悪魔の処方箋 〜見えざる内部工作〜
巨大なる第零関税都市『ポルタ・マリス』。
島国と本土を繋ぐこの広大な海上要塞の一角に、アルカディア・グループは「新興商会の仮事務所」として、上質なレンガ造りの建物を借り上げていた。
「……なるほど。港湾地区の役人たちの懐事情は、想像以上に火の車のようだ」
執務机に広げられた数枚の羊皮紙を一瞥し、カガリは静かに葉巻の煙を吐き出した。
「オズボーン・シンジケート……この関所を牛耳る巨大カルテルの上納金ノルマは、末端の役人にとって極めて過酷なようです」
秘書を装ったタイトなスーツ姿のエルセが、手元の書類をまとめながら淡々と報告する。
「上層部は莫大な利益を吸い上げていますが、現場の管理官たちはノルマを達成するため、私財を投げ打ち、中には悪質な高利貸しから借金を重ねている者も少なくありません。……見栄を張ってカジノで一攫千金を狙い、さらに首が回らなくなっている愚か者も多数確認できました、本当に、バカばっかりですね」
「巨大すぎる組織が孕む、典型的な構造的欠陥だな」
カガリはフッと笑いながら、銀の懐中時計をパチンと開いた。
数日前、アルカディアの船団が入港した際、カガリは彼らが要求した法外な関税と積み荷の没収にあっさりと応じた。カルテルの役人たちはカガリを「金払いの良い田舎の成金」と完全に舐めきり、彼らの行動に対する監視の目を大きく緩めている。
「関所に払ったあの金は、ただの撒き餌だ。警戒を解いた今、我々は彼らの足元にある『腐敗』を拡張させてもらう」
カガリのブラウンの瞳の奥で、冷徹な計算式が弾き出される。
「マサムネ。夜の『営業』に出るぞ」
「御意」
執事のように黒いスーツを着こなし、気配を完全に断ったマサムネが、影の中から静かに歩み出た。
◆ ◆ ◆
ポルタ・マリスの中央特区に位置する、絢爛豪華な巨大カジノ『黄金の海神』。
オズボーン・シンジケートの息がかかったこの遊技場は、夜な夜な莫大な金貨が飛び交う欲望の坩堝であった。
そのVIPルームの隅のテーブルで、一人の男が頭を抱えていた。
港湾管理官の要職に就く、ロイドという小太りの男だ。
「……クソッ、また負けだ……! なぜだ、なぜ当たらねぇ!」
ロイドの血走った目が、無情にも回収されていくチップを見つめている。
彼には、明日までにシンジケートの上層部へ納めなければならない『上納金』があった。しかし、彼はその資金を横領し、カジノで増やそうとして全額溶かしてしまったのだ。
(終わりだ……。上納金がショートしたとバレれば、監査部に『処理』されて海に沈められる……! 高利貸しからも、もう金は借りられねぇ……!)
絶望の冷や汗が全身から噴き出すロイド。
その時、彼の向かいの空席に、一人の男が音もなく腰を下ろした。
「――随分と、分が悪い勝負をしているようですね」
ロイドが顔を上げると、そこには完璧に仕立てられたスリーピース・スーツを着こなし、優雅に葉巻を燻らせる黒髪の青年が座っていた。背後には、護衛とおぼしき長身の男が彫像のように控えている。
「な、なんだお前は……! 誰の許可を得てここに座って……」
「失礼。私はアルカディア商会で『経営コンサルタント』をしております、カガリと申します。……ロイド管理官、先日我々の船団が入港した際はお世話になりましたね」
カガリの穏やかな笑みに、ロイドはハッとした。数日前に法外な賄賂を巻き上げた、あの気前のいい島国の田舎商人だ。
「……ああ、あの時の成金か。チッ、田舎者が俺に何の用だ。俺は今、取り込み中なんだよ」
強がって追い払おうとするロイドに対し、カガリはテーブルの上に、一枚の分厚い羊皮紙を滑らせた。
「貴方の抱える『不良債権』……私が最適化して差し上げましょうか?」
「な……っ!?」
ロイドの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
羊皮紙に書かれていたのは、彼が複数の高利貸しからつまんでいる借金の総額、そして、シンジケートの裏帳簿から横領した金額の『正確な数字』だった。
「き、貴様……なぜこれを……! まさか、上層部の監査官か!?」
ロイドがガタッと席を立ち上がりかけるが、カガリの背後に控えていたマサムネの放つ、刃を喉元に突きつけられたような氷の殺気にあてられ、情けなく椅子にへたり込んだ。
「ご安心を。私はただの商人です。……ロイド管理官。貴方は現在、月利二十パーセントという法外な高利貸しから複数の借り入れを行っている。これでは利息を返すだけで精一杯だ。横領に手を染めるのも無理はない」
カガリは口角を上げ、極めて紳士的な、甘い声で囁いた。
「そこで、提案です。私が貴方の借金を、一時的に『立て替え』ましょう。複数ある高利貸しへの負債を我がアルカディア商会への一本の債務として借り換え《リファイナンス》し、金利を月利二パーセントまで引き下げます。……加えて、明日の上納金に足りない横領分の穴埋めとして、金貨五千枚を無担保で融資いたします」
「……は?」
ロイドは自分の耳を疑った。
脅迫されるどころか、借金を低金利で一本化し、さらに横領の穴埋め金まで貸してくれるというのだ。
「な、なぜそんなことを……。お前たちに何の得があるんだ……?」
「もちろん、慈善事業ではありませんよ。私は、本土市場における『信頼できる現地のパートナー』を探しているのです」
カガリは葉巻の煙をふわりと吐き出し、悪魔の処方箋をロイドの前に差し出した。
「我が商会は、これからこの関所で本格的な取引を開始します。その際、港湾管理官である貴方に、些細な融通……『優先的な入港手続き』や『関税の適正な優遇措置』を計っていただきたい。加えて、今後の事業展開のための『アドバイザー』として、関所の運営規則に関する情報を少しばかり教えていただきたいのです」
それは、あからさまな「賄賂」と「癒着」の要求だった。
しかし、明日にも海に沈められる運命だったロイドにとって、カガリの提示した条件は、まさに天から垂らされた蜘蛛の糸であった。
「……こ、金利二パーセント……穴埋めの資金まで……。本当だな? 本当に俺を助けてくれるんだな!?」
「ええ。お客様の利益が、私の利益ですから」
カガリの完璧な笑みに魅入られたように、ロイドは震える手で契約書にサインをした。
武力による脅しでもなく、弱みを利用した破滅的な脅迫でもない。
「圧倒的な利益と保身」を与えられたロイドは、カガリを自らを救ってくれた『救世主』だと完全に錯覚していた。
「ありがとう、コンサルタント殿! あんたの商船の入港は、俺の権限で最優先で処理してやる! あと……内密の話だが、関所の第四水門の警備システムは、夜間になると魔力炉の冷却のために三十分だけ死角ができるんだ。あんたの商会の荷を運ぶなら、そこを使えば関税をスルーできるぞ!」
命を救われた安堵と高揚感から、ロイドは聞かれてもいないシンジケートの機密情報やセキュリティの抜け穴を、自ら進んでペラペラと喋り始めた。
「……それは有益な情報です。感謝しますよ、ロイド管理官。今後とも、末永く良きビジネスパートナーでいましょう」
カガリは恭しく握手を交わし、ロイドが弾むような足取りでカジノを去っていくのを見送った。
「……よろしかったのでござるか、カガリ殿」
マサムネが、静かに口を開く。
「あのような下劣な役人一人を救ったところで、巨大カルテルの根幹が揺らぐとは思えぬが」
「一本の糸だけで巨獣は倒せない。だが、あの手の『首の回らない末端役人』は、この腐敗した都市に無数に存在している」
カガリは冷めた赤ワインのグラスを指先で弄びながら、冷酷に目を細めた。
「彼らに低金利の融資と、小さな横領を隠蔽するスキームを与え続けろ。彼らは自らの保身のために我々に依存し、いずれ自発的に組織の心臓部へ至る『鍵』を嬉々として差し出すようになる」
カガリの【ファミリー・レジャー】の網膜には、先ほどロイドから得た情報により、ポルタ・マリスの防衛網の構造データが次々と更新・解析されていた。
それは、カルテルという巨大なシステムを、一切の血を流さずに内側から完全に喰い破る『致死性の猛毒』の拡散だった。
本土市場への侵略は、誰にも気づかれぬまま、静かに、そして確実に進行していた。
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月利20パーセントはさすがに暴利すぎて我ながら草
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