↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と見た最後の海 ~海に咲いた、二十歳の恋~ 二十歳の恋の行き先は、未来ではなく、二人で向かった最後の海だった。  作者: 雨宮ぐみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
99/100

第九十九話 上官の前で、ふたりが選んだ道

第九十九話 上官の前で、ふたりが選んだ道


「さとる! 返事をしろ!」


訓練用魚雷の外から、上官の厳しい声が響いた。


さとるは、薫の手を握ったまま、しばらく動けなかった。


目の前には、涙を浮かべながらも、まっすぐ自分を見つめる薫がいる。


外には、二人の選択を認めない上官がいる。


そして、その向こうでは、次々と仲間たちが海へ送り出されていた。


もう時間がない。


そのことだけは、痛いほどわかっていた。


「さとる……」


薫が小さく呼んだ。


「私、あなたと一緒にいたい。でも、あなたが私のために何もかも捨ててしまうのは嫌なの」


「薫……」


「あなたには、あなたの命がある。私にも、私の命がある。二人で生きたいと思うなら、二人とも生きることを諦めないで」


さとるは、彼女の言葉を黙って聞いた。


薫は、ただ自分と一緒に死ぬことを望んでいるのではない。


二人で生きる未来を望んでいる。


だからこそ、ここまで危険を冒して会いに来たのだ。


「……わかった」


さとるは、ゆっくりとうなずいた。


「俺は君と一緒に生きたい。その気持ちは変わらない。でも、君を守ると言いながら、君の命を危険にさらすだけじゃ、本当に君を守ったことにはならないんだな」


薫は涙をぬぐった。


「うん」


「俺たちには、まだわからないことが多すぎる。ここから出撃できる保証もない。訓練用魚雷が、本当に俺たちを海へ運べるのかさえわからない」


さとるは、自分の言葉を確かめるように続けた。


「それでも、君と生きたい。だからこそ、何ができるのか、きちんと確かめたい」


薫は、彼の手を握り直した。


「一緒に確かめよう」


そのとき、外から再び声が飛んできた。


「さとる! これ以上、命令を無視することは許さん!」


上官の声には、怒りが込められていた。


「お前の乗るべき魚雷は別に用意してある! 直ちに訓練用魚雷から出て、指定された機体に乗り換えろ!」


さとるは目を閉じた。


別の魚雷に乗り換えれば、薫と離れることになる。


命令に従えば、軍の規律を守ることはできるかもしれない。


しかし、その魚雷で出撃すれば、自分が生きて帰れる保証などない。


いや、どの道を選んでも、生きて帰れる保証などなかった。


それが、戦争だった。


「……上官!」


さとるは、ついに声を上げた。


「申し上げたいことがあります!」


外が静かになった。


「何だ!」


「私は、薫と一緒に生きて帰りたいと思っています!」


剛が息をのむ気配がした。


上官は、すぐには答えなかった。


さとるは続けた。


「私は死ぬことが怖いです! 出撃の命令を聞くたび、自分が次に呼ばれるのではないかと恐れてきました。仲間が出撃していくたび、もう二度と会えないのではないかと思ってきました!」


声が震えた。


それでも、さとるは言葉を止めなかった。


「私は、立派な兵士のように振る舞ってきました。でも、本当は、帰りたいのです。故郷へ帰りたい。薫と一緒に暮らしたい。戦争が終わったら、普通の生活を送りたいのです!」


「黙れ!」


上官の怒声が飛んだ。


さとるの肩がびくりと揺れた。


それでも、彼は薫の手を離さなかった。


「……申し訳ありません。それでも、これが私の本当の気持ちです」


上官の足音が、訓練用魚雷に近づいた。


「お前は、自分の置かれている立場を理解しているのか。今は戦争中だ。個人の願いを優先できる状況ではない!」


「承知しております!」


「ならば、命令に従え!」


さとるは、すぐには答えられなかった。


命令に従わなければならないことはわかっている。


だが、命令に従うことと、自分の心まで偽ることは、同じではないと思っていた。


そして今、薫が隣にいる。


自分が守りたい人がいる。


その事実が、さとるの心を大きく揺さぶっていた。


「……上官」


やがて、さとるは静かに口を開いた。


「訓練用魚雷での出撃が認められていないことは、理解しています。安全が確認されていないことも承知しています」


「ならば、出てこい!」


「ですが、薫を置いていくことはできません」


「さとる!」


剛の声が悲痛に響いた。


さとるは、目を伏せた。


「剛……すまない」


「謝るな! 俺は、お前に生きて帰ってほしいんだ!」


「わかっている」


「だったら、頼むから……!」


剛の声が途切れた。


さとるにも、剛の気持ちはわかっていた。


剛は二人を責めたいのではない。


二人を失いたくないのだ。


ここまで助けてくれた剛に、これ以上苦しい思いをさせたくはなかった。


けれど、自分の決断を剛に押しつけることもできなかった。


「剛。お前が俺たちを心配してくれていることは、わかっている。本当に、ありがとう」


「そんなことを聞きたいんじゃない!」


「……ああ」


さとるは、唇をかみしめた。


「それでも、俺は薫と一緒にいたい」


薫は、彼の隣で静かに口を開いた。


「上官様」


その声は小さかった。


けれど、さとるにも、外にいる者たちにも、確かに聞こえた。


薫は、これまでのように言葉を使わずに意思を伝えるのではなく、ここでは自分の気持ちを言葉にした。


「私は、さとるに会いたくて、ここまで来ました。何度も怖くなりました。途中で帰ろうと思ったこともあります。それでも、会いたかったのです」


さとるは、驚いたように薫を見つめた。


彼女は、震える声で続けた。


「私は、さとると一緒に死にたいのではありません。さとると一緒に生きたいのです」


狭い魚雷の中で、その言葉が静かに響いた。


「戦争が終わったら、二人で暮らしたい。朝起きて、一緒にご飯を食べて、海を見に行きたい。そんな普通の生活を送りたいのです」


薫は、涙を流しながらも顔を上げた。


「どうか、私たちが生きたいと願っていることまで、間違いだと言わないでください」


外は、しばらく静まり返っていた。


遠くでは、発射準備の号令が聞こえていた。


二人の願いが届いたのかどうかは、わからない。


やがて、上官の低い声が響いた。


「……お前たちの気持ちは聞いた」


さとると薫は顔を見合わせた。


「だが、訓練用魚雷での出撃を許可したわけではない。機体の安全も確認されていない。お前たちの願いだけで、出撃を認めることはできん」


その言葉は、二人にとって厳しい現実だった。


上官が、二人の気持ちを理解したとしても、状況が変わるわけではない。


「さとる。最後にもう一度命令する。訓練用魚雷から出て、指定された魚雷へ乗り換えろ」


さとるは、薫の手を握った。


彼女もまた、彼を見つめていた。


二人の間に、言葉は必要なかった。


それでも、さとるはすぐには答えを出せなかった。


生きたい。


薫と生きたい。


その願いをかなえるために、今、何を選べばいいのか。


その答えは、まだ見つからなかった。


外で、剛が静かに言った。


「さとる……薫……。まだ、間に合うかもしれない。二人とも、どうか生きることを諦めないでくれ」


その言葉に、さとるは目を閉じた。


薫の手の温もりが、確かにそこにあった。


戦争が、二人から未来を奪おうとしている。


それでも、二人は未来を望んでいた。


その願いが、どんな結末につながるのか。


まだ誰にもわからなかった。


遠くで、また一つ発射音が響いた。


ドンッ――!!


船体が震え、音が海の向こうへ遠ざかっていく。


さとるは薫を見つめた。


「薫。俺たちは……どうすればいいんだろうな」


薫は涙をぬぐい、静かに答えた。


「一緒に考えよう。最後まで、生きる道を探そう」


二人は手を握り合った。


外では、次の出撃を告げる準備が進んでいた。


そして、二人の前には、まだ選ばなければならない道が残されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。