第100話「空と地と」
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開戦から二時間が経過した頃、ファルコの声が響いた。
「前方の魔物、密度が明らかに低下しています! 概算で四百から五百を討伐。残り、七百から八百!」
「まだ半分以上残っているのかよ…!」
カイルが、大剣の血を振り払い、滝のような汗を拭いながら悪態をついた。
「だが、群れの動きが変わってきたぞ。統制のないパニック状態から、大型個体を中心に陣形が固まり始めている。…ミノタウロスが前に出てくる!」
ジャコモの鋭い警告。
森の奥から、ズズン、ズズンと、これまでとは質の違う重い地響きが近づいてきた。
ミノタウロス。身の丈三メートルを超える巨大な牛頭の魔物が、五体、横一列に並んで突進してくる。その巨大な蹄が大地をすり鉢のように砕き、鋭い角が空気を裂き、怒りに満ちた咆哮が全員の腹の底を震わせた。ゴブリンやオークとは次元が違う。一体一体が、カイルたちBランクパーティが四人がかりでようやく倒せるかどうかの純粋な暴力の塊だ。
それが、五体同時。
「中央、盾を固めろォォ! あれをまともに受けたら隊列が崩壊する!」
オルランドが声を裏返して叫んだ。ヴァレリオが大盾の裏に肩を当て、両脚を深く大地に沈め込んで歯を食いしばる。
「グラキウス卿! ハル殿! 両翼からミノタウロスを削ってください!」
グラキウスが、雷のように動いた。
背後の六枚の刃が一斉に射出され、右端のミノタウロスの脚に殺到する。四枚の刃が丸太のように太い脚の筋を同時に切り裂き、バランスを崩した巨体が大きくよろめいた。その隙を突き、グラキウス自身が馬のような速度で疾走し、白翼の剣が首筋を下から上へ一閃。ミノタウロスの巨大な牛頭が、噴水のような血と共に宙を舞った。
そして、左端のミノタウロスが、赤い目を血走らせて私に向かって突進してきた。
巨大。太い。そして信じられないほど速い。二本の角の間隔は人間の肩幅よりも広く、突進の速度は全速力で駆ける軍馬に匹敵する。
私は梓弓を構え、大きく引き絞った。
狙いは目ではない。この圧倒的な速度と上下の揺れの中で、頭部の小さな急所を射抜くのは至難だ。
狙うのは、脚。前脚の膝関節。かつて森でオーガを仕留めた時と同じ、構造的な急所。
一射。
放たれた矢が右前脚の膝に深々と突き刺さり、巨体が猛烈な勢いでつんのめった。突進の速度が劇的に落ちる。
その隙に筆を抜き、空中に。
『建御雷 神鳴降閃』
青白い雷光が、ミノタウロスの頭部に直撃した。巨大な二本の角が避雷針の役割を果たして電撃を全身の神経に伝導させ、巨体が激しく痙攣して泥の中に倒れ込む。
だが、まだ動いている。オーガの時と同じだ。穢れの密度と質量が異常に高い大型個体は、雷一発では完全に沈まない。
私は、倒れてもがくミノタウロスの傍らに疾風のように駆け寄り、小狐丸を抜いた。
太刀を逆手に構え、痙攣して上を向いた巨体の太い首筋に、自分の全体重を乗せた一突きを、刃の根元まで垂直に叩き込む。
ズズッ、と肉を断つ嫌な音が響いた。
小狐丸は神具だ。穢れそのものを切断し、浄化する力が、通常の鋼の剣とは根本的に異なる。穢れによって鉄のように硬化していた皮膚と筋肉を、熱したナイフでバターを切るように容易く貫通した。
ミノタウロスが天に向かって最後の咆哮を上げ、完全に動きを止めた。
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五体のミノタウロスが沈んだ。グラキウスが二体を瞬殺し、私が一体を浄化し、残り二体は中央の騎士団がヴァレリオの大盾で決死の覚悟で受け止めたところを、オルランドとアレッシオが左右から的確に急所を突き刺して仕留めた。
だが、安堵して息を吐く暇すらなかった。
「上空! ワイバーンが降下してきます!」
ファルコの悲鳴のような叫びが響いた。
巨大な被膜の翼と、爬虫類の硬質な鱗に覆われた体長十メートルを超える飛竜が、戦場の上空を悠然と旋回し始めた。鋭い牙が並ぶ口腔から紫色の猛毒の瘴気が漏れ、爬虫類特有の黄色い瞳が、眼下の獲物——我々を値踏みしている。
「くそっ、あれは地上からじゃ届かねえぞ!」
カイルが見上げて悪態をついた。ワイバーンは空の覇者だ。大剣も長槍も届かない。ヨルンの魔術でさえ、あの高度まで有効な威力を保てるか分からない。
私は、梓弓を天に向けた。
ワイバーンとの距離、約百メートル上空。私の梓弓の最大射程は、気象条件次第で二百メートルに達する。距離は十分に届く。だが、高速で飛翔する標的に、地上から矢を命中させるのは神業に近い。
…いや。的の姿を追うから外れるのだ。
的と自分の間にある空間の線を見る。ピートに教えたばかりの基本だ。
ワイバーンが上空で大きく旋回し、降下態勢に入った。巨大な翼を半ば畳み急降下してくる。狙いは中央の騎士団。あの巨大な鉤爪と尾の薙ぎ払いで、鋼の隊列を一撃で引き裂くつもりだ。
急降下の瞬間、最も速度が乗るが、力学的に最も軌道が読みやすい。落下の直線になるからだ。
弦が、高く澄んだ音を立てた。
矢が、蒼穹を真一文字に切り裂いて昇っていく。
急降下してくるワイバーンの左翼の付け根、分厚い翼膜と胴体の接合部という、鱗の薄い唯一の急所に、放たれた矢が深々と突き刺さった。
ギャァァァァァ!
ワイバーンが空気を震わせて絶叫した。左翼が完全に制御を失い、十メートルの巨体が空中で錐揉み回転を始める。急降下の軌道が完全に崩れ、地面に向かって制御不能の落下を始めた。
「落ちてくるぞ! 全員散開しろォォ!」
オルランドの怒号で騎士たちが左右に大きく退避し、次の瞬間、ワイバーンの巨体が轟音と共に地面に激突した。
クレーターのように土砂が噴き上がり、爆発的な衝撃波が周囲の魔物や木々を薙ぎ倒す。
だが、墜落したワイバーンは、まだ生きていた。
へし折れた翼を引きずりながら立ち上がり、狂気の目で周囲を睨みつけ、紫色の致死の瘴気を口の端からボトボトと吐き出している。
「グラキウスさん!」
「任せろ!」
私が叫ぶと同時、グラキウスが弾かれたように駆けた。
六枚の光の刃が先行し、ワイバーンの太い首に四方から斬りかかる。だが竜の鱗は硬く、火花を散らして浅い傷しか入らない。
しかし、ワイバーンの注意が飛び交う光の刃に向いた、その一瞬の隙。
グラキウス自身が、ワイバーンの懐の絶対的な死角へ飛び込み、下から突き上げるように白翼の剣を鱗の僅かな隙間に突き立てた。
銀白色の刃が、首の根元まで深く沈み込む。
ワイバーンの巨体がビクンと大きく痙攣し、そのまま大木が倒れるように、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
狂乱の戦場に、一瞬の静寂が訪れた。
「ワイバーン撃墜。…魔物の残り、概算で六百」
ファルコの報告が、戦況を冷静に告げた。
ようやく、半分を切った。だが、まだ後方にはバジリスクなどの脅威が控えている。そして何より、穢れの最も濃い南東の最奥部に、まだ見えていない何かが潜んでいるかもしれない。
「休憩はなしだ。このまま一気に押し切るぞ」
グラキウスの力強い声に、二十三の意志が一つになって応じた。
掃き溜めの森の戦いは、まだ終わらない。




