第103話「不死の巨竜」
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五十メートルの死の竜が、ゆっくりと巨大な顎を開いた。
空洞の喉の奥底で、濃密な紫色の瘴気が凄まじい密度で渦を巻き、急速に膨れ上がっていく。千二百体分の魔物の穢れを極限まで圧縮した死の吐息。
「全員、その場に伏せろォォ!」
グラキウスの裂帛の気合いと共に、全員が泥まみれの地面に身を投げ出した。
直後、頭上を灼熱と凄まじい腐臭を伴った紫色の暴風が通過した。
ブレスの余波が触れた瞬間、背後にそびえていた森の巨木群が、まるで炭化した紙のように黒くボロボロに朽ち果てて崩れ落ちていく。物理的な破壊ではない。生命力そのものを強制的に奪い取る、絶対的な死の嵐。かすりでもすれば、人間の肉体など一瞬で腐り落ちる。
「正面には立つな! 側面から波状攻撃をかける!」
グラキウスが地を蹴り、六枚の光の刃を嵐のように射出した。
刃がドラゴンゾンビの右脚に殺到し、丸太のような太さの骨と腐肉を瞬時に切り裂いていく。だが、深く抉れたはずの巨大な傷口の奥から、別のドス黒い死肉がずるりと音を立ててせり出し、瞬く間に傷を完全に塞いでしまった。
「再生する…だと!? 斬っても斬っても、キリがねえぞ!」
「千二百体分の余剰素材が体内に溜まっている! 斬った端から死肉が補填されて塞がるのか!」
グラキウスが、忌々しげに舌打ちをして大きく後ろへ跳んだ。
カイルが左の側面から回り込み、全身のバネを使って大剣を叩きつけた。ドラゴンゾンビの太い尾の付け根に、骨まで達する勢いの深い一撃が入る。だが、彼が剣を引き抜いた後には、泥のような肉が蠢いて傷痕は跡形もなく消え去っていた。
セラの双剣が流れるように脚の太い腱を狙って切断するが、切れた先から別の骨と腱が不気味に組み上がって元に戻る。
オルランドたちが、右側面から決死の突撃をかけた。
六騎の槍と剣が、一斉にドラゴンゾンビの巨大な脇腹に深く食い込む。だが、六箇所の傷が同時に再生を始め、騎士たちは自らの武器を腐肉に噛み付かれたまま、巨体の動きに巻き込まれて振り回されかけた。
「退けェ! 物理的な破壊だけでは倒せん!」
オルランドの号令で、騎士たちが武器を力任せに引き抜き、間一髪で離脱する。
ドラゴンゾンビが、再びブレスの体勢に入った。
巨大な頭部がゆっくりと鎌首をもたげ、口腔の奥が不吉な紫色に明滅し始める。
「ヨルン殿!」
後方で待機していたヨルンが、血を吐くような気迫で杖を高く掲げた。
限界まで練り上げられた極大の炎の壁が、ドラゴンゾンビの顔面に真正面から炸裂する。ブレスの放射が一瞬だけ中断され、行き場を失った紫色の瘴気が逆流し、ドラゴンゾンビ自身の口内でくぐもった爆発を起こした。
「効いた…! いや、ダメです、効いていない! ほんの一瞬怯ませただけだ!」
ヨルンが、ひどく蒼白な顔で歯噛みした。魔物の生態を知り尽くした学者の冷静な分析は、今の攻撃が致命傷には程遠いという絶望的な事実を告げていた。
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私は、弾かれたように懐から筆を抜いた。
どれだけ破壊しても即座に再生する巨体。物理的な刃も、魔術の炎も意味をなさない。ならば、神気による絶対的な浄化で消し飛ばすしかない。
ドラゴンゾンビの側面に回り込み、空中に筆を走らせた。『建御雷 神鳴降閃』。
天空から落ちた一条の雷が、巨体の背中に直撃した。轟音と青白い閃光が夜闇の戦場を白く染め上げ、分厚い腐肉が激しく焼け焦げる。
だが、黒く炭化したその部分が、わずか数秒で内側から押し出された別の死肉に置き換わり、完全に再生してしまった。
今度は炎だ。
懐の死角へ飛び込み、大木のような脚の付け根に直接掌を叩きつけて『布都御魂 断火焼穢』を流し込む。
強烈な浄化の炎が脚の内部を灼き尽くし、肉が焼け落ち、太い骨がボロボロに炭化する。ドラゴンゾンビが巨体を傾かせた。しかし、隣の脚からドロドロの死肉が移動して流れ込み、焼失した部分をあっという間に埋め合わせてしまった。
一箇所を完全に祓っても、他の部分から素材が無限に補填される。千二百体分の死骸という途方もない質量が、巨大な予備として機能しているのだ。
部分的な浄化の速度では、この圧倒的な再生の速度には絶対に追いつかない。
「ハル殿!」
グラキウスの鋭い声が飛んだ。
同時に、ドラゴンゾンビの巨大な尾が、丸太を薙ぎ払うように私の横っ腹を狙って迫る。私は足捌きだけで紙一重で身を躱したが、通り過ぎた分厚い尾の風圧だけで体が数メートル横へ吹き飛ばされかけた。
「グラキウスさん! この怪異の核はどこですか!」
「おそらく胸のど真ん中だ!」
二人の言葉を聞いたジャコモが言葉を継いだ。
「これまでの討伐例から言っても、そこで間違いない!そこに要となる『核』がある! それを完全に破壊すれば、再生の供給源が断たれて、巨体全体が崩壊するはず!」
胸の中央。
私は瞼を閉じ、感覚を極限まで研ぎ澄ませた。
視界を埋め尽くす濃密な穢れの塊の中で、異常なまでに質量と呪いが集中している一点。…ある。確かにある。五十メートルの巨体の胸の奥深く、分厚い肉と骨の装甲に守られた奥底で、心臓のようにどす黒く紫に脈動しているもの。あれが、千二百の死を統括する核だ。
だが、核はあまりにも深い位置にある。矢を射っても、強力な符術を叩き込んでも、分厚い表面の死肉を削るだけで、核に到達する前に再生されてしまう。
「わしが、あの分厚い胸の装甲を切り裂いて、核を露出させる」
グラキウスが、白翼の剣を強く握り直して言った。
「六枚の刃を使って、胸の表面を同時に切り開く。奴の再生が追いつかない速度で、六箇所を一斉に深く裂けば、ほんの一瞬…一瞬だけ核がむき出しになるはずだ。その一瞬の隙に…」
「最大級の浄化を叩き込みます。…ただし、私の普段の符術や小狐丸の力では足りない。千二百体分の穢れの結晶を一撃で祓うには、莫大な神気が必要です」
「…できるのか?」
「はい。私が仕える六柱の大神の御名を全て唱え、その神気を六本の矢に直接移し込みます。…少しだけ、時間をください」
「…いいだろう。時間は、わしらが作る」
グラキウスが、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて振り返った。
「カイル殿! オルランド! 全員であの化け物の注意を極限まで引きつけろ! 攻撃は当たらなくていい、ひたすら時間を稼げ! ハル殿に、我らの最後の仕事をさせるぞ!」
「了解だァァッ!」
カイルが、限界を超えた体に鞭を打ち、雄叫びを上げて大剣を構え、正面から走り出した。セラが無表情のまま双剣を抜き放ちながら続く。
ピートが、泥の中に落ちていた粗悪な矢を拾い集め、震える腕でドラゴンゾンビの顔面に向けて次々と牽制の矢を放つ。ヨルンが残る全ての魔力を振り絞り、巨体の足元に炎の壁を這わせて視界を奪う。
オルランドが重装の騎士たちを率い、側面から絶え間ない突撃と離脱を繰り返して巨体のバランスを崩しにかかる。ヴァレリオが変形した大盾でブレスの余波を歯を食いしばって受け止め、アレッシオの槍が関節を的確に突いて巨体の注意を逸らす。
全員が、自分の命を天秤にかけ、ただ一人の神主のために、絶望的な死地の最前線に立っていた。




