報告
「成瀬か、間違いないんだな」
報告書から目線を外さずにそういう北村だった。小野木には北村の大柄な体が小さく感じられていた。
「報告書にある通りです。その写真と記憶媒体を見せられてまで白を切り通すこともないでしょう。CDは佐藤との会話です。法廷ではないんです、証拠能力は充分にあると思われます。組合側も馘首を承認すると言っておりました」
「もう、組合へも行ったのか。手回しがいいな」
「社長への報告前ですし、成瀬課長の名前は出しておりません。こういった状況を招いた張本人の処遇についての意見を求めに行っただけです。組合長の板橋は私と同期ですし」
「そうだったな、いろいろとご苦労だった」
「ただ……」
視線を逸らし発言を迷う様子の小野木に、北村隆夫が怪訝そうな目を向ける。
「ただ、なんだ?」
「これは推測の域を越えませんが、かなり高い確率で真実に近づいていると思います」
「何の話をしている」
眉根を寄せて北村が不審さをあらわす。小野木は大きく息を吐くと、意を決したかのように話し始めた。
「成瀬課長は道具に使われただけのように思われるのです。いくばくかの金で社へのロイヤリティを売り渡す行為は、もちろん許されません。しかし、そうさせるべく仕組んだ人間が居たとしたらどうでしょう」
北村の顔が険しくなる。
「裏付けもなく単なる推測を口にするお前でない事は私がよく知っている。話してみろ、誰を告発しようとしているんだ」
逡巡を呑み込んで小野木が答える。
「ご子息、常務です」
「なんだと……」
幾分、北村の声は大きくなっていたが、小野木が覚悟したような叱責も非難も感じられない。
「一社員、いえ、元一社員がご子息を告発するのです。さぞやご不快でしょうが、こちらをご覧下さい」
アタッシェケースを開き、オンライントレードの画面をプリントアウトしたもの、新聞記事のコピーなどを含む数点を差し出す。さらにそれを分析し、導きだした結論を文書にしたものを手渡した。
無言でそれを読み終えた北村がインターフォンを押す。
「常務を呼んでくれ。会議中? 最優先事項だと言いたまえ」
「設計に回す程度なら気づかれずに済んだかも知れませんが、検査や管理の者が見れば誰かが気づきます。ご存知でしたか? あそこは優秀な人材が揃っているのです。下川さんは知っていたはずです。ですからより多くの目に触れる前に流出させるよう言われたのでしょう。そのために成瀬課長の手の届くところにわざと置いて席を離れた。あなたにとって計算違いだったのは、彼が図面を持ち出さなかったことですね。もう一度、小芝居をするつもりだったのですか? 次は確実に紛失する方法を講じて。しかし、情報は漏れた。佐藤からそれを入手した旨の連絡が入り、悪だくみは不安要素を残したまま進んでゆく。ゼルダー社へ流れた図面を見た――いや、見る必要もなかったでしょう。ハナっから出来レースだったのですから。とにかく、日置は使い物にならないものだと酷評し、住新工業が開発の断念を認める発表をする。非常に巧妙な手口であったとは思いますが、あなたが以前勤めておられた証券会社をお辞めになったのも、これと同じようなことがあったからだと聞いております」
「何のことを言ってるのか、さっぱり分からんね。現実に接客室でなくなった図面はセルダー社へ流れ、それを佐藤……だかが、所持していたのだろう。俺と、どう関係があるんだ。画期的なCVT開発の噂があればサンライズの株価が上がると思って買う、売り時はトレーダーをしていた頃に培った勘だよ。偶然、その後でゼルダー社の記者発表があっただけだ。俺がプライベートで株取引をしていることが問題にでもなるのかな? それに、こんなものが社内から出たという話も信用出来ん。そもそも、これが原本であるという証拠はどこにあるんだ? ないのだろう。伊藤部長辺りが俺を陥れようとコピーをニ部用意したのではないのか」
そう嘯く裕之だったが、発言が淳一の誘導に乗っていることには気づかない。
「いえ、証拠はあります。両方を手に取ってよくご覧になって下さい」
苛立ちを隠そうともせず、ぞんざいに両方を眺めるが、数秒でデスクの上に放り出す。
「全く同じじゃないか、コピーなんだから当たり前だ。会議を中座してまで来ているんだ、くだらない推理ごっこに付き合ってる暇はないのだがね」
「おわかりにならないなら申し上げましょう。こちらがあなたが秘書に処分を指示した原本です。そしてこちらがコピー、ここをご覧下さい」
デスク上に投げ出された図面の右隅、直径三ミリ程度のシミ状の模様を小野木は指差した。
「よく見て下さい。これは印刷の汚れではありません、社標です。そして原本であるこちらにはない。十七年前の事件を担当したカジの提案で、原本から複写されたものには全てこれが浮き出るようになっています。検査課のほんの数人は気づいていましたが、彼等は口も堅いのです。当時、社に居られなかったあなたがご存じなくとも無理はありません。社の図面用式はこれで統一されております。勿論、接客室で出力されたものも同様です。つまり、あなたが秘書に処分を任せた図面が原本で、成瀬が佐藤に渡したものがコピー、正確にはスキャンした図面データを送信したようですがね」」
裕之の表情が凍りつく。
「納得いただけましたか? 成瀬課長が図面を持ち出さずに佐藤に渡せる方法は、ハンディスキャナだったんですよ。図面ごと紛失すれば、部屋に入った彼が疑われるに決まっています。成瀬課長の出入りを長谷川に見張らせてたんですよね? 例え欲の皮が突っ張ってはいても、防衛本能は働いたようです。しかしそれが成瀬の犯行の決めてにもなった訳です。読みとった図面がまるまるメモリに残されてました。カジがそれを見つけてきました」
小野木はSDカードを指差した。
「状況証拠に過ぎんな。俺が成瀬にそうするよう仕向けたとでもいいたいのか? 佐藤なんて男は知らんよ。会ったこともない。俺を告発したいのなら、こんな砂上の楼閣のごとき証拠では不十分だな」
「ええ、わかっております。では、競合する住新工業とゼルダー社のお二方とラウンドされた件はいかがです? キャディの証言もとってあります。例えあなた方がプライベートで友人関係にあられたとしても、この時期に軽率過ぎる行動だとは思いませんか? それにどうして日置さんはこれがリダクションギアだと分かったのでしょう。原本にもコピーにも、部品名称は記されておりません」
「住新工業が開発中なのは発表もあった訳だし、彼ぐらいの能力があればそれと気づくんじゃないのかね。彼等は俺が証券トレーダーをしてた頃の客だよ」
苦し紛れだろうが、努めて平然を装う裕之だった。
「それでは、この日のラウンドはいかがです? メンバーの佐藤とは面識すらないと言われましたよね。ゴルフ場で偶然知り合って意気投合しラウンドされたのでしょうか。予約は最初から三名になっていたはずです。あなたと下川さんと佐藤でしたよね。ニ度もご一緒にラウンドされた男をお忘れですか」
ゴルフ場の領収書兼伝票を手に詰めにかかる。裕之が唸り声を上げた。
「君は俺が証券トレーダーだったことは誰に聞いたんだ。父さ……社長か?」
「いいえ、以前この部屋で在籍中の私と顔を合わせているのを覚えておられませんか? その時の社長との会話からあなたが証券会社にお勤めなのだろうなと思っておりました」
常務とはいえ、淳一より五歳も年下の裕之だった。堪え性のない小野木が丁寧に話し続けるのには我慢が必要だった。しかも自分は既に外部の人間なのである。これだけの証拠を突きつけられ、なおも逃げ道を探そうと足掻く裕之の見苦しさに、辛抱の箍が外れそうになる。社長の前でなければ、とっくに裕之の襟首を掴んでいただろう。
「さあな、ここへはよく来てたし、おおぜい居る社員一人一人の顔なんか覚えちゃいねえよ」
裕之は不貞腐れたように吐き捨てた。
「社長はその社員一人一人の顔と名前をご存じです、あなたとの明確な違いですね」
何かを侵されたように裕之がムッとした顔になった。小野木はそれに気づかないふりで続ける。
「私が不思議に思ったのは、あの程度の図面が漏れたにしてはセキュリティチェックが大袈裟過ぎたこと、それがあなたの指示であったこと、外部の我々の介入を望まなかったこと、そしてあなたの前身が証券トレーダーだったこと。それらの疑問が全て解ける答えはこれしかなかったのです。こんな株価操作の方法があったのかと私は驚きました。画期的なCVTが開発され搭載される噂に株価は上がり、それが使い物にならないと分かれば下がる。証券法にお詳しいあなたは上手くそれに抵触しない手段を講じられたつもりなのでしょうが、モラルハザードだとは言えます。住新工業の下川次長もこれだけのサンライズ自動車株を購入されています。親会社の株だから買ったといってしまえばそれまでですが、同時期に常務も同じ株を買われております。そしてそれを手放された時期もほぼ同じ、そんな偶然があるでしょうか。インサイダー取引になるかどうかはともかく、立証されれば下川は間違いなく背任罪が適用されるでしょう」
「立証されればだろう。現時点では仮定の話だな」
「現時点では……ですか」
小野木は鸚鵡返しにそれだけ言って、即座にこう付け加えた。
「それでは佐藤を連れてきましょう」
得意のブラフでチェックメイトをかける。裕之は一瞬迷いを見せたが、観念したかのように大きく手を広げた。
「その必要はない、降参だ。しかしよく調べたもんだ、おみそれしたよ」
「あなたは二つ横着をしたんです。結果オーライで流出として進めたこと、原本の処分をご自身でなさらなかったこと。額に汗して働く者には、そんな偶然も味方してくれるものなんです」
「なるほど、小さな設計事務所であるうちに置いておくには惜しい人間のようだな、あんたは」
「うちではない」
「えっ? ああ、もう辞めた男だったっけ」
無言で淳一と裕之のやり取りを眺めていた北村隆夫が発した言葉を自分への擁護と判断したのか、裕之は薄ら笑いすら浮かべている。
「小野木君のことではない。裕之、お前がもううちの人間ではないと言っているんだ」
裕之の顔色がさっと変わる。
「こんな出所のハッキリしないものなんか証拠にならないだろう。まさかこの男の口車に乗って私を排斥しようとするのではないでしょうね」
「お前を刑事告訴しようというのではない。代表取締役として一取締役を解任するだけだ、私が納得すれば充分だ。お前は組合員でもないしな」
「でも、父さん……」
未練がましく情に縋ろうとする裕之に、北村隆夫は最終通告ともいえる言葉を浴びせた。
「ここは会社だ、甘えるんじゃないっ! 今この時点を以って、お前を常務取締役から解任する。さっさと出て行きたまえ」
がっくりと肩を落としデスクに両手をついた裕之の背中に、小野木は憐れむような眼差しを送った。
裕之が去った社長室は、北村隆夫と小野木の二人だけになる。
「長谷川の処分は、どうなさいますか?」
「組合に任せよう、君から話しておいてくれ」
「承知しました。成瀬課長の件共々、板橋に相談してみます。それと――」
一旦、言葉を切ると小野木は北村隆夫を見据えて言った。
「社長は常務の関与をご存知だったのではありませんか?」
「まいったな、それも気づいていたのか」
言葉通りの反応ではない。淳一達の調査が、息子に及ぶことを想定していたかのようだった。
「被害届が出されておりませんでした。取引先との信用を一番に重んじるあなたです。前回は不祥事を外に漏らすまいとした前社長に被害届を出す様、説得なさっておられました」
「そうだったな、君にその場しのぎの嘘は通用せんようだ。実は私が気づいた訳ではないんだ、妻だ。この仕事に何の知識もない妻が、私と裕之の会話を聞いていて、あの子は何か後ろめたいことでもあるのかと言ってきたんだ。母親の勘というのは恐ろしいものだな」
「そうでしたか……」
「父親である私があいつの関与を望むはずはないが、組織のトップとして出すべき膿は出さねばならなかったのだよ」
北村はしんみりと言った。
「息子を司法の手に委ねたくないがために君らに調査を頼んだんだ。親バカだと笑ってくれ」
「泣いて馬謖を斬るの心境でしょうね」
「せめて、あいつに馬謖ほどの才覚があってくれればな」
北村の顔に浮かぶ笑みは寂しげであった。
「しかし、こんなものまで調べ上げるとは、君らは恐ろしい集団だな」
北村は裕之の資産状況を克明にあらわす書類を手にとっている。
「以前同様、私は何もしておりません。運が良かっただけですよ」
「謙虚なのも結構だが、運も実力のうちというぞ」
「いえ、常務……いや、裕之さんの取引記録を探し当てた男は、死んだ婚約者との出逢いがなければ巡り合わなかった男です。私はまだ彼女に見守られているんだと思います」
「そうか、素晴らしい女性だったんだな」
「はい、それと社長のお言葉も忘れておりません」
「私の言葉? なんのことだ」
「企業の財産は人間だ。彼らが存分に力を発揮できる環境を作ってやるのが指揮官の務めだ。そうおっしゃいました。私みたいなボンクラの指揮官でも、人材と運に恵まれれば今回のような仕事が出来る、社長のお言葉を証明でき、嬉しく思っております」
「そうか、そんな言葉を覚えていてくれたか。私の方こそ嬉しく思えるというものだな。どうだ、戻ってこんか。君が居ればニ度とこのような不祥事は――」
北村が言い終わる前に小野木が言葉を被せた。
「内部告発のためだけに働くような人間が社内に居て、彼等が力を発揮出来るとお思いですか? 私はここに社を裏切るような人間は居ないと信じております。抑止力など必要ありません。それにここには斎藤が居ります。偶然とはいえ、あいつが居なければ我々も裕之さんの関与には気づけなかったことでしょう。あいつこそ運を持った男なのではないかと思います。今回の調査でもずっとそばに置いて、私が教えられることは教え込んだつもりです。あのコアラみたいな風貌の男なら、どこに居ようと社員が不快感に感じることもないでしょう」
「そうか――君のいうことももっともだな、残念だが諦めよう。いい農業家になってくれ」
復帰を辞退する小野木に贐の言葉を贈ることで北村は要請の取り下げを伝えた。
「あっ! ひとつ忘れてました」
「何だね」
「私が昔書いたハーモニックドライブが製品化されたそうじゃないですか。あの時、こんな夢みたいなもん描きやがってと酷評されたのは社長、確か、あなたでした。私はそれで総務に沈められたのでしょう。この件について、ご意見を賜りたいのですが」
小野木は北村の反応を窺う。裕之の失脚の直後で意地の悪い質問かとは思ったが、事件が解決したなら、すぐにでも農園に戻りたい。今を逃すと訊く機会がなくなる、小野木もそれなりに切迫した事情を抱えていたのだ。
「ん? ああ、あれか――沈めたとは人聞きが悪いな。しかし私の判断は間違ってなかったぞ。聞いてないのか、製品化されるに当たって板橋が一から書き直したことを。やはり君は机に張り付いていては何の役にも立たん男だったんだ」
所詮俺は肉体労働向きか、このまま指揮官としてカジと祐二の上に居て良いものだろうか。小野木はこの日の社長室で愕然と肩を落とす二人目となっていた。




