第21話「影と覚悟」
◆◇◆◇◆
全ての取引が終わり、荷馬車への積み込みを終えたペドロが、社殿の方へやってきた。
漆黒の鳥居を見上げて、しばらく圧倒されたように黙っている。それから、落ち葉を掃く私に気づいて、声をかけてきた。
「あんたが、ハルさんか。マルタばあさんとブルーノから名前は聞いたぞ」
「はい。藤原春暁です」
「フジワラ。耳慣れない変わった名前だな。…あんたが、この竹細工と漆塗りの元締めか」
「元締めではありませんよ。私は竹を割いて編んでいるだけで、仕上げはブルーノさんの神業ですし、売る値段を決めたのはマルタさんですから」
「謙遜するな。あの籠と水筒の品質は本物中の本物だ。街の市場に出せば、一瞬で評判になる。…安定して定期的に仕入れられるなら、俺の方からも大口の客を紹介できるぞ」
「いや、そこまで大々的に手を広げるつもりは…」
「考えておけ。良い商品を作る村は、必ず栄える。栄えれば、外から人が来る。人が来れば、もっと栄える。商売ってのはそういうもんだ」
ペドロは根っからの商人だ。この村に眠る商機を見出している。
それは決して悪いことではない。村が豊かになり、冬を越すための蓄えが増えれば、ゴルドやリーナたちの暮らしも楽になる。
ただ…『人が来る』という言葉が、私の心に少しだけ冷たい影を落とした。
人が来れば、この村のことが外へ広まる。真っ黒な門のこと。異常な速度で成長する竹林のこと。そして、見慣れない服を着た異質な男のこと。
…まあ、なるようにしかならないか。
「ペドロさん、一つだけ聞いてもいいですか。街の方で、最近何か変わったことや、大きな噂はありませんか」
「変わったこと? そうだな…」
ペドロが顎の無精髭を撫でながら、目を細めた。
「目立った話だと、教会が辺境の巡回を大幅に強化するって話が出ているな。何でも、地方に異端の兆候があるとかで、巡回司祭の派遣数を増やすらしい。…この辺りの交易路にも、そのうち司祭様が来るかもしれないな」
巡回司祭。
カイルが懸念していた事態が、すでに動き出している。
「…そうですか」
「あんまり過敏に気にするこたぁないと思うがね。いつもの定期巡回が少し増えるだけだろう。こんな何もない辺境の村なんか、高慢ちきな司祭様にとっちゃ泥まみれになる面倒な仕事でしかないさ」
「そうでしょうね」
ペドロは、鳥居をもう一度ねめつけるように見上げて、首をかしげた。
「しかし、この門。見れば見るほど凄まじい造りだな。漆塗りか? …街の王宮に出入りするような工房にも、こんな深みのある仕上げをできる職人はいないぞ。こいつも、いくらかで売り物にならんか?」
「これは、絶対に売りません」
即答した。少し声が低く、硬くなったかもしれない。
ペドロが一瞬気圧されたように目を瞬かせたが、「そうか。まあ、そうだよな」と両手を上げて引き下がった。
◆◇◆◇◆
ペドロの荷馬車が、竹細工と辰砂を大量に積んで去っていった。
古い交易路の向こうに消えていく砂埃を見送りながら、いつの間にか隣に立っていたゴルドが、ぽつりと口を開いた。
「ハルさんよ」
「はい」
「…儲かるのか、あの竹の籠は」
「マルタさんに聞いてください。私は値段の交渉のことはさっぱりで」
「ふん。マルタに任せておけばボッタクられることは絶対にないだろうが…まあ、村が少しでも豊かになるのは…悪い話じゃないな」
ゴルドにしては珍しく、素直で前向きな発言だった。外部を警戒しがちな頑固な村長の心も、日々の生活が好転していく中で、少しずつ前へ動いているらしい。
「ただな、ハルさんよ」
「はい」
「ペドロが言っていた、教会の巡回司祭の話。…あんた、大丈夫なのか。あの黒い鳥居やら、変な木が生えてる社殿やらを見られたら…」
「…大丈夫だと思いたいですが、正直なところ、分かりません」
「分からんか」
「ソル・デウス以外の神を祀っているのは、隠しようのない事実ですから。教会の人間がそれを見てどう判断するかは、向こうの教義次第です」
ゴルドが太い腕を組み、深く唸った。
「…ハルさん。俺は数ヶ月前、あんたを拾った時、頭のおかしい変な奴だと思った。今でも、たまにそう思っている。だがな、この村があんたのおかげで助かっているのは紛れもない事実だ。水がうまくなった。病人が減った。魔物も来なくなった。…もし教会の連中が来て、あんたを異端だと言って追い出すと言うなら、俺は反対する」
「ゴルドさん…」
「勘違いするな。村のためだ。あんたのためじゃない」
ゴルドはそれだけ言い捨てて、足早に背を向けて歩いていった。
首から耳の先まで、真っ赤だった。
この人は、本当に不器用だな。
でも、その不器用さが、たまらなくありがたい。
◆◇◆◇◆
夜。社殿の御札の前で、一人静かに手を合わせていた。
五柱の御札が、薄闇の中でかすかに白く浮かび上がっている。夜風が竹林を抜け、さわさわと葉鳴りの音を立てている。
「五柱の大神様。今日も一日、ありがとうございました。…この村が、少しずつ変わり始めています。人が集まり、笑い声が増え、ものを作り、外の世界と繋がり始めた。私が最初から望んだことではないのですが…この変化も、悪くないと今は思っています」
祈りを終えて、板間に横になる。
天井の木目を眺めながら、静かに思考を巡らす。
巡回司祭が来る。明日か、一ヶ月後か、それは分からないが、確実にやって来る。
その時に、この鳥居と社殿の存在をどう説明するか。五柱の御札をどうするか。
隠すことはできない。なにより、私自身が、恩ある神に対してそんな不敬な真似をすることを許さない。
ならば、隠さない。
来るなら来い。見るなら見ろ。
私はここで、毎日掃除して、神様にお祈りして、この場所を守る。それだけのことだ。
前世では、それができなかった。守りきれなかった。
平重衡の理不尽な業火に全てを焼かれ、社殿も、仲間も、自分の命も失った。
だが今は——今は、あの絶望の夜とは少しだけ違う。あの頃にはなかったものが、今の私にはある。
黒漆の鳥居がある。清浄な結界がある。五柱の大神との確かな繋がりがある。
そして…
「ハルさーん! ご飯だってー! 早く来ないと怒られるよー!」
リーナの元気な声が、夜の広場から遠く響いてきた。
そして、この声がある。
「…はいはい。今行きますよ」
立ち上がって、社殿の戸を開ける。
澄み切った夜空に、無数の星が瞬いていた。漆黒の鳥居の向こうに、ゴルドの家の窓から漏れる温かい暖炉の灯りが見える。
明日も、落ち葉を掃除しよう。明日も、神様にお祈りをしよう。
明日も、リーナが朝露を蹴散らして「おはよー!」と走ってくるだろう。
それだけで十分だと、今は思える。
何が来ても。
この温かい灯りだけは、二度と、焼かせはしない。
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