流出の裏側で
「よお、久しぶり。義兄さんか姉さんは居るかな」
小野木は義兄の経営する自動車販売会社を訪ねていた。
「あっ、お久しぶりです。社長はディーラー会議に行ってます。経理部長は奥の事務所に居られます」
何度か顔を合わせたことのある営業マンに訊ねると、そんな返事が返ってきた。あっちの社長もこっちの社長も会議会議ってか――景気が悪くなると、どこも一緒だな。会議ばかりし過ぎて迷走を招く場合だってあるだろうに。俺は気楽なサラリーマンで良かった、いや、今はそれですらないか……営業マンに礼を言って奥へと向かった。
「よお、久しぶり。自動車新聞見せてくんねえか」
オフィスのドアを開け同じ挨拶を繰り返すと、経理を担当する姉が顔を上げた。五十ニ歳になる佳江は、恰幅のいい義兄の明彦とは対照的に痩せぎすで小柄だ。食べても太らない体質は亡くなった母親譲りなのだろう。無作法な弟に咎める口調となる。
「二年ぶりに顔を出したかと思ったら、挨拶もなしでいきなり用件かい」
「よおって言っただろう? 調べ物の途中なんだよ。見せてくれよ、綴じてあるんだろ」
「資料室に縛ってあるわ。解いたら元通り縛っておきなさいよ。あんた、母さんのお墓にも寄っておくんだよ」
「ああ、わかってるって。あっちでも毎晩手を合わせてますよ」
「何に手を合わせているんだか――」
尚も非難口調で語りかける姉に軽く手を振って会話を切り上げ、小野木は資料室への階段を駆け上った。
「これだな」
薄暗い資料室で目的の記事を見つける。小野木の疑念が確信に変わりつつあった。
「コピー借りるぜ」
新聞を手にオフィスに戻った小野木に、佳絵はデスクに落とした視線を上げずに言う。
「ちゃんと返しておくれよ」
「いや、本体は持ってゆかねえよ」
「わかってるさ」
こんな年齢になっても、姉弟というものは子供時代のような会話になってしまうものだ。
「裕之の居た会社をあたってくれないかな。十二月以前と六月前後の株式取引を知りたい。サンライズ自動車に関する取引があるはずなんだ。なければ祐二に頼んで、奴のパソに侵入してもらってくれ。資産状況もわかるとありがたい」
カジの携帯を呼び出し、早口で用件を伝える。
「こちらの状況も、小野木さんの予想通りとなっています。裕之の退社理由も調べておきますか?」
「さすがはカジさん、一を聞いて百を知るだな。頼みます」
「わかりました」
「大した勘ですね」
すっかり作戦会議室として定着した社員食堂で、三人がテーブルを囲んでいた。数枚の用紙に目線を落としたまま小野木が答える。
「悪事はグリーン上で語られる、そんな文句を思い出したんだ。偶然だよ今回も。一月とニ月のラウンドは佐藤が一緒で、四月と五月のがゼルダー社の日置か……」
「ええ、キャディに写真を確認させました。小野木さんはどこで気づかれたんですか?」
「成瀬が佐藤に渡したものがコピーで、斎藤が持ってきたのが原本だった。本当に流出が起きたなら、社内にあるはずのないものが残っていた。しかもその処分を指示したのが裕之だったとなると、この線しかないんじゃないかと思ってな」
「本当にってのは何なんすか? 現実に流出はあったじゃないっすか」
口を挟んだ斎藤に冷徹な一瞥をくれ、小野木はカジに向き直る。斎藤は沈黙を余儀なくされた。
「裕之の野郎、当てが外れて焦ったろうな。なくなってるはずのものが残ってたんだから。打ち合わせの内容は部内には知れ渡っていて――大きな仕事を取ってきたとでも自慢したんだろうよ、あいつらしいや。だから、佐藤に接触させた成瀬が、あれに手を出すのは間違いない。そう思ったから、秘書を連れて図面を放置した接客室に戻り、ないないと大騒ぎをしようとした。ところがなくなってるはずの図面はきっちり残ってる。焦ったあいつは会議資料だから早急に処分しろと、秘書に渡す。悪事は加担する人間が多いほど、ボロが出やすい。これはカジさんの持論だったろう。裕之に因果を含まされたゴマスリの長谷川は、それを知らずに営業部に戻り図面がなくなったと騒ぎ出す。部屋に戻ろうとしていた恵まで、図面探しに駆り出したんだ。そこへ通りかかったズボラーマン――こいつのことだよ」
斎藤を指差してから小野木は続けた。
「秘書がこいつにそれを託したのが運のツキだったって訳だ。シュレッダー行きのはずの原本が、こいつのせいで未だに残ってたんだからな。ご丁寧に材質や寸法を書き込んであるのも気になった。板橋が言ったように、ギアとしてなら何の問題もないそれが、大きなトルクのかかる部品としては使い物にならない。それに気づくには、いや、告発者としての役割を与えられた日置がそれに気づいたふりをするには、裏付けとなる数字も必要だったんだな。それでも何のどこに使われるギアか、それはこの図面だけじゃあ判断出来ない。なのに日置はそれをCVTのリダクションギアだとして否定した。このカラクリが分かってないと不可能だと思ったんだ。」
「見事な推理です」
「推理ってほどの大層なもんじゃないさ。ただ全ての疑問、そのベクトルが向く方向を探してみたんだ。成瀬の方は?」
「図面データの残ったメモリがここに。本体は成瀬のデスクの引き出し裏側にガムテープで貼り付けてありました。これだけ抜き取ってそのまま残してあります」
カジは切手サイズの記憶媒体を差し出す。
「やっぱりハンディスキャナを使ったのか」
「ええ、セキュリティチェックが厳しくなって持ち出すに持ち出せなかったのでしょう。カードだけならネクタイの中にでもしのばせることが出来たでしょうにね。これの存在さえ知らなかったのかも知れません。何度も読み取りを繰り返してるようですから、この手の機器に詳しくはないのかも知れませんね」
「あの人は、ずっと営業畑だったからな。五十四歳だったかな? あの年齢でパソコンや周辺機器に明るい人間の方が少ないんじゃないか。どこかで即席に仕入れた知識だったから応用が利かなかったのかも知れない。とにかく、社長に話してあのテロリスト扱いを早いとこ止めさせよう、さもないと貴重な人材の方が流出しちまうことになる」
警備員とのやり取りを思い出したのか、小野木は不快感を顕にした。
「祐二が言ってました。四時間かけて設計のパソコンには侵入出来たそうですが、更に厳重なセキュリティのホストコンピュータに入るのは相当な時間と根気が必要だと。現場からの流出は今後もあり得ないでしょう。社員の精神衛生上のためにも、あれは止めるべきでしょうね」
「うん、気の短い板橋がよく黙ってたもんだと思う」
あんたも警備員につかみかからんばかりだったじゃないか。斎藤は小野木の横顔に視線だけの非難を送る。
「小野木さんに来てもらって良かった。私一人では専門的な部分でつまづいていたでしょう。成瀬の犯行が分かった時点で追及を止めていたかも知れません」
「カジさんなら遅かれ早かれ気づいたさ。それにこれ、こいつはカジさんの発案だったろう? これがなきゃ俺だって裕之の悪だくみに気付かなかったよ。下川の方は?」
図面の片隅を指差して話す小野木にカジが答える。
「いくら下請けでも、サンライズの内部事情に詳しいあんたなら充分にインサイダー取引が成立する。正直に言わないなら告発すると脅してやったら吐きました。そもそも不可能なギアボックスなんだ、国は勝手に燃費基準を設けるし、自動車メーカーはそれを実現させる魔法を下請けにおしつけてくる――そう言ってました。設計の主査が安請け合いをしたんだそうです。どうせ出来なくて叱責を受けるなら、幾らか儲けてやりましょう。そんな具合に裕之が下川をそそのかしたんでしょう」
「で、裕之はその何倍もを稼いだってことか」
小野木は義兄の会社で読んだ業界紙を想い浮かべていた。
【サンライズ自動車と住新工業が共同開発中のCVTは、画期的なリダクションギアの開発により、フリクションロスを極限まで抑え、十五~二十パーセントの燃費向上を実現する。ダウンサイジングされたギアボックスで、より大きなモーターの搭載も可能になる。十二月十六日】
【魔法のギアボックスは絵に描いた餅とゼルダー社の日置部長が酷評 サンライズ自動車も開発断念を認める 七月十日】




