第15話「忠告」
◆◇◆◇◆
オーガ戦の翌日から、カイルたちはしばらくこの村に留まることになった。
理由はピートの怪我だ。
符術で裂傷は完全に塞いだが、オーガの膂力で大木に叩きつけられた背中の激しい打撲が、一晩で消え去るわけではない。カイルもそう判断したらしく、「ピートが万全に動けるようになるまで厄介になる」とゴルドに申し出ていた。
ゴルドは「好きにしろ。芋と麦飯くらいならある」と素っ気なく答えていたが、その顔の皺は深く緩んでいた。若く活気のある冒険者たちが村に滞在することが、内心では嬉しくて仕方がないのだろう。
そして、カイルたちが村に長居するこの数日間で、彼らは私の「日常」を真正面から目の当たりにすることになった。
冒険者の目は、辺境の村人たちの目とは違う。
村人たちは私と毎日を共に過ごしているため、少しずつ変容していく環境の異常さにすっかり慣れきってしまっている。
竹が一晩で数メートルも伸びても、井戸の水が甘露のように美味くなっても、冬を前に風邪を引く者が一人もいなくなっても、「ハルさんがいるからそういうものだ」で済ませてしまうのだ。
だが、カイルたちは外の世界の常識を知る人間だ。数多の魔物と死闘を繰り広げ、本職の魔術師の術理を間近で見て、教会の荘厳な聖域にも足を踏み入れたことのある本職の冒険者。
そんな彼らの目には、この村の「当たり前」が、背筋が凍るほどの異常に映るらしい。
◆◇◆◇◆
朝。冷涼な秋の空気が満ちる中、私の掃き掃除を静かに見学するカイルの姿があった。
漆黒の鳥居の前。私が一定のリズムで竹箒を動かしながら低い声で祝詞を口ずさむ隣で、彼は腕を組み、彫像のように立ち尽くしている。
リーナはいつものように私の反対側で箒を振り回しているが、見物客がいるせいか今日はやけに動きが大きく、張り切っていた。
「…毎朝、これをやっているのか」
カイルが、私の箒の先を見つめたまま低い声で尋ねた。
「ええ。穢れ(けがれ)というのは、人の生活の澱みとして毎日少しずつ溜まるものですから。こうして物理的に掃き清めながら祝詞を唱えることで、場を清浄に保つんです」
「穢れってのは、あんたの目には見えているのか」
「視覚的に見えるというより…『肌で感じる』ですかね。空気の重さや、匂いが変わるんです。掃き清めた後は、呼吸がすっと軽くなる」
カイルが自分の掌を見つめ、小さく息を吐いた。
「俺には、その違いが全くわからん」
「分からなくて正常ですよ。私が少し変わっているだけですから」
「…少し、か」
カイルが呆れたように苦笑した。昨日、異常個体のオーガ三体を、弓と体術と符術という、全く異なる手段で瞬殺した男の「少し変わっている」は、彼の常識のキャパシティをとうに越えているらしい。
掃き掃除を終え、社殿の中に祀られた五枚の御札の前に進み出る。背筋を伸ばし、二礼二拍手一礼。カイルが少し離れた位置から、その所作を射抜くような目で見守っていた。
「…あの札は?」
「五柱の大神の御名を記したものです。この社殿に祀っている、私にとって大切な神様たちですよ」
「五柱。五人の神がいる、ということか」
「ええ。それぞれ司るお力が違いまして。雷を落とすのが得意な方、あらゆるものを断ち切るのが得意な方、言葉に霊力を宿すのが得意な方、命を癒し育むのが得意な方、そして水や天候を司る方」
「…昨日の規格外の雷と炎は、その神々の力だと」
「そうです。私が正しく祈り、お願いすることで、お力をほんの少しだけ貸してくださるんです」
カイルは沈黙した。社殿の奥に鎮座する五枚の御札を、値踏みするような、それでいて畏れを抱くような複雑な目で見つめている。
それから、周囲に誰もいないことを確認し、声を一段階落とした。
「…教会の耳に入ったら、確実にまずいな。それ」
「でしょうね」
「ソル・デウスの他に神は存在しない。光あるところにのみ神は宿る。それがこの国の、教会の絶対的な教義だ。こんな辺境の森の影で、聞いたこともない五柱の神を祀っていると知れたら…」
「異端認定されますかね」
「最悪の場合はな。ハルさん、あんたは極めて危険な綱渡りをしている。わかってるのか」
「…まあ、なんとなくは」
なんとなく、ではない。確信を持って分かっている。
だが、祀ることをやめるわけにはいかない。この神域は、結界は、五柱の大神の力で維持され、村を魔物から守っているのだ。御札を隠したり、私が祈りをやめたりすれば、結界は瞬く間に霧散し、村は穢れに呑まれる。
理由はそれだけではない。
五柱の大神は、業火の中で死んだ私に、この世界での第二の生を与えてくださった恩人だ。その御恩に報い、感謝を捧げないという選択肢は、藤原春暁という人間の魂の中には最初から存在しなかった。
私が私であるために命懸けでやっている神事が、この世界では「異端」という名の罪になる。この矛盾の折り合いをどうつければいいのか、正直なところ私にも答えは出ていなかった。
「…カイルさん。このことは」
「言わない。街のギルドでも、酒場でも絶対に口にしない。だが、いつまでも隠し通せるとは思わない方がいい」
「ええ。それは覚悟しています」
そう答えた私の声は、秋の風に溶けていった。
振り返ると、朝日を浴びた漆黒の鳥居の影が、冷たい土の上へと長く、そして濃く伸びていた。
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