第11話「狂濁のオーガ」
◆◇◆◇◆
森に入った瞬間、肌にまとわりつく空気が一変した。
村の周辺は神域の浄化が行き届いているが、結界の外は途端に空気が泥のように重くなる。木々の間に濃厚な澱みが漂い、差し込む陽光すら陰鬱な色を帯びていた。
枝から枝へ、音もなく跳び移りながら森の奥へと急行する。前世で鹿島の武者に叩き込まれた身のこなしは、重力を無視しているかのように滑らかだ。
符の反応を辿り、村から北東に二キロほど分け入った地点。
ひときわ巨大な穢れの塊が三つ、カイルたちの小さな灯火を完全に包囲しているのが感知できた。先日の狼型の魔獣とは比較にならない、圧倒的な密度の穢れ。
巨大な人型…?
やがて、木々の隙間から倒木が散乱する小さな空き地が視界に飛び込んできた。
そこに立っていたのは、身の丈が人の倍を優に超える三体の巨躯。灰色の硬質な肌、岩石を砕くほどに隆起した筋肉、黄色い牙がせり出した歪な貌。
オーガというやつかな。ブルーノさんから聞いていた通りの特徴。
その赤い双眸は濃密な穢れによって狂気に濁りきっていた。
カイルたちは、完全に追い詰められていた。
カイルが正面のオーガと死に物狂いで切り結んでいる。符の恩恵で通常より遥かに速い剣速を叩き込んでいるにもかかわらず、オーガの規格外の膂力に押し負けかけていた。剣が前腕を斬り裂くが、異常に硬化した皮膚に阻まれ傷が浅い。
セラは二体目の注意を引きつけ、決死の牽制を続けている。だが、丸太のような腕が薙ぎ払われるたびに、風圧だけで体が浮き上がりそうになっている。防戦一方だ。
ヨルンが三体目の顔面に火球を炸裂させたが、オーガは片腕で顔を庇い、焦げた皮膚から怒りの咆哮を上げただけだった。
そして、ピートは、太い木の幹の根元で、ピクリとも動かずに倒伏していた。折れた短弓が傍らに転がっている。
三対四ではない。実質、三対三。しかも全員の体力が限界を迎えつつある。
太い枝の上にしゃがみ込み、戦況を瞬時に俯瞰する。
最優先はピートの救出。だがそのためには、オーガの注意を私に向けさせなければならない。
◆◇◆◇◆
梓弓を構え、流れるような動作で矢をつがえる。
狙いは、カイルと切り結んでいるオーガの右膝。
頭部の骨は見るからに分厚く、激しい動きの中で脳天を貫くのは難しそうだ。二足歩行の生物である以上、どれほど巨大化しようと膝関節は構造上の急所となる。
距離は約三十メートル。上からの射下ろし。
弦が鳴った。
風切り音すら置き去りにした竹矢が、オーガの右膝の内側——靭帯の隙間に深々と突き刺さった。鉄の鏃が要の筋を断ち切り、巨体の右脚がガクンと内側へ折れ曲がる。
オーガが苦痛の咆哮を上げ、体勢を大きく崩した。
カイルが一瞬、矢の飛んできた樹上を見上げた。驚愕に見開かれた目と視線が交差する。
だが、彼は本物の冒険者だった。千載一遇の好機を逃さず、崩れたオーガの首筋へ全力の横薙ぎを一閃する。刃が硬い皮膚を裂き、オーガが倒木に手をついてよろめいた。
それでも倒れない。オーガは頸動脈から血を噴き出しながらも、残った左腕をカイルの頭上へ振り上げた。
その腕が天を突いた、最も筋肉が伸び切った一瞬。
二の矢が、オーガの左肘の関節内側を正確に射抜いた。関節を貫通された左腕は瞬時に力を失い、だらりと垂れ下がる。
脚と腕の双方を潰されたオーガの懐へ、カイルが地を蹴って飛び込んだ。初撃で刻んだ首の傷へ、刃をさらに深く捻り込む。
赤黒い血の飛沫が舞い、オーガの巨躯がついに地響きを立てて前のめりに崩れ落ちた。
一体目。
だが、安堵の暇はなかった。仲間の死が、残る二体の闘争本能に火をつけたのだ。
セラと対峙していた二体目が、激怒の咆哮と共に彼女を弾き飛ばす。セラは地面を転がりながらも剣を手放さなかったが、完全に体勢を崩した。
同時に、三体目がヨルンへ向けて猛突進を開始する。ヨルンが慌てて魔法を展開しようとするが、魔法が編み上がるよりも早く、オーガの巨体が彼を吹き飛ばした。背中から木に叩きつけられる寸前、辛うじて受け身を取ったようだが、杖を取り落としてうずくまる。
二体が同時に制御を外れた。
先ほどの一体は、カイルがオーガの動きを抑えていてくれたからこそ二射で終わったが、動きが制限されていない二体相手では弓の連射では制圧が間に合わないだろう。
…あまり見せたくはないが…仕方がないか。
私は梓弓を背に負い直し、代わりに懐から『無尽の筆』を真っ直ぐに引き抜いた。
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