第29話「歪な才能」
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広場の臨時の竹細工工房で、一つの異変が起きた。
良い方の異変だ。
グラキウスが、工房の作業風景を少し離れた場所から黙って眺めていた。
ゴルドの家の前の切り株にどっしりと腰を下ろし、動く右腕だけで顎を撫で、灰色の目を細めている。
村人たちの細かな動き、材料が置かれる位置、完成品が積み上がる流れ。その一つ一つを、じっと、じっと、息を潜めるように観察しているのだ。
洗濯物を縮めて「おかしいな」と首を傾げていた時の気の抜けた顔とは、もはや別人のような恐ろしい集中力だった。その目は、眼下の戦場を見下ろし、伏兵の位置と兵站の乱れを見抜く鷹のそれに変わっていた。
やがて、グラキウスが静かに立ち上がり、工房の中でひとり黙々と竹の表面を削っているブルーノに歩み寄った。
「ブルーノ。少しだけ、口を挟んでいいか」
ブルーノが小刀を動かす手を止め、ちらりとグラキウスを見上げた。
「何だ」
「この工房の作業配置だが、気になる点がいくつかある」
グラキウスが右手で工房の内部を的確に指し示しながら、感情を交えない淡々とした声で指摘し始めた。
「まず、竹を割く者と、割かれた竹を籠に編む者が、近すぎる距離で隣り合っている。竹を割いた際に飛び散る鋭い表皮の切れ端が、隣で竹を編んでいる者の膝元に散らかって作業の邪魔になっているし、何より、鉈が振り下ろされる刃先と、近くを走り回る子供たちとの距離が危険なほど近い」
目線と身振りを交えた説明がわかりやすい。
「次に、割いた竹の一時置き場が定まっていない。床の空いた空間に無造作に積まれているため、作業者がそれを跨いで移動し、時には踏んだり蹴ったりして品質が落ちている」
一呼吸置いた後に、右手の人差し指が奥を指し示した。
「そして、完成した籠が工房の内部の奥に置かれたまま乾燥を待っている。これでは人の熱気で風通しが悪く、漆の硬化が遅い。おそらく、外の軒下の風の通り道に移すだけで、乾燥時間は三分の二ほどにまで短縮できるはずだ」
ブルーノが、握っていた小刀を静かに作業台に置いた。
無言で、工房の中をゆっくりと見渡している。
竹をパーンと割く男衆のすぐ隣で、老婆や子供たちが籠を編んでおり、確かに鋭い切れ端が彼らの足元に散乱していた。割かれた若竹の山が本来の通路を塞いでおり、ブルーノ自身もさっきからそれを邪魔そうに跨いで移動している。完成品は工房の奥に山積みされ、むせ返るような漆の匂いが室内にこもっていた。
全て、ブルーノが毎日その中で見ていた光景だ。
だが、その「なんとなくやり過ごしていた非効率さ」を、空間の構造としてここまで完璧に言語化されたのは初めてだった。
「…提案は」
ブルーノの声色が、一段階低くなった。
「割く作業を行う荒事の組を工房の一番奥へ、編む作業を手前へと配置を入れ替える。その間に、竹の一時置き場として胸の高さの棚を設け、割いた竹をその棚に置いて、編み手が手前から受け取る一方通行の流れを作る。そうすれば切れ端の掃除は奥だけで済むし、刃物と子供の動線は完全に切り離される」
グラキウスの言葉を一つ一つ思い出し、想像しているのだろう。
言葉だけではなく、明確な思考が感じられる。
「完成品は、外の軒下に縄で吊るし棚を組んで並べれば、風通しと陽当たりの両方を確保できる」
ブルーノが少しの間、グラキウスの皺深い顔をじっと見つめた。それから、もう一度工房全体を見渡した。
彼の目の色が変わるのが、少し離れた場所にいた私にも分かった。木目や刃先のミリ単位のズレを読む「職人の目」から、空間全体と人の流れを俯瞰する「設計者の目」へ。
「…試す」
ブルーノが短く鋭く言い放ち、すぐさま男衆に指示を出し始めた。
作業台を移動させ、竹割り場を奥の壁際に移し、手前に編み手のための広い空間を確保する。一時置き場の棚は、ブルーノがその場で檜の端材と釘を使って、あっという間に組み上げた。完成品は指示通り、外の軒下に太い縄で吊るし棚を作り、そこに等間隔で並べる形に変えた。
配置換えが終わり、作業が再開されると、効果は誰の目にも明らかだった。
竹を割く者から棚へ、棚から編む者へ、材料が川の水のように自然な流れで手渡されていく。足元の散乱がなくなり、子供たちが作業場の外周を安全に走り回れるようになった。編み手たちが「あれ、なんか背中がぶつからなくて楽になったぞ」と顔を見合わせて笑っている。
完成品を外の吊るし棚に出したブルーノが、軒下を吹き抜ける秋風の通りを肌で確かめ、小さく、だがはっきりと頷いた。
「…一個編み上げるまでの時間が半分程度ですむようになった。いや、全体の流れで見れば、倍の効率か」
ブルーノが、グラキウスの方を真っ直ぐに向いた。
一流の職人が、自分とは違う分野の超一流の仕事を認めた時の、あの簡潔で一切の偽りのない目。
「爺さん。あんた、昔は何をやっていた人間だ」
「人を動かす仕事だ。そして全体の流れを考えるのは、昔から得意でな」
「…手は不器用だが、二十人の工房の動線は一目で見抜くか」
「我ながら、歪な才能だと思うよ」
ブルーノがふっと鼻を鳴らした。明確に、笑っていた。
その日の午後、工房の劇的な改善を聞きつけた村長のゴルドが視察に来て、作業の淀みのない滑らかさを見て目を丸くした。
「誰がこの配置を考えたんだ?」
「グラキウスだ」
「…なんだと?」
「同一人物とは信じがたいだろう。だが、間違いなく彼だ」
ゴルドは丸太のように太い腕を組んで、しばらく無言で、魔法のように効率化された工房を隅々まで眺め回していた。
「…あの爺さん。食い扶持以上の仕事は、きっちりするようだな」
それは、ゴルドなりの最上級の承認の言葉だった。




