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欠けた月の呪縛と満ちる覚悟

新大陸東部の辺境に位置する独立鉱山都市『ガレリア』。

その領主の館へ向かう豪奢な馬車の中で、セレーネ・アステリアは、膝の上で組んだ手を白くなるほど強く握りしめていた。

エノクの監査から約ひと月、新大陸の玄関口であるポルタ・マリスを概ね掌握したアルカディア・グループは、旧大陸と新大陸を海路で簡単に行き来できるようインフラ整備を整えていた。


(……足りない。今のままじゃ、守り切れない)


窓の外を流れる荒涼とした景色を見つめながら、彼女の脳裏には数日前の光景が焼き付いて離れなかった。

本部のカンファレンス・ルームで見た、ポルタ・マリスからの通信映像。純白の監査官、エノク・アシュクロフトが放った『存在の格付け(レーティング)』による圧倒的な重圧。大陸屈指の戦士であるレオンハルトやマサムネですら地に這いつくばる姿を、彼女は安全な城塞からただ見守ることしかできなかった。


幼い頃から、泣き虫な幼馴染のアリサを守ってきた。

成長してからは、理不尽な搾取に喘ぐ孤児院の子どもたちを守るために剣を振るってきた。

彼女の行動原理は、常に「大切なものを外敵から庇うこと」だった。だが、世界の絶対的な権力の前では、その守護すらも容易く握り潰されるのだという事実を突きつけられ、ひどい焦燥感に駆られていた。


「セレーネ? どうしたの、顔色が悪いよ?」


対面に座るアリサが、心配そうに覗き込んでくる。


「……なんでもないわ。ただ、この街の空気が少し肌に合わないだけ」


セレーネは努めていつもの明るい調子で答え、背負った黒鋼の大剣の柄を撫でた。


今日、彼女たちはカガリの命により、旧カルテルの残党が牛耳るこの街へ「資源の直接買収交渉」に訪れていた。追加投資の極秘ミッションに向かった幹部たちとは異なり、セレーネにはアリサの専属護衛という任務が与えられている。


(私が、この手で完全に守り抜く。アリサにも、子どもたちにも、他のギルドメンバー(ファミリー)の皆にも絶対に指一本触れさせない)


セレーネは唇を噛み、自身の魔力を静かに練り上げた。


◆ ◆ ◆


「――つまり、アルカディアさんは我が都市の魔石算出量の九割を、従来の半値で買い取ると?」


領主の館の応接室。分厚い葉巻を咥えたガレリア領主が、肥え太った腹を揺らして嘲笑した。


「はい。その代わり、物流インフラの整備と防衛は我が社が全額負担いたします。長期的に見れば、確実に御都市の利益になる提案です」


アリサが資料を広げ、真っ直ぐな瞳で交渉に臨む。ギルドマスターとしての経験が、彼女の顔つきに確かな威厳を宿させていた。


「素晴らしい提案だ。だが……少々、時期が悪いな」


領主が葉巻を灰皿に押し付けた。その瞬間、応接室の空気が張り詰める。


「白亜の監査騎士団が動いたそうだな? 貴様ら新参者が、世界のルールに目をつけられて無事で済むはずがない。……ここでアンタの首を差し出せば、カルテル本国から莫大な恩赦がもらえる手はずになっていてね」


「ッ! アリサ、下がって!」


領主が指を鳴らした瞬間、応接室の四方の壁が爆発と共に吹き飛び、数十体の装甲魔導ゴーレムと、重武装の暗殺兵たちがなだれ込んできた。


「『月境領域(ルナ・ミラージュ)』!」


セレーネが黒鋼の大剣を抜き放ち、床に突き立てる。

淡い銀色の魔力領域が展開され、彼女の身体が三日月を描くような鋭い弧の軌道で室内を駆け抜けた。神速の斬撃が先頭のゴーレムを両断する。


だが、敵の数は異常だった。


「囲め! その女の動きは限定されている! 軌道を読んで死角から撃ち抜け!」


領主の怒号に従い、魔導兵器の砲門が一斉にアリサへと向けられる。


「させないッ!」


セレーネは三日月の軌道を描いてアリサの眼前に回り込み、迫り来る魔力弾を大剣の腹で受け止める。

凄まじい衝撃。防ぎきれなかった熱線がセレーネの肩や太ももを掠め、鮮血が舞う。


「セレーネ!」


「動かないで、アリサ! 私の領域から出ないで!」


セレーネの『月境領域』は、超高速の移動と斬撃を可能にするが、その軌道は常に「三日月」のような一定のカーブを描く。

それは魔法の仕様だと思っていた。だが、実際は違った。

幼い頃から「弱い者を自分の手の届く範囲に囲い込んで庇う」という彼女の強迫観念に近い防衛本能が、無意識のうちに己の魔力に『縛り』を与え、その軌道を不完全な三日月に固定化してしまっていたのだ。


「守りに徹した剣など、ただのマトに過ぎん!」


背後からの凶悪な一撃を無理な体勢で弾き返したセレーネの脇腹に、暗殺兵の凶刃が深く突き刺さる。


「がッ……ぁ……!」


「セレーネ!!」


アリサの悲鳴が響く。セレーネは血を吐きながらも、大剣を杖にして立ち上がり、アリサの前に両手を広げた。


(ダメだ。私が攻撃に転じれば、その隙にアリサが撃たれる……。囲い込んで、守らなきゃ。……でも、このままじゃ……)


『現状維持は、緩やかな死と同義だ』

いつかのカガリの冷徹な言葉が、脳裏を過る。

今の自分の戦い方は、まさに赤字を垂れ流し続けるだけの「現状維持」。だが、その殻を破るには、背後のアリサを危険に晒すことになる。彼女の過保護な精神の壁が、絶対的なブレーキとなっていた。


―――その時だった。

背後に庇われていたはずのアリサが、震える足で一歩、前に踏み出したのだ。


「……セレーネ」


「アリサ!? ダメ、下がって!」


だが、アリサはセレーネの血に染まった背中に、そっと両手を添えた。

その手は震えていたが、声には、かつての借金に怯えていた少女の面影は微塵もなかった。


「私を、信じて」


「え……?」


「私はアルカディアのギルドマスターよ。みんなの『帰る場所』を作るトップが、いつまでも背中に隠れて、仲間にこんな傷を負わせて……立ち止まっていられるもんですかッ!」


アリサが顔を上げ、領主たちを真っ直ぐに睨みつける。その双眸には、カガリや幹部たちと地獄を潜り抜けてきた者だけが持つ、確固たる『エゴ』が宿っていた。


「私のことは気にしないで。前だけを見て、セレーネの全力で、全部ぶっ飛ばして!」


その言葉が、セレーネの心を幾重にも縛っていた分厚い鎖を、音を立てて砕いた。


(……ああ、そうか)


セレーネは気づいた。

アリサはもう、庇われるだけの泣き虫な幼馴染ではない。

孤児院の子どもたちも、今はアルカディアという強大で絶対的な「家族(ファミリー)」に守られている。

自分が一人で全てを抱え込み、狭い腕の中に囲って守る必要など、とうの昔に無くなっていたのだ。


「……ごめんね、アリサ。私、ちょっとアンタのこと甘く見てたわ」


セレーネがゆっくりと立ち上がる。

無意識の強迫観念から解放された彼女の身体から、かつてないほどの膨大な魔力が溢れ出し、大剣の刀身を覆っていた三日月状の淡い光へと注ぎ込まれていく。


防衛の意図を失い、純粋な闘争心へと変質したその魔力は、急速に形を変え、膨張し――欠けていた三日月を、完璧な円環へと塗り潰した。


「な、なんだこの魔力は……! 撃て! 奴を殺せェ!」


領主が叫び、全魔導兵器が一斉に砲撃を放つ。


「『朔望の自在・新月(エクリプス)』」


彼女の姿が、光と影の境界に溶けるようにフッと消失した。


「消えた!? どこだ!」


暗殺兵たちが慌てふためく中、セレーネは彼らの死角――空間の影そのものから音もなく顕現した。


制限を失い、防衛から「完全なる制圧」へと意識を反転させた彼女の大剣には、星一つ分にも匹敵するような恐ろしい質量が込められていた。


「全部、叩き潰す……ッ!」


振り抜かれた黒鋼の大剣が、空気を圧縮し、衝撃波となって室内を蹂躙する。

魔導ゴーレムの装甲が紙のようにひしゃげ、暗殺兵たちが悲鳴を上げる間もなく壁ごと吹き飛ばされていく。

それはもはや剣技ではなく、月明かりの範囲すべてを圧壊させる局地的な天災だった。


数秒後。

応接室だった場所は完全に瓦礫の山と化し、無傷のアリサの前に、大剣を肩に担いだセレーネが静かに立っていた。

土煙の向こうで、領主が腰を抜かして震え上がっている。


「……交渉の続きと行きましょうか、お偉いさん」


セレーネは血を拭い、満月のように晴れやかな笑みを浮かべた。


「ウチのボスが提示した条件、今なら『全額』で呑んでくれるわよね?」


少女は幼馴染(トップ)の覚悟によって自らの過保護な精神の壁を打ち破り、理不尽な暴力を振るう本物の「怪物」へと、確かな羽化を遂げたのであった。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!

セレーネの能力、作者も規模感わけわからんくなってきた…


少しでも「面白い」「続きが読みたい」と思っていただけましたら、画面下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にし、リアクションや感想を書いて応援していただけると、それがアルカディア・ファミリーの最大の資本になります!

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