第36話「吹き溜まりの防人(さきもり)」
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二人がかりでキマイラの死骸を調べた。
私が穢れの分布を読み、グラキウスが獣の肉体の構造を観察する。二人で膝をつき、巨大な死骸を前に、しばらく黙って分析を続けた。
「…ハル殿。これは尋常ではないぞ」
「ええ。三つの頭が、それぞれ別の獣の骨格と特徴を完全に維持しています。獅子、山羊、蛇。自然界でこんな完璧な融合が起きるはずがない」
「わしが以前見たキマイラも似たようなものだ。キマイラの特徴と言っていいだろう」
「穢れの注入の仕方にも、不気味な規則性があります。均一に全身の血管へ行き渡らせている。自然に溜まった穢れではない。人為的に、あるいは何らかの意志によって注がれたものかもしれない」
「森の奥にいる『意志』は、ただ無差別に穢れを広げているだけではない。魔獣を設計し、製造し、強化し、目的を持って送り込んでくる能力があるということだな」
「ええ。昨日の森の足跡も、複数の種が同じ方向に移動していました。完全に統率されている」
「統率。軍隊のようなものだな」
グラキウスが、右手を思案するように顎にあてた。
「このキマイラはただの斥候だ。村の防備の堅さを測るために送り込まれた、使い捨ての駒。つまり、必ず次がある。次は、これ以上の数か、もっと強いものが来る」
私は頷いた。グラキウスの分析は、私が漠然と感じていた恐怖を、軍事的な論理で正確に言語化していた。この老人は、こういう命がけの局面でこそ本領を発揮する。洗濯や料理は壊滅的だが、敵の意図を読むことにかけては、恐ろしく的確で頼りになる。
「…カイルたちギルドの調査隊にも、この情報を伝えたいですね」
「冒険者か。彼らが戻ってくるのはいつだ」
「正確には分かりません。ただ、近いうちに来ると約束はしていました」
「ならば、それまではわしたちで、この村を守るしかあるまい」
わしたち。
グラキウスが、ごく自然に、自分をこの村の守り手に含めて語った。行く宛のなかった旅人が、戦いを通して、確かな居場所を見つけつつある。
「グラキウスさん」
「何だ」
「もう少し、この村にいてくださいますか」
「…用済みだと、追い出されると思っておったのか?」
「いえ。ただ、改めてきちんとお願いしたくて」
「ハル殿。わしは行く宛のない老いぼれた旅人だ。この村にいる理由を探していたところだよ。今日、ようやく見つけた」
グラキウスが地面に突き刺さったままの剣を引き抜き、革の鞘にゆっくりと納めた。白翼の柄が鞘の口に吸い込まれる時、かちりと、終わりを告げる小さな音を立てた。
私は梓弓を肩にかけ直し、キマイラの死骸に目をやった。
これは始まりに過ぎない。森の奥に何がいるのか、まだ分からない。だが、その「何か」は確実に、このルーテ村を標的にしている。穢れの侵食は日に日に強まり、送り込まれる魔物は段階的に強大になっていく可能性がある。
私一人では、心許なかった。
だが、今は——。
「片付けましょうか。この死骸、放っておくと村の地面に穢れが広がりますから」
「そうだな」
「そういうことにも慣れていそうですね」
「昔取った杵柄だ。野菜炒めを焦がすよりは、遥かに得意でな」
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死骸の処理と浄化を終え、広場に戻ると、ゴルドが家から飛び出してきた。
「ハルさん! グラキウス! 無事か!」
「ええ。グラキウスさんが一人で片付けてくれました」
「…グラキウスが?」
「ただのぽんこつじいさんではなかったということだな」
ブルーノの低い声が、工房の方から聞こえた。どうやら、彼は工房の陰から一部始終を見ていたらしい。
「ブルーノ。あんた、見てたのか」
「見ていた。三度の太刀筋だけで、あの化け物を仕留めた。あの剣の扱い、並の冒険者の域ではない」
グラキウスが白い髭を撫でながら、ひどく居心地悪そうに視線を明後日の方向へ逸らした。
「…大したことはしておらん。ハル殿が弓を構えて後方に控えていてくれたから、背中を気にせず安心して前に出られただけだ」
「私は何もしてませんよ。弓を持って立ってただけです」
「立っているだけで背中を任せられる安心感がある弓手がいるのは、前線で剣を振るう人間にとってはこの上ない贅沢なのだよ」
ゴルドが太い腕を組んで、グラキウスと私を交互にじろじろと見た。
「…この村は、いつの間に、こんなとんでもない連中の吹き溜まりになったんだ」
「吹き溜まりはひどくないですか、ゴルドさん」
「事実だろうが。得体の知れん神主やらと、正体不明の剣の達人。二人とも行き倒れで拾ったんだぞ。次はどんな化け物が転がり込んでくるんだ」
「もう十分です。これ以上は増えないと思いますよ」
「思う、じゃなくて保証しろ」
「保証はできませんが、善処します…」
リーナがゴルドの家から顔を出し、グラキウスに顔を向けた。
「グラさん、大丈夫!? すっごい音がしたけど!」
「大丈夫だ。少しばかり、大きな虫を退治しただけだよ」
「虫って、あんなに地面が揺れるの?」
「少し、育ちすぎた虫だったのだ」
「ふーん。グラさん、虫退治も上手なんだね」
「洗濯よりは、ずっと得意でな」
リーナが笑った。ゴルドが呆れた顔をして肩をすくめた。マルタが「あんた、やっぱりただの爺さんじゃないね」と含み笑いを漏らした。ブルーノが短く鼻を鳴らした。
私は竹箒を拾い上げ、肩にかけた。
キマイラの血で汚れた村の入り口を見下ろす。穢れを帯びた血が触れた草が、黒く枯れている。これを完全に清めるには、掃き掃除だけでは足りない。明日の朝、符を使った本格的な浄化が必要だ。
だがそれは、明日でいい。今日は十分に働いた。グラキウスも、左腕の痛みがまだ奥に残っているだろう。
「グラキウスさん。今日はゆっくり休んでください。左腕のこと、明日また見せてください」
「ああ。すまんな、ハル殿。世話をかける」
「世話なんて。私はただの神主ですから。穢れを祓うのが仕事なんです」
「…また、それか」
グラキウスが笑った。大きな、何も隠すことのない豪快な笑い声。
その笑い声に、ゴルドが「うるさいぞ爺さん」と怒鳴り、リーナが「グラさんの笑い声、村で一番大きい!」とけらけら笑った。
秋の夕方の広場に、温かな笑い声が響いている。
ほんの少し前まで、キマイラの血生臭い咆哮が空気を震わせていた場所に。
その日常と非日常の対比が、なんだか、とても良いものに思えた。




