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転生神主の日常 〜掃き清めた地が国となるまで〜  作者: 秋澄しえる


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第14話「祈り」

◆◇◆◇◆


 ピートの元へ戻ると、少年はうっすらと目を開けていた。


「…あれ、俺…」

「気がつきましたか。大丈夫、大きな怪我はありませんよ」


 先ほど貼った符が完全に光を失い、ハラリと地面に落ちた。額の裂傷は跡形もなく塞がっている。背中の打撲の痛みは残るだろうが、骨に異常はないはずだ。


 ピートが上体を起こし、周囲の惨状を見回す。三体のオーガの黒焦げた巨骸が目に入り、一気に顔色から血の気が引いた。


「カイルさん、これ…」

「俺たちだけじゃ無理だった」


 カイルが、静かに、だがはっきりと言った。


「ハルさんが駆けつけてくれなければ、全滅していた」


 ピートが弾かれたように私を見上げた。その目には、十代の若者らしい率直で純粋な憧憬が浮かんでいる。


「ハルさん…あんたが、これを…?」

「カイルさんたちが二体を引き受けてくれたおかげですよ。私一人では、三体同時は厳しかった」


 嘘ではない。三体を同時に相手にするなら、他の手段で広域制圧などを視野に入れねばならず、森への被害が甚大になっていただろう。彼らが前衛として持ち堪えてくれたからこそ、個の撃破に集中できたのだ。


「ピートさん、立てますか?」

「あ…ああ。立てる。何か、不思議と体が軽い…」

「お守りの余韻がまだ効いているんでしょう。村に戻ったら、マルタさんに、ちゃんとした薬をもらいましょう」


 ピートに肩を貸して立ち上がらせながら、私は三体の死骸へ視線を向けた。


「カイルさん、これ、オーガですよね?」

「ああ、間違いない。ただ…」

「通常よりも大型だ。しかもオーガは単独行動が常だ。三体とはいえ、群れを成すようなモンスターではない」

「そうですか…」


 通常より大型で、異常なほど硬い皮膚。直撃した雷の浄化に耐えるほどの穢れの密度。そして、単独行動が基本のオーガが群れを成していた事実。


 これは偶然の遭遇ではない。カイルが懸念していた通りだ。

 何者かが、森の奥の魔物に「穢れ」を注ぎ込み、兵隊のように強化して集団行動させている可能性。意志があるように感じるのはそのせいなのではないか。


 カイルが険しい顔で顎を引いた。


「…森の奥で、間違いなく何かが起きている。魔物が活性化しているなんて次元の話じゃない。これは明確に強化されていると感じる」

「同感です。…今日のところは、村に戻りましょう。ここに長居すると、瘴気で穢れが溜まります」

「ああ、そうだな」


◆◇◆◇◆


 帰り道。夕暮れの迫る森を歩きながら、隣を進むカイルが不意に口を開いた。


「ハルさん」

「はい」

「あんた、最後の一矢。俺の耳の真横を抜いて、オーガの眼窩を射抜いただろう」

「…ええ」

「少しでも外したら、俺の頭に突き刺さっていたぞ」

「外しませんよ」

「…」

「絶対に外しませんから」


 カイルが足を止め、私の顔を真っ直ぐに見た。それから、呆れたようにふっと息を吐いて、再び歩き出す。


「…あんたの弓は信じることにする」

「ありがとうございます。命を預けてくださったようなものですから、その信頼には必ず応えたいと思います」

「大げさだな」

「大げさじゃありませんよ。あの絶体絶命の場面で、私を信じて微動だにせず、耳の横を矢が通るのを許してくれた。それがどれほどの胆力か、カイルさんなら一番よく分かっているでしょう」


 カイルは黙った。それから、どこか憑き物が落ちたように小さく笑った。


「…ああ、分かる。だからこそ言っているんだ。あんたの弓を信じる、と」


 森を抜けた。村の外れに、漆黒の鳥居が見える。夕陽の赤を吸い込んだように、その黒は深く、そして静かに村を守っていた。

 鳥居の前では、リーナが落ち着かない様子で足踏みをして待っていた。私たちを見つけるなり、弾かれたように駆け寄ってくる。


「ハルさん! おかえり! …って、カイルさんたちボロボロじゃない!? ピートさん大丈夫!?」

「大丈夫ですよ。ちょっと激しいお散歩をしてきただけです」

「嘘ばっかり! お散歩でそんな血だらけになるわけないでしょ!」


 まあ、そうですね。と心の中で苦笑しながら、私は深く安堵の息をついた。


◆◇◆◇◆


 夜。


 社殿の裏手を流れる小川で、ひとりみそぎを行った。

 今日は殺傷の規模が大きかった。三体のオーガ。先日の魔獣より穢れの質が圧倒的に重い。肌にまとわりつく泥のような膜が、明らかに分厚くなっているのを感じる。


 冷たい水を何度も頭から被り、祝詞を繰り返し唱える。少しずつ、少しずつ、魂にこびりついた穢れが薄まっていく。だが完全には落ち切らない。明日の朝の掃除と清めの祝詞を経て、ようやく元に戻るだろう。

 連戦は避けたい。穢れが溜まった状態で戦えば、符術の出力が落ちる。弓の精度は私の技量によるものだが、符術は神から借り受ける力だ。神との接続が穢れで鈍れば、命取りになる。そして…。


「それだけではない」


 自然と口をついた言葉を置き去りにして社殿に戻ると、私は御札の前に正座した。


「五柱の大神様。本日も不浄をお許しください。三つの、大きな命を奪いました…」


 祈りの途中で、ふと、あの雷の直撃に耐えたオーガの濁った目を思い出した。


 あれほどの穢れの密度は、もはや自然現象ではない。森の奥で、何者かが魔物に穢れを注ぎ込んでいる。明確な「悪意」の意志を感じる。


 私が管理するこの神域を広げることができれば、森の穢れを浄化し、魔物の異常な強化を抑え込めるかもしれない。

 だが、神域の結界を押し広げるためには、条件がある。


 信仰の力だ。

 人の、祈りが要る。


 今の村人たちは、私という個人に感謝はしてくれている。だが「祈って」はいない。彼らはソル・デウスの信徒であり、私の祀る八百万の神を知らないのだから当然だ。国教が唯一神であるこの国で、多神教への信仰を求めることなどできるはずもない。


 …難しいな。


 板間に横になった。見慣れた天井の木目。微かに香る檜の匂い。遠くで梟が鳴いている。


 目を閉じると、帰り道のカイルの言葉が鮮明に蘇った。


 あんたの弓を信じる。


 信じる、か。


 信仰とは、つまるところ、神という不確かなものを「信じる」という行為そのものだ。だとすれば、私という依り代を通じて、この異世界の人々が何かを「信じ」始めた時…。


「…まあ、考えても仕方ない。明日も掃除するか」


 眠りに落ちる前、一つだけ確かなことがあった。

 明日の朝、リーナが「ハルさん、おはよー!」と全速力で走ってくる。それだけで、今日の重い穢れの半分くらいは、スッと軽くなるような気がした。

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