第105話「大祓」
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「グラキウスさん! いけます!」
腹の底から、戦場の喧騒を切り裂くように声を張り上げた。
最前線で、グラキウスがドラゴンゾンビの巨大な胸の真ん前に立っていた。その背後で、六枚の光の刃が、限界を超えた主人の闘志に応えるように、太陽のような眩い輝きを取り戻している。
老兵の灰色の鋭い目が、真っ直ぐにこちらを射抜いた。
私は深く頷いた。
グラキウスが雷光のような速度で動いた。
六枚の浮遊する刃が、空気を切り裂いて射出され、ドラゴンゾンビの胸に同時に殺到する。魔物の再生の速度を完全に凌駕する圧倒的な速さと威力で、分厚い腐肉と絡み合った骨の壁を一気に切り裂いていく。
黒い血が噴き出し、五十メートルの巨竜の胸の中央が、大きく裂け開いた。
分厚い肉の奥底で、紫色にひどく脈動する『核』が、ほんの一瞬だけ、完全に露出した。千二百体分の呪いと穢れが凝縮された、どす黒い核。
「ハル殿ォォ! 今だァァッ!」
グラキウスの咆哮と同時に立ち上がり、流れるような動作で矢継ぎ早に五本の矢を射放した。
五つの頂点持つ、晴明桔梗(五芒星)。
突き立った五本の矢が眩い光の線で互いに繋がり、絶対的な魔除けの紋様が浮かび上がる。
ギャァァァァァッ!
ドラゴンゾンビが、かつてないほどの激しい絶叫を上げた。五芒星の神聖な光に内側から灼かれ、あの無尽蔵だった再生が完全に停止している。
だが、まだ巨体は崩壊しない。星の紋は未完成だ。要となる『中心』が存在しないからだ。
最後の一矢を、梓弓に番え、ギリリと限界まで引き絞る。
大祓詞の最後の一節が、私の唇から力強く零れ落ちた。
「…祓へ給ひ清め給ふ事を(はらえたまい きよめたまうことを)…六柱の大神等…聞こし召せと(きこしめせと)…畏み畏みも白す(かしこみかしこみもまおす)…!」
静かに、弦を放った。
温かい光を帯びた最後の矢が、巨大な光の五芒星のど真ん中、紫色に脈動する『核』そのものを、寸分の狂いもなく、真っ直ぐに貫き、光が爆ぜた。
完成した五芒星の紋様から、六柱の大神の神気が増幅されて同時に解放される。
翠、金、赤、白、藍、そして大地の翠金。
六色の極彩色の光が巨大な竜巻のように渦を巻き、ドラゴンゾンビの五十メートルの巨体の内側へと、隅々に至るまで一瞬で浸透していく。
大祓、究極の浄化が始まった。
ドラゴンゾンビが、悲鳴を上げる間もなく空を仰いだ。空洞の眼窩から噴き出していた紫色の瘴気が、光に触れた瞬間に白い蒸気となって消滅していく。朽ちた翼をばたつかせて暴れ回ろうとするが、体の内側から容赦なく灼いていく六色の光は止まらない。
六柱の浄化の力が、千二百体分の寄り集まった魔物の穢れを、一つ一つ、途方もない速度で、丁寧に解いていく。
腐った分厚い肉が、ボロボロと剥がれ落ちていく。
だが、それは腐臭を放つ死肉の塊として地面に落ちるのではない。剥がれた瞬間に淡い翠色の光の粒子へと変質し、雪が舞うように、静かに空高くへと舞い上がっていく。
突き出していた白い骨が、内側からの光でパキンと砕け散っていく。
砕けた骨片が眩い光に包まれ、輝く塵となって春の風に乗って流れていく。
五十メートルの死の巨体が、少しずつ、少しずつ空に溶けて小さくなっていく。
四十メートル。三十メートル。二十メートル。
無数の光の粒子が天に向かって昇り、西に沈みかけた夕日の赤い光の中で、黄金色にキラキラと輝いている。それはまるで、千二百の行き場を失った哀れな魂たちが、長い呪縛から解き放たれ、本来の還るべき場所へと優しく導かれていくかのような、圧倒的に美しく、荘厳な光景だった。
最後に空中に残ったのは、胸の中央にあったあの核だけだった。
どす黒い穢れの結晶が、六色の神気を放つ六本の矢に深く貫かれたまま、宙にポツンと浮いている。
五芒星の光が、ドクンと、最後の大きな脈動を起こした。
パリン、という澄んだガラスが割れるような音と共に。
核が、粉々に砕け散った。
紫色の闇の欠片が四方へ弾け飛び、その全てが翠色の光に灼かれて完全に消滅した。
役目を終えた六本の矢が、フッと力を使い果たし、はらはらと白い灰になって夕暮れの風の中に散っていく。
激闘の戦場に、嘘のような完全な静寂が降り立った。
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ドラゴンゾンビがいた場所には、もう何も残っていなかった。
血も、腐肉も、骨も。千二百体分の全ての残骸が、一片の塵も残さず浄化の光に還されて消え去っている。
代わりに、そこにあったのは鮮やかな『緑』だった。
どす黒い穢れが完全に抜け落ちた清浄な土の中から、柔らかな若草の芽が、無数に、力強く顔を覗かせていた。毒々しい紫黒色だった周囲の木々の幹は本来の力強い茶色を取り戻し、枝先には若葉が芽吹き始めている。
死のにおいが充満していた戦場が、春の息吹に満ちた、生命力あふれる清浄な大地へと完全に生まれ変わっていく。魔物を生み出していた元凶の穢れが、跡形もなく消え去ったのだ。
布可母利久爾多摩命の清冽な浄化の力が、森の全域に、完全に行き渡った瞬間だった。
私は、その場にガクリと膝をついた。
指先から力が抜け、弓を握ることもできない。全身の気力という気力を、最後の一矢で一滴残らず使い果たしていた。
「…六柱の大神様。…ありがとうございました…」
震える両手を泥の地面につき、深く頭を下げて祈った。
穢れに堕ちた魂への弔い。
魔物としてしか生きられなかった全ての哀れな存在へ、神主としての静かな祈り。
そして、祈りが終わった直後、私の脳裏に言葉が流れてきた。
「メルヴァルクの森…」
かつての森の名前なのだろうか。かつての森の姿となったことで、布可母利久爾多摩命が教えてくれたのかもしれない。
ゴルドさんに、みんなに伝えよう。今度からこの森は『メルヴァルクの森』ですよ、と。




