ逸らした。


「…大したことはしておらん。ハル殿が弓を構えて後方に控えていてくれたから、背中を気にせず安心して前に出られただけだ」

「私は何もしてませんよ。弓を持って立ってただけです」

「立っているだけで背中を任せられる安心感がある弓手がいるのは、前線で剣を振るう人間にとってはこの上ない贅沢なのだよ」


 ゴルドが太い腕を組んで、グラキウスと私を交互にじろじろと見た。


「…この村は、いつの間に、こんなとんでもない連中の吹き溜まりになったんだ」

「吹き溜まりはひどくないですか、ゴルドさん」

「事実だろうが。得体の知れん神主やらと、正体不明の剣の達人。二人とも行き倒れで拾ったんだぞ。次はどんな化け物が転がり込んでくるんだ」

「もう十分です。これ以上は増えないと思いますよ」

「思う、じゃなくて保証しろ」

「保証はできませんが、善処します…」


 リーナがゴルドの家から顔を出し、グラキウスに顔を向けた。


「グラさん、大丈夫!? すっごい音がしたけど!」

「大丈夫だ。少しばかり、大きな虫を退治しただけだよ」

「虫って、あんなに地面が揺れるの?」

「少し、育ちすぎた虫だったのだ」

「ふーん。グラさん、虫退治も上手なんだね」

「洗濯よりは、ずっと得意でな」


 リーナが笑った。ゴルドが呆れた顔をして肩をすくめた。マルタが「あんた、やっぱりただの爺さんじゃないね」と含み笑いを漏らした。ブルーノが短く鼻を鳴らした。


 私は竹箒を拾い上げ、肩にかけた。


 キマイラの血で汚れた村の入り口を見下ろす。穢れを帯びた血が触れた草が、黒く枯れている。これを完全に清めるには、掃き掃除だけでは足りない。明日の朝、符を使った本格的な浄化が必要だ。


 だがそれは、明日でいい。今日は十分に働いた。グラキウスも、左腕の痛みがまだ奥に残っているだろう。


「グラキウスさん。今日はゆっくり休んでください。左腕のこと、明日また見せてください」

「ああ。すまんな、ハル殿。世話をかける」

「世話なんて。私はただの神主ですから。穢れを祓うのが仕事なんです」

「…また、それか」


 グラキウスが笑った。大きな、何も隠すことのない豪快な笑い声。


 その笑い声に、ゴルドが「うるさいぞ爺さん」と怒鳴り、リーナが「グラさんの笑い声、村で一番大きい!」とけらけら笑った。


 秋の夕方の広場に、温かな笑い声が響いている。


 ほんの少し前まで、キマイラの血生臭い咆哮が空気を震わせていた場所に。


 その日常と非日常の対比が、なんだか、とても良いものに思えた。

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