第12話「穢れ断つ神炎」
◆◇◆◇◆
枝から音もなく飛び降り、着地と同時に大地を蹴る。
一直線に向かったのはピートの元だ。倒れた少年の傍らに滑り込むように膝をつき、状態を確認する。呼吸はある。背中の強打と額からの出血。致命傷ではない。
懐から一枚の紙片を取り出し、筆を走らせた。『布留部由良由良止 玉鎮』。血の滲む額にその符を貼り付けると、淡い光が灯り、裂けた皮膚がゆっくりと塞がり始めた。よし、命に別状はない。
その直後、背後の空気がビリリと震えた。
振り返るよりも早く、足元の地面が微小な地震のように鳴動する。三体目のオーガだ。倒れ伏した人間を容易い獲物と定めたのか、地響きを立ててこちらへ一直線に突進してくる。
私は立ち上がりながら、流れるような動作で懐から筆を抜いた。
空気を撫でるように穂先を走らせる。紙ではない。墨そのものが虚空に留まり、瞬時に文字を形作った。
『建御雷 神鳴降閃(たけみかづち かみなりくだりひらめく)』。
虚空に浮かんだ墨文字が、眩い雷光を帯びた神紋へと変じる。
それは一条の稲妻となって撃ち出され、突進してくるオーガの分厚い胸板に激突した。
天地を裂く轟音。
空気が急激に熱せられ、空気の焦げた匂いと強烈な衝撃波が周囲の木の葉を粉々に吹き散らす。落雷の直撃を受けたオーガは全身を激しく痙攣させ、灰色の表皮をどす黒く炭化させた。
沈む、と思った。通常のオーガであれば、この一撃で間違いなく消し炭になっている。
これで倒れないのか。
膝をついたオーガは、黒煙を上げる自らの胸を太い腕で押さえながら、憎悪に血走った濁った双眸でこちらを睨み上げた。その口の端から、紫色の淀んだ煙が漏れ出している。体内に圧縮された異常な濃度の「穢れ」が、雷の浄化を強引に押し留めているのだ。
ならば。
私は手にしていた梓弓を静かに地面へ突き立て、両手を空けた。
オーガが鼓膜を破るような咆哮を上げ、黒焦げになった巨腕を天高く振りかぶる。視界を覆い尽くすほどの質量と、暴風のような殺意。私の頭など容易く潰せるであろう丸太のような拳が、真上から無慈悲に叩きつけられる。
普通なら、恐怖で足が竦むだろう。だが、私の心は凪いでいた。
半歩。ただそれだけ、右へ滑るように足を踏み出す。
直後、凄まじい轟音と共に、オーガの巨拳が私のすぐ横の地面を粉砕した。
弾け飛んだ土塊と石の破片が頬を掠め、空気を切り裂く突風が白衣の袖を激しく打ち据える。しかし、私の体には指一本、泥の一滴すら触れていない。
体捌き。兵法の真髄は「相手の力を受けない」ことにある。どれほどの圧倒的な膂力であろうと、当たらなければただの風だ。
オーガが苛立ちに任せ、地面ごと薙ぎ払うような二撃目を繰り出す。まともに受ければ人の体など一たまりもなく千切れる横薙ぎの腕振り。
私は、その暴力的な軌道の下へ吸い込まれるように身を沈め、勢いが頭上を通り過ぎた刹那、オーガの脇腹へと滑り込んだ。巨体の懐。相手の腕も脚も届かない、暴風雨の目のような絶対の安全圏。
筆を持った左手の掌に、素早く書き殴る。
『布都御魂 断火焼穢』。
経津主命の神剣・布都御魂の名を冠し、火をもって穢れを断ち焼く浄化の炎。
左掌を、オーガの分厚い脇腹に叩きつけた。
掌打。体重の移動と腰の捻りを乗せた当身が、オーガの体内に深く衝撃を浸透させると同時に、掌に刻まれた文字を起爆させる。
「シッ!」
接触面から、爆発的な炎が噴き出した。
それは単なる熱ではない。経津主命の「断つ」意志を宿した神炎は、オーガの異常に硬化した表皮を薄紙のように焼き裂き、肉の奥深くへと容赦なく食い込んでいく。
オーガの体内で蠢いていた高濃度の穢れと神炎が激しく衝突し、巨体の内側から天を衝くような火柱が噴き上がった。
オーガが声にならない絶叫を上げ、火ダルマとなって暴れ回る。だが、私がすでにその懐から離脱し、静かに二歩後退して残心を取った後だった。
浄化の炎が全身を舐め尽くし、穢れごと焼き尽くしていく。やがて巨大な炭の塊となったそれはゆっくりと仰向けに倒れ、地響きと共に沈黙した。
これで、二体目。
◆◇◆◇◆
残り、一体。
仲間が次々と圧倒される様を目の当たりにした最後のオーガは、初めて明確な「怯え」を見せていた。後退りしながら、くぐもった唸り声を上げている。逃走か、徹底抗戦か。本能が悲鳴を上げているのがわかった。
カイルが荒い息をつきながら剣を構え直し、セラが片膝をついたまま長剣の切っ先を向ける。ヨルンも杖を拾い上げ、再び魔力練成の詠唱を開始した。三人がかりで包囲網を縮めていく。
だが、退路を断たれたと悟ったオーガは、恐怖を狂気で塗り潰した。咆哮を上げ、最も距離の近かったカイルに向かって、死に物狂いの特攻を仕掛けたのだ。
カイルが正面から迎え撃つ。だが、最初の一体との死闘で彼の体力はすでに限界を越えていた。渾身の力でオーガの突進を剣で受け止めるが、衝撃に耐えきれずブーツが泥を滑る。
踏ん張りが利かない。このままでは、押し潰される。
私は地面に突き立てていた梓弓を引き抜き、番える矢を抜いた。
狙いは、目。だが、それはカイルの顔の真横だ。軌道が少しでも狂えば、カイルの頭蓋を貫く。
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