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それぞれの赤字と盤面外の包囲

鉛色の雲が垂れ込める荒野。かつて皇帝同盟が魔石を乱獲し、大地の脈を狂わせた結果生み出された『大罪の焦土』。


底なしの泥沼と化したその戦場跡で、アシュレイ・ヴァン・ルージュは白銀の大剣を振り抜き、迫り来る異形の魔獣を両断した。


「ハァッ……ハァッ……! アシュレイ様、左翼が突破されます!」


「持ち堪えろ! 陣形を崩すな!」


全身を泥と魔獣の返り血で汚しながら、アシュレイは声を張り上げる。

彼が率いる数十名の部隊は、この終わりの見えない防衛戦の中で限界を迎えつつあった。何度魔獣の群れを薙ぎ払おうとも、狂った大地は次々と新たな異形を吐き出してくる。


「『聖断(ホーリー・パニッシュ)』ッ!」


アシュレイが大剣に聖なる光を纏わせ、地を割るような一撃を放つ。光の波動が一直線に魔獣の群れを消し飛ばすが、すぐに空いた穴を別の群れが埋め尽くす。


(……これでは、ジリ貧だ)


荒い息を吐きながら、アシュレイは己の非力を呪った。

彼の武力は、確かに大陸屈指のものだ。一騎当千の力を持ち、先頭に立って敵を討ち払う姿は「理想の騎士」として部下たちの士気を支えてきた。

だが、あのポルタ・マリスからの通信で見た光景が、彼の誇りを根本から揺るがしていた。

かつて幾度も刃を交え、その規格外の強さを知っているレオンハルトやマサムネですら、「世界の力」に抗うことすらできずに地に這いつくばっていたのだ。


(もしあの理不尽な圧力が、この戦場に向けられたら? ……私個人の武力など、何の意味もない。兵の士気は一瞬で崩壊し、部隊は全滅する)


部下を守るという彼の大義。それを成し遂げるためのアプローチが、間違っているのではないか。

大剣を構え直すアシュレイの前に、ひときわ巨大な泥の魔獣が咆哮を上げて迫る。


彼は血の混じる唾を吐き捨て、ただ己の武を振るうだけではない、その「真の在り方」を、地獄の底で模索し始めていた。


◆ ◆ ◆


魔法都市バビロンの地下深層。

カルテルが極秘裏に開発し、不要となった兵器や実験体を投棄する『旧時代廃棄層』。光すら届かないその暗所で、白黒の縞模様の巨体が壁に叩きつけられた。


「ガハッ……!」


ザザは口から血を零し、瓦礫の山から身を起こした。

彼の視線の先には、純粋な鋼鉄の塊で構成された巨大な廃棄ゴーレムが、赤く濁った眼を光らせて立っている。


「……チッ。スラムの喧嘩殺法じゃ、どうにもならねェか」


ザザは自身の腕を抑えながら、苦々しく呟いた。

彼の固有能力『位相獣化(フェイズ・ストライプ)』は、質量のない影となって物理攻撃を透過し、そこから絶対硬度の打撃を叩き込むという、対人戦闘や局地戦において無類の強さを誇る能力だ。

だが、その力にも明確な弱点――『赤字』が存在した。

相手が分厚い純粋な無機物の塊であった場合、透過して内部に潜り込めたとしても、彼の拳の火力だけでは全体を破壊しきれないのだ。

ゴーレムが巨大な鉄腕を振り下ろす。

ザザは瞬時に黒の縞模様を活性化させ、その一撃を透過して腕の内部へと潜り込んだ。

そこから白の絶対硬度へと極限変換し、ゴーレムの関節部を内側から破壊しようと試みる。


「オラァァァッ!!」


だが、その瞬間。

硬すぎる無機物の内部で強引に質量を復元させた反動が、ザザ自身の腕の骨を軋ませ、筋肉の繊維を無残に引き裂いた。


「ぐぅぅぁぁッ……!」


凄まじい激痛に耐えきれず、ザザは弾き出されるように実体化し、床を転がる。

敵の装甲にはヒビが入った程度。対して、ザザの右腕は紫に腫れ上がり、使い物にならなくなっていた。


(こんな威力じゃあ……あんな本物の化け物相手に、俺の透過なんか何の意味も持たねェ)


ザザは荒い息を吐きながら、己の血で汚れきった手を見つめる。

スラムで生きてきた彼の戦い方は、常に「ヤバい相手からは逃げる、躱す」という生存本能がベースにあった。正面からの質量のぶつかり合いからは本質的には逃げていたのだ。

だが、このままではアルカディアという船の上で生き残ることはできない。

ただ透過して避けるだけではない。そこに自らの質量を上書きするような強欲なエゴがなければ。

彼は砕けかけた腕を無理やり持ち上げ、再び鉄の巨神へと突進した。


◆ ◆ ◆


大陸の中央部。水気の一切存在しない、枯渇した砂の海。

その灼熱の砂漠のど真ん中で、クレイグ・タイドウォーカーは、自身の身の丈ほどもある巨大な鋼の錨を杖にして、片膝をついていた。


「……ハァッ……ハァッ……海を、舐めるなと……言いてェところだがな……」


彼の周囲には、砂の中に潜み、獲物を引きずり込もうとする砂漠の魔獣『アントライオン』の巨大な顎が無数に開いている。

クレイグの全身には無数の切り傷と打撲傷が刻まれ、その屈強な肉体は限界を告げていた。

海軍大提督。水魔術と艦隊指揮において、海戦であれば右に出る者はいない覇者。

しかし、ここには海がない。川もない。大気中の水分すら枯渇したこの環境では、彼の誇る水魔術の出力は十分の一以下にまで落ち込んでしまう。


(俺の力は、環境に依存しすぎている。……あんな理不尽な重圧を前にして、『ここは海じゃないから戦えません』なんて言い訳が通じるわけがねェ)


己の無力さが、クレイグのプライドを焼き焦がしていた。

環境依存。そんな甘えが許される世界ではないのだ。


「それなら……ここにあるもんを、使うしかねェだろ……!」


クレイグは血を吐きながら立ち上がり、巨大な錨を天へと掲げた。

水だけが海流ではない。

この空間に吹き荒れる熱風も、大地を這う砂の波も、そして大気に満ちる見えない魔力すらも、すべては流れを持つ『波』だ。

彼は、己の圧倒的な腕力とエゴによって、空間そのものを「自らの海」と定義し、強引に支配しようと試みる。


「オォォォォォラァァァッ!!」


錨を振り下ろし、砂の波を打つ。

だが、環境の理はそう簡単に書き換わるものではない。巨大な砂柱が立ち上がるものの、それは海流のようなうねりを持たず、クレイグ自身を巻き込んで崩れ落ちた。

砂に埋もれながらも、クレイグの瞳の奥にある闘志の炎は決して消えることはなかった。


◆ ◆ ◆


アルカディア本部城塞、地下深層『戦略統括室』。

壁一面に並んだ魔導スクリーンには、極限環境に放り込まれた幹部たちのバイタルサインが、危険域のレッドゾーンで激しく明滅していた。

マサムネ、レオンハルト、クロウ、ユリウスに続き、アシュレイ、ザザ、クレイグ。

彼らは皆、己の強みが最も通用しない環境で、文字通り命を削って『赤字』と向き合っている。


「……生存確率は、依然として暴落を続けています。どの拠点も、綱渡りの状況ですね」


コンソールを操作するエルセが、その美しい顔に一切の感情を交えず、淡々と報告した。


「さあ、誰が一番に己の限界を認めて殻を破るか……見ものだな」


部屋の中央にある革張りのソファで、カガリは万年筆を指先で滑らせながら、スクリーンを見つめていた。


その時、戦略統括室の重厚な扉が開いた。


「お邪魔いたします、カガリ殿。武闘派の方々は、随分と手荒な『社員教育』をされているようですね。……彼らの極上の血の匂い、ここまで漂ってきそうです」


入ってきたのは、仕立ての良いスーツを着こなした国営特務金融ギルドの頭取ルシウス。その後ろには、執行官のヴィクトルと、分厚い帳簿を抱えた高利貸しのザロフが恭しく続いている。


「へへっ、カガリさん。言われた通り、各都市の裏取引のルート、洗っておきましたぜ」


ザロフが揉み手で近づき、下卑た、しかし確かな野心を孕んだ笑みを浮かべる。


「武闘派の旦那たちが泥水啜ってレベリングしてる間、俺たちはただ指を咥えて待ってるわけじゃねェんでしょう?」


カガリは万年筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「当然だ。彼らが『存在の格付け(レーティング)』を上げ、戻ってくるまでの間……我々は盤面外で仕事をさせてもらう」


カガリの網膜に、【ファミリー・レジャー】の赤いデータが次々と展開されていく。

それは、大陸を支配する八大世界樹の巨大カルテルたちが抱える、天文学的な不正の資金動向と、インフラの脆弱性を示す数値。


「武力が育つまでの間、我々は『数字』で敵の首を絞める。……これより、アルカディア・グループによる、巨大カルテルへの経済的包囲網(敵対的M&A)を開始する」


コンシリエーレの号砲とともに、血の流れない、だが最も残酷な戦争の幕が開いた。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!

それぞれの覚醒…ぜひ次回を楽しみにお待ちください!


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