第10話「命の灯火」
◆◇◆◇◆
翌朝。カイルたちが森へ出発する前、私は社殿の前に立っていた。
懐から筆入れを抜き出し、四枚の小さな紙片に文字を走らせる。『堅磐常磐 護身』。比売神の加護を借りた身体強化の術式だ。身につけた者の体を軽くし、筋の反射速度を上げ、危機察知を研ぎ澄ます。持続時間は長くないが、いざという時の生存率は劇的に跳ね上がる。
カイルたちが社殿の前を通りかかったのを見計らい、私は声をかけた。
「カイルさん、少しいいですか」
「ああ。何だ」
「これ、お守りです。一人一枚、なるべく肌に近いところに持っていてください」
四枚の符を差し出すと、カイルは怪訝そうにそれを受け取った。無理もない。この世界の人間から見れば、得体の知れない文字が走り書きされたただの紙切れだ。
「…何だこれは。絵か? メモ書きか?」
「気休めですよ。まあ、捨てないで持っていてくださいね」
ピートが符を陽の光に透かして首を傾げている。セラは無造作に胸当ての内側へ滑り込ませ、ヨルンは眼鏡の奥で描かれたなにかをじっと観察してから懐にしまった。カイルも、軽く息をつきながら革鎧の内ポケットに押し込む。
「ハルさん」
「はい」
「昨日あんたが言っていた『穢れの質が変わっている』という話。もう少し詳しく聞かせてくれないか」
「…森の奥から流れてくる穢れが、以前より重く、そして指向性を持っているんです。まるで何者かが、意図的に澱みを押し広げているような。私の気のせいかもしれませんが」
カイルが背後の仲間に鋭い目配せをした。四人の間で、言葉を持たない意思疎通が走る。幾度も死線を潜り抜けてきたパーティ特有の呼吸だった。
「わかった。気をつける」
「ええ。ご無事で」
四人が古い交易路を外れ、森の薄暗がりへと吸い込まれていく。その背中が完全に見えなくなるまで見送ってから、私は立てかけてあった竹箒を手に取った。
朝の境内にサッ、サッ、と箒の音が響く。
掃除をしながらも、私の意識の半分は森の方角へと向けられていた。カイルたちの気配が、深い闇の中に灯る四つの小さな火のように感じ取れる。渡した符が、一種の探知機として機能しているのだ。
…行ってらっしゃい。あまり無茶はしないでくださいよ。
◆◇◆◇◆
午前中はいつも通りに過ぎた。
掃き掃除を終え、祝詞を唱え、新しい竹を数本切り出して箒の穂先を編む。リーナがやって来て箒の使い方を嬉々として復習し、ゴルドが「また竹が伸びとるぞ!」と文句を言いに来て、マルタが「昨日の風の符はよく乾くよ」と笑いに来た。いつもの、平和な辺境の朝だ。
だが、昼を少し過ぎた頃だった。
森の奥へ進んでいた四つの灯火が、不意に激しく揺らいだ。
私の手が止まる。竹を割いていた小刀が、中途半端な位置で硬直した。
灯火の揺れが爆発的に大きくなり、散開する。戦闘だ。
しかも、四つのうち一つが急激な閃光を放った。符が発動したのだ。持ち主の命が危機に晒された時、自動で身体強化が起動する仕組みにしてある。
一つだけではない。立て続けに、残りの三つも弾けるように発動した。
四人全員が、同時に致死の危機に陥っている。
「…」
私は小刀を置き、無言で立ち上がった。
社殿の壁にかけてある梓弓に手を伸ばす。白木の弦に指が触れた瞬間、弓が微かに震え、神気が掌から流れ込んでくるのを感じた。矢筒を肩にかける。
森の中での乱戦だ。鏑矢の出番はない。矢数は…二十本。
それから、社殿の最も奥に安置してある小狐丸を見下ろした。普段の神事以外では決して持ち出さない御神刀。だが、今日は弓だけでは足りない悪寒がした。
短く祝詞を口ずさむと、短刀の姿をしていた小狐丸が陽炎のように歪み、すらりとした太刀へと変貌を遂げた。鞘の金具に紐を通し、腰に佩く。
念のための備えだ。抜かずに済むに越したことはないが。
鳥居をくぐり、森の方角へと駆け出した背中に、リーナの甲高い声が投げかけられた。
「ハルさん! どこ行くの!?」
「ちょっとお散歩です。すぐ戻りますよ」
「嘘だ! 弓持ってるじゃん!」
鋭い。だが、立ち止まって言い訳をしている猶予はなかった。
森の方角から吹き抜けてきた風が、ひどく生臭い。鉄錆と泥を煮詰めたような、高濃度の穢れの臭気。
急がなければ。あの四つの小さな灯火が、闇に飲み込まれる前に。
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