暴落する戦力と極限の投資環境
アルカディアの新拠点となった第十三廃棄区画。その地下深くに新設された『戦略統括室』は、魔導炉から絶え間なく供給される青白い光に満ちていた。
壁一面に展開された複数の魔導スクリーンには、エルセが精霊通信網を通じて収集している大陸各地の状況が、リアルタイムの波形として投影されている。
「……マサムネさん、レオンハルトさん、共にバイタルサインが危険域まで低下しています。クロウさんとユリウスさんの潜入ルートでも、敵の防衛システムの稼働率が跳ね上がっていますね。……このままでは、数時間以内に全員が『ショート』します」
コンソールを叩くエルセの澄んだ声には、珍しく微かな緊張が混じっていた。
カガリは革張りのソファに深く腰を下ろし、静かに葉巻を燻らせている。彼の網膜に明滅する【ファミリー・レジャー】の数値は、各地に散った幹部たちの生存確率が分刻みで暴落していく様を、冷徹な赤字として示していた。
「構わん。それが彼らに課した『極限環境』だ」
カガリは紫煙を細く吐き出し、スクリーンの大陸地図を見つめた。
この一ヶ月間、カガリとエルセはポルタ・マリスから得た裏帳簿と精霊の声を照合し、この大陸の環境と経済を支配する『八大世界樹』の存在を特定した。そして、その巨大な魔力が長年にわたる搾取で暴走し、物理法則すら狂わせている「世界樹のゆかりの地」へと幹部たちを送り込んだのだ。
「エノク・アシュクロフトが我々に叩きつけたのは、魔法の優劣ではない。世界そのものから認められる『存在の格付け』の差だ」
カガリは銀の懐中時計をパチンと開いた。
「彼らの持つ武力や大義は、確かに島国では最高峰だった。だが、狂った世界法則そのものが牙を剥く場所では、己の自我だけで立つ術を身につけなければならない。……これは、我がファミリーが『本土』という巨大市場を喰らい尽くすための、必要不可欠な追加投資だ」
その声は冷徹であったが、瞳の奥には幹部たちへの強固な信頼の光が宿っていた。
彼らを死地に放り込んだのは、他でもないカガリ自身だ。だがそれは、自らの見出した極上の資産たちが、必ずこの理不尽な壁を食い破り、本物の「怪物」へと羽化して帰ってくると信じているからこその、強欲で重い期待の表れであった。
◆ ◆ ◆
――大陸北方、『白夜樹』のゆかりの地。
視界を純白に染め上げる猛吹雪の中、一人の剣士が膝をついていた。
九条マサムネ。彼の吐く息は白く凍りつき、睫毛には分厚い霜が張り付いている。
(……体が、動かぬ)
マサムネの超知覚『断理の眼』は、この空間の異常性を正確に捉えていた。
ここは単に気温が低いだけの雪山ではない。巨大な霊樹の魔力暴走によって、空間内の「あらゆる運動エネルギーの低下」が強制されている絶対零度の虚無だ。
剣を振るう速度も、血液の循環も、すべてがシステムの理によって『停止』へと向かわされている。
さらに彼を苦しめているのは、この極限環境に「斬るべき敵」が一切存在しないことだった。
魔獣も、暗殺者もいない。ただ、命を奪う白の世界が広がっているのみ。
マサムネは凍てつく指で愛刀の柄を握り、立ち上がろうとする。
だが、あのポルタ・マリスの海辺でエノクから受けた『重圧』の記憶が、呪いのように彼の四肢に絡みついていた。
(拙者の剣は……あの男の首に届く直前で、ただの『なまくら』と化した。……なぜだ)
マサムネはこれまで、「主君の命」に従い、忠実に敵を排除してきた。己の剣は最強であると信じ、その刃に迷いはなかった。
だが、エノクという『世界の法』を前にした時、彼の刃はあまりにも軽かった。「命令されたから斬る」「誰かを救うために斬る」という純度では、世界を書き換えるほどの重さには届かなかったのだ。
斬る対象がいないこの虚無の中で、彼は己に問う。
(主君の命がなければ、拙者は刃を振るえぬのか? 誰かのためでなければ、拙者の剣は空を切るのか? ……否)
猛吹雪が彼の体温を奪い、意識が遠のいていく。
極寒の孤独の中で、神速の剣士は己の『魂の軽さ』という致命的な赤字に直面し、ただ静かに、刃を抜く理由を渇望していた。
◆ ◆ ◆
――大陸南部、『天星樹』のゆかりの地。
「オォォォォォラァァッ!!」
レオンハルトの咆哮が、すり鉢状の巨大なクレーターの底に響き渡る。
彼の手にある魔導ランスが赤熱し、極限まで圧縮された重力球が、襲い来る古代種の地竜の群れに向けて放たれた。
ズシィィィンッ!!
重力球が命中した地竜の一体が、大地ごと沈み込むように圧殺される。
だが、レオンハルトの顔には凄惨な疲労が色濃く刻まれていた。
「ハァッ……ハァッ……! クソッ、なんだこのふざけた重さは……!」
この廃鉱山は、カルテルが重力鉱石を掘り尽くした結果、地殻の質量バランスが崩壊し、常に常人の数十倍の加重が内臓を押し潰そうとする異常空間だった。自身の重力魔法で相殺しようとしても、環境そのものが持つ圧倒的な『質量』の前に、彼の魔力はみるみるうちに削り取られていく。
地竜たちが、獲物を仕留めようと群れを成してじりじりと距離を詰めてくる。
かつての彼であれば、騎士団の部下たちを指揮し、完璧な陣形を構築して一網打尽にしていただろう。あるいは、カトレイアの盾を背にし、安全な後方から最大火力を叩き込んでいたはずだ。
だが、ここには誰もいない。
守るべき民も、背中を預ける仲間も存在しない。
(エノクの野郎……あの時、俺は『立っていることすら』できなかった。……この俺の力すら、世界のルールの前ではただのバグでしかなかったってのか?)
「大義」という名の鎧。それは彼を強くする一方で、「自分は皆を守護する指揮官である」という安全な枠組みの中に彼を閉じ込めていた。
エノクの放つ圧倒的な『存在の格』は、その大義の鎧ごと彼を地に這いつくばらせたのだ。
「グルゥゥッ!」
隙を突いて飛びかかってきた地竜の顎が、レオンハルトの肩口を深々と噛み裂く。
「がッ……ぁぁぁッ!!」
強烈な激痛。彼自身の重力魔法の制御が乱れ、空間の異常重力が一気にレオンハルトの全身にのしかかる。
両膝が大地にめり込み、魔導ランスを取り落とす。
血を流し、獣の群れに取り囲まれた男は、騎士の大義すら通用しない極限の暴力の只中で、自らの内側に眠る剥き出しの「純粋な闘争本能」の在り処を、泥臭く必死に手繰り寄せていた。
◆ ◆ ◆
――大陸西部、第八世界樹『黒鋼樹』の巨大インフラ施設。
けたたましい警報音が鳴り響く鋼鉄の回廊を、二つの影が疾風のように駆け抜けていた。
クロウとユリウスである。
彼らに課せられたミッションは、次なる買収標的への先行潜入工作。
しかし、巨大カルテルが管理する最新鋭の防衛システムは、彼らの想像を遥かに超えていた。
「チッ! また防壁かよ!」
クロウが舌打ちし、通路を塞ぐ分厚い魔導シャッターに向けて、魔力相殺のナックルを叩き込む。
鋼鉄の扉がひしゃげ、強引にこじ開けられるが、直後に天井のパネルが開き、無数の自動迎撃魔導砲が姿を現した。
「クロウ、退がれ!」
ユリウスが細身の直刀を抜き放つ。
「『空間断絶・虚空刃』!」
不可視の空間の断層が、降り注ぐ魔力弾の雨を切り裂き、砲塔を正確に破壊する。
だが、敵の増援は後を絶たなかった。サイボーグ化された特務兵の部隊が、通路の前後を完全に封鎖する。
「……最悪だな。俺の『相殺』じゃ、あんな数の弾幕は防ぎきれねェ。お前の『断絶』も、乱発すれば魔力切れだ」
クロウが油断なく身をかがめながら、三白眼を鋭く細める。
「ああ。どうやら、このシステムの規模を甘く見ていたらしい。……現状の私たちの能力の足し算では、この包囲網を突破するのは不可能だ」
ユリウスもまた、額に汗を滲ませながら冷静に死を予測していた。
エノクとの戦いで見せつけられた、圧倒的な理不尽。
個の能力がどれほど突出していようと、巨大な『システム』の前では簡単に押し潰される。今の彼らは、まさに敵の巨大な防衛網の中に孤立した二つの「異常値」でしかなかった。
「……おい、エリートさんよ」
クロウが、敵の包囲網を見据えたまま、低く唸るように言った。
「お前のその『空間を切る』魔法。……俺の体ごと、敵の死角に『繋げる』ことはできねェのか?」
その言葉に、ユリウスは目を見開いた。
「……正気か? 座標の縫合を一歩間違えれば、お前の体は空間の断層で真っ二つになるぞ。それに、私以外の魔力を帯びない対象を正確に転移させるなど、私の演算領域の限界を超えている」
「んな細かい計算は後回しだ。……ウチのボスなら、ここで現状維持を選ぶか?」
クロウの獣のような瞳が、狂気的な光を帯びていた。
「俺が突っ込む。お前は俺の軌道を無理やり繋げろ。……システムが予測できねェ『最悪のバグ』を見せてやろうぜ」
理知的な軍刃と、本能の獣。
決して交わることのなかった二つの不適合な歯車が、絶体絶命の包囲網の中で、互いの境界線を壊し合おうとしていた。
◆ ◆ ◆
「……それぞれの投資先で、見事に壁にぶつかっているようですね」
本部の戦略統括室。
エルセがスクリーンの明滅を見つめながら、静かに息をついた。
マサムネのバイタルは凍結寸前、レオンハルトは多量出血、クロウとユリウスは包囲網の中で孤立無援。誰一人として、余裕のある者はいない。
「当然だ。彼らがこれまで培ってきた誇りや大義、強みそのものが通用しない場所を選んだのだからな」
カガリは懐中時計の蓋を閉じ、その冷たい金属の感触を確かめるように指先で撫でた。
「人は、己のすべてを否定された絶望の底でしか、本当の姿を見せない。……だが、彼らの自己資本は、こんな底で尽きるような安物ではないはずだ」
カガリのブラウンの瞳が、スクリーンに映る赤い波形を真っ直ぐに射抜く。
「這い上がってこい。私の極上の資産たちよ」
冷徹なコンシリエーレの言葉には、誰よりも彼らの価値を信じる、深く重い確信が込められていた。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
作者「とりあえず極寒の地に放り込んだれ」
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