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転生神主の日常 〜掃き清めた地が国となるまで〜  作者: 秋澄しえる


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第34話「殺意」

◆◇◆◇◆


 それは、広場で開かれた学問所の授業が終わり、平和な空気が流れていた直後のことだった。


 子供たちが書き取りの木板を小脇に抱えて、わいわいと散っていく。


 自慢げに胸を張るリーナ。「今日は『川』の字を一発で書けた!」

 隣の少年は項垂れている。「俺なんか『山』を三回も間違えた…」

 マルタの容赦のない添削が飛んだ。「あんた、『山』は線三本だよ。なんで五本も引いて森みたいにするのさ」


 穏やかな、秋の午後の風景。


 その柔らかな空気を、一陣の強烈な異臭が切り裂いた。


 喉の奥を焼く濃密な瘴気。神域の結界がそれを必死に薄めてはいるが、完全には遮断しきれないほどの圧倒的な濃さだ。


 私は、手にしていた字を書くための木の棒を、カランと落とした。


 近い。しかも…とてつもなく、大きい。


 先日の偵察で森の奥に感じたあの巨大な穢れの澱みとは別の、明確な「殺意」という輪郭を持った独立した個体の気配。それが、一直線にこちらに向かって、木々をなぎ倒すような猛烈な速度で移動している。


 グラキウスが、広場の切り株から音もなく立ち上がっていた。

 太い鼻をひくつかせ、腰の剣の柄に、無意識のうちに右手を添えている。


「…来たな」


 その重い一言で、全てを理解した。昨日の偵察で、グラキウスが経験から予言した通りだ。


 森の奥の意志が放った、先兵が来た。


「リーナ! 子供たちを連れてゴルドさんの家に! 全員、絶対に家から出ないで!」

「え、ハルさん…」

「今すぐ!」


 私の声の調子が普段と全く違うことに、リーナは一瞬で事態の深刻さを察した。「みんな来て!」と子供たちの手を強く引き、広場から矢のように走り去った。

 マルタが選別していた薬草の束をその場に放り出し、子供たちの背中を追う。異変に気づいたゴルドの怒鳴り声が村に響き渡った。


「鐘を鳴らせ! 全員、家に入れ!」


 カンカンカンカンカン!


 また、この切迫した鐘の音だ。村人たちの訓練された退避行動が始まる。


 だが今回は、以前と一つだけ違うことがあった。


 広場に残り、敵を迎え撃つのが、私一人ではなかったのだ。


◆◇◆◇◆


 社殿に走り、梓弓を取り、矢筒を肩にかけた。襷を解き、袖を落とす。

 一瞬迷って、社殿の奥に安置してある小狐丸こぎつねまるにも手を伸ばした。短刀の姿のまま、帯に差す。何が来るか分からない。使えるものは、全て持っていく。


 境内から広場に戻ると、グラキウスがすでに漆黒の鳥居の前に立ちはだかっていた。


 粗末な旅装束のまま。防具の鎧もない。ただ、腰の長剣の留め金を外し、いつでも抜刀できる状態にしている。

 何度も繕われた粗末な革巻きの鞘。しかし、柄頭の純白の翼の意匠だけが、午後の陽光を反射して、神々しいまでに鋭く銀色に閃いていた。


「グラキウスさん、危ないですから下がって…」

「ハル殿。この老いぼれの腕が実戦でまだ通用するか、試させてくれんか」


 グラキウスの目が、完全に変わっていた。


 洗濯物を縮めて困っていた時の、あの間の抜けた穏やかな灰色の目ではない。


 極限まで研ぎ澄まされた鋼のように冷たく、しかし瞳の奥底に静かで熱い炎を宿した目。何千、何万という軍勢の上に立ち、常に死と隣り合わせの命のやり取りの場に足を踏み入れてきた者だけが持つ、絶対的な強者の眼光だった。


「…左腕は、まだ動かないでしょう」

「右腕だけで十分だ。この程度の羽虫の相手に両腕は要らん」


 この程度。まだ敵の姿も見えていないのに、老兵は「この程度」と言い切った。穢れの気配の圧力と接近速度から、相手の格をすでに正確に測り終えているのだ。


 私が言い返す間もなく、森の縁の太い木々が、凄まじい轟音と共にへし折られた。

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