第三十話 最後の訓練
第三十話 最後の訓練
三日後。
沖縄へ向けて出発する。
そのことを知らされてから。
さとるの中で、時間の流れ方が変わった。
朝が来る。
訓練をする。
食事をする。
そして夜になる。
それだけの毎日だったはずなのに。
今は、一つ一つの時間に終わりが見えていた。
三日後には。
ここを出る。
そう思うだけで。
胸の奥が重くなった。
---
朝。
訓練生たちは訓練場に集まっていた。
教官が前に立つ。
「本日も訓練を行う」
全員が姿勢を正す。
「出発まで時間がない。気を抜くな」
「はい!」
声が揃う。
さとるも返事をした。
けれど。
その声は。
自分でも分かるほど硬かった。
「始め!」
訓練が始まった。
走る。
止まる。
姿勢を整える。
確認する。
そして。
次の動作へ移る。
何度も繰り返してきたことだった。
身体には。
もう染みついているはずだった。
ところが。
「次!」
教官の声が響いた瞬間。
さとるの動きが遅れた。
ほんの一瞬。
次の動作を忘れた。
「何をしている!」
教官の怒声が飛んだ。
さとるは慌てて動いた。
「すみません!」
「もう一度!」
「はい!」
最初からやり直す。
今度は。
間違えない。
そう思った。
けれど。
身体を動かしている途中。
また。
頭の中に浮かんだ。
――三日後。
――沖縄。
その瞬間。
足が止まった。
「止まるな!」
教官の声。
さとるは慌てて動いた。
しかし。
次の動作でも遅れた。
「集中しろ!」
「はい!」
「出発する者が、その程度でどうする!」
その言葉に。
さとるは唇を噛んだ。
「……はい!」
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訓練が一度止められた。
教官がさとるの前まで歩いてくる。
「どうした」
「……申し訳ありません」
「いつもならできている」
「はい」
「なぜ今日はできない」
さとるは答えられなかった。
本当のことを言えば。
怖かった。
三日後に出発する。
そのことを考えると。
頭の中が真っ白になる。
けれど。
そんなことを言えるはずもない。
「もう一度やれ」
「はい」
さとるは列に戻った。
剛が横から小さく声をかけた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
そう答えた。
けれど。
声は震えていた。
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再び訓練が始まった。
「開始!」
さとるは動いた。
今度こそ。
絶対に間違えない。
そう思った。
しかし。
身体は思うように動かなかった。
手順の途中で。
手が震えた。
握ろうとしても。
力が入らない。
一度。
深く息を吸う。
そして動く。
だが。
今度は足がもつれた。
「さとる!」
教官の声が響く。
さとるは踏みとどまった。
「もう一度!」
「はい!」
また最初から。
走る。
止まる。
確認する。
動く。
それなのに。
頭の中には。
薫の顔が浮かんでいた。
高台で泣いていた薫。
「三日しかないの?」
その声が。
何度も聞こえる。
さとるは目を閉じそうになった。
「集中!」
教官の声で。
我に返る。
「はい!」
身体を動かす。
けれど。
また一つ。
動作を間違えた。
「違う!」
教官の声が飛ぶ。
「もう一度!」
さとるは歯を食いしばった。
「はい!」
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何度目かのやり直し。
さとるは。
とうとう息を切らして立ち尽くした。
汗が顔から落ちる。
胸が激しく上下している。
教官が言った。
「どうした」
さとるは答えられない。
「言ってみろ」
「……」
「怖いのか」
その一言に。
さとるの身体がわずかに動いた。
図星だった。
しばらく沈黙したあと。
さとるは小さな声で答えた。
「……はい」
教官は何も言わなかった。
さとるは俯いた。
「三日後のことを考えると……」
そこまで言って。
口を閉じた。
それ以上は。
言葉にならなかった。
教官はしばらくさとるを見ていた。
そして。
「怖いなら、なおさら動け」
と言った。
「怖いままでもいい。だが、動きを止めるな」
「……はい」
「もう一度」
「はい!」
さとるは立ち直った。
そして。
再び動いた。
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昼休み。
さとるは食事を前にして。
箸を持ったまま止まっていた。
剛が隣に座る。
「また考えてるだろ」
「……うん」
「訓練中も、何度も止まってた」
さとるは答えなかった。
「怖いよな」
その言葉に。
さとるは箸を置いた。
「……怖い」
「俺も」
二人はしばらく黙っていた。
やがて。
さとるは飯を一口食べた。
今度は。
ゆっくり噛んだ。
「食べないと」
「そうだな」
「三日後まで、身体をもたせないと」
剛が頷く。
二人は黙って食事を続けた。
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午後。
再び訓練が始まった。
さとるは。
午前中の失敗を繰り返さないように。
一つ一つの動作を慎重に行った。
「開始!」
動く。
「次!」
動く。
「もう一度!」
動く。
今度は。
止まらなかった。
けれど。
動きながら。
何度も拳を握った。
手の震えを隠すためだった。
呼吸が乱れそうになるたび。
深く息を吸った。
それでも。
完全に恐怖が消えることはなかった。
むしろ。
怖いまま。
動いていた。
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訓練が終わった。
教官が全員に向かって言った。
「今日はここまで」
訓練生たちが息を吐く。
さとるも。
その場に立ったまま。
しばらく動けなかった。
午前中。
何度も失敗した。
今までできていたことが。
できなくなった。
それが。
何より怖かった。
自分の心が。
出撃を前にして。
少しずつ崩れているような気がした。
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夕方。
さとるは高台へ向かった。
薫がいた。
さとるを見ると。
すぐに近づいてくる。
「今日、どうだった?」
さとるは少し黙った。
「……失敗した」
薫が驚いた顔をする。
「訓練で?」
「ああ」
「何度も?」
「うん」
さとるは海を見た。
「いつもならできることが、できなかった」
薫は何も言わず。
さとるの隣に立った。
「三日後って分かってから……」
さとるは拳を握った。
「頭では訓練しなきゃって分かってるのに」
手が震える。
「身体が動かなくなった」
薫はその手を両手で包んだ。
「怖いんだね」
さとるは頷いた。
「うん」
「でも」
薫は手を離さなかった。
「怖いって思うのは、生きたいって思ってるからだよ」
さとるは俯いた。
「……生きたい」
「うん」
「薫と生きたい」
薫の目に涙が浮かんだ。
「私も」
二人は。
手を握ったまま。
夕暮れの海を見つめた。
三日後。
この海を離れる。
その現実は。
もう変わらない。
それでも。
さとるは。
薫の手の温かさを握りしめた。
怖い。
それでも。
生きたい。
その気持ちだけは。
消えなかった。
「また明日」
薫が言った。
「また明日」
さとるも答えた。
その言葉を交わして。
二人は別れた。
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夜。
さとるは布団に入った。
目を閉じる。
昼間の訓練が浮かぶ。
自分が動けなくなった瞬間。
教官の声。
「集中しろ」
そして。
三日後。
さとるは目を開けた。
眠れなかった。
布団の中で。
両手を握る。
開く。
また握る。
昼間と同じように。
手が震えていた。
さとるは。
その震えを見つめた。
そして。
小さく呟いた。
「……怖い」
今度は。
隠さなかった。
怖いままでも。
明日も訓練する。
そして。
三日後。
自分は出発する。
その現実を抱えたまま。
さとるは暗い天井を見つめ続けていた。




