第九話 黒竜肉の王侯風テリーヌ
第九話 黒竜肉の王侯風テリーヌ
「兄上……なぜ生きている」
美食侯アドラスの声は震えており、つい先程まで帝国最高峰の料理人として堂々たる威厳を見せていた男とは思えないほど青ざめていて、その様子を見ただけでレインは空から降りてきた仮面の男こそが今回の事件の中心人物なのだと理解した。
黒竜の背からゆっくり降り立った男は仮面の奥で笑いながら、まるで旧友へ挨拶するかのような軽さで手を広げる。
「なぜだと?」
男は観客席を見渡す。
逃げ惑う貴族達。
怯える兵士達。
泣き出す子供達。
その光景を楽しむように眺めながら言った。
「料理とは支配だ」
アドラスの表情が歪む。
レインも眉をひそめる。
理解できなかったからではない。
理解できてしまったからだ。
前世でもいた。
食べる人のためではなく、自分の権威や名声のために料理を使う料理人が。
「私は究極の料理を作った」
男が宣言する。
「黒竜すら従わせる究極の美食をな」
レインが一歩前へ出る。
「毒竜を操ってたのもあんたか」
「そうだ」
男はあっさり認めた。
「空腹の生物は従う」
「栄養を操作すれば支配できる」
「料理とはそういう力だ」
レインは首を横へ振った。
料理人として許せなかった。
腹を満たすための料理を飢えへ利用する。
それは真逆の考えだった。
「なら勝負だ」
男が突然言った。
会場が静まる。
「勝負?」
レインが聞き返す。
「そうだ」
男は巨大な黒竜を指差した。
「テーマは黒竜肉」
周囲からどよめきが起こる。
伝説級の食材だった。
滅多に手に入らない。
だが問題はそこではない。
異常なほど硬く。
臭みも強く。
まともに調理できる料理人が存在しないのである。
男は笑った。
「帝国最高の料理人を破ったのだろう?」
「では見せてみろ」
レインも笑う。
受けない理由が無かった。
「いいですよ」
その返答に男の目が細くなる。
巨大な調理台が設置される。
混乱していた会場もいつしか静まり返り、人々は逃げることすら忘れて料理勝負を見守り始めていた。
料理とは不思議なものだ。
恐怖ですら一瞬忘れさせる。
レインは黒竜の胸肉を切り分けた。
脂は少ない。
その代わり旨味は強烈だった。
前世で触れたどんな肉より濃い。
だからこそ難しい。
強すぎる個性は料理を壊す。
「なら抑える」
レインは呟いた。
今回選んだ料理はテリーヌだった。
派手ではない。
だが技術が現れる。
ごまかしの効かない料理だ。
紙へレシピを書く。
黒竜肉の王侯風テリーヌ(8人前)
黒竜胸肉 800g
黒竜脂 150g
玉ねぎ 150g
にんにく 10g
卵 2個
生クリーム相当の乳脂肪 150ml
塩 16g
黒胡椒 4g
香草 10g
ブランデー風果実酒 30ml
下処理
黒竜肉を2cm角へ切る。
塩の半量を加える。
12時間熟成。
脂も別に刻んでおく。
生地
黒竜肉500gと脂100gを細かく刻む。
玉ねぎとにんにくを炒めて冷ます。
卵2個。
乳脂肪150ml。
塩8g。
胡椒4g。
香草10g。
酒30ml。
全て混ぜる。
成形
型へ残りの肉を敷き詰める。
中央へ生地を詰める。
空気を抜く。
加熱
湯煎状態で160℃相当。
約90分。
中心温度68℃で完成。
熟成
半日以上冷却。
理想は一晩。
周囲の料理人達が息を呑む。
誰も見たことがない調理法だった。
アドラスですら興味深そうに見ている。
対する仮面の男は巨大な肉塊を投げ込むように調理し始めた。
豪快。
派手。
刺激的。
見た目のインパクトは圧倒的だった。
だがレインは気にしない。
料理は最後に食べるものだからだ。
時間が過ぎる。
香りが広がる。
肉が変化する。
そして完成。
審査員は王族。
大貴族。
老舗料理人達。
誰もが緊張していた。
まず仮面の男の料理を食べる。
歓声が上がる。
凄まじい旨味。
圧倒的な味。
確かに美味い。
だが。
次にレインのテリーヌを食べた瞬間。
会場が静まり返った。
誰も喋らない。
肉の旨味。
脂の甘味。
香草の香り。
全てが一体化している。
一人の老料理人が震える声で言った。
「完成している」
それが最高評価だった。
レインはほっと息を吐く。
その瞬間。
仮面の男が笑った。
大声で。
狂ったように。
「素晴らしい!」
その身体から黒い魔力が溢れ出す。
レインの表情が変わる。
まずい。
料理勝負では終わらない。
男は仮面を外した。
そこに現れた顔を見て、アドラスが絶句する。
「まさか……」
「そうだ」
男が微笑む。
「私は死んでいない」
二十年前に死んだはずの伝説の料理人。
そして帝国を追放された禁忌の料理研究家。
その正体が明かされる。
さらに背後の黒竜が咆哮を上げた。
会場が揺れる。
空が暗くなる。
男はレインを見つめた。
「最後の勝負だ」
その瞳には狂気が宿っていた。
「世界を救う料理を作れるか?」
レインはゆっくりフライパンを握る。
戦いは料理だけでは終わらない。
魔王軍すら巻き込む世界規模の食糧危機が始まろうとしていた。




